第4話 矢は1束6ゼル
矢の産地は西だった。森の街エルム。木工と弓作りの職人街だ。
問題がひとつ。西の街道は「安全圏」じゃない。森を抜ける2時間半の道に、灰色狼が湧く。剣士なら鼻歌まじりの雑魚だが、行商人にとっては死因だ。
死ぬと所持金の1割を落とす。今の俺なら約130ゼル。それより、荷物を背負ったまま死ぬのがまずい。落とした荷物は、その場に10分間放置される。狼に踏まれるか、通りすがりに拾われるか。どっちにしても仕入れた矢は戻らない。
自分で強くなる、という選択肢は最初から検討しなかった。行商人のレベル上げは効率最悪で、たどり着く先も「多少殴れる行商人」だ。中途半端な強さは、装備代と時間を食うだけの飾りになる。
弱いままでいい。強さは、買えばいい。
冒険者ギルドの依頼掲示板は、プレイヤー同士の雇用にも使える。「エルム往復の護衛求む。戦闘は全部お任せ。往復5時間、報酬は時給50ゼル」。
張り出して10分で1件、応募が来た。
「ユキハ。弓使い。レベル11」
日曜の朝、待ち合わせの西門に立っていたのは、俺と同年代くらいの女性プレイヤーだった。背より長い弓。姿勢がやけにいい。立っているだけで、背骨が1本通っているのが分かる。
「行商人の護衛って、初めて見た。依頼文も初めて見る形だった」
「どのへんが?」
「『戦闘は全部お任せ』。普通の護衛依頼は『一緒に戦ってくれる人』なのに、あなたのは最初から『わたしは何もしません』って書いてある。潔くて、ちょっと笑った」
「事実だからね。俺が前に出て得することは、この世界に一つもない」
「じゃあ先に決めごと。戦闘中は、わたしの前に出ない。荷物を守りたかったら、荷物ごとわたしの後ろにいて」
「約束する」
「……即答なんだ。普通、ちょっとは男の人って渋るのに」
「渋る理由が、損得のどこにもない」
ユキハは口の端を少しだけ上げた。笑った、のだと思う。
簡単じゃなかった、とは彼女の名誉のために言っておく。森の2時間半で灰色狼は9回湧いて、ユキハは9回とも、俺が狼の姿を探すより先に射落とした。矢が風を切る音だけが聞こえて、次の瞬間には狼が消えている。
3回目のあと、俺は狼の落とした素材を拾って聞いた。
「これ、報酬に上乗せでいい? 毛皮と牙」
「え。護衛依頼って、ドロップは雇い主のものでしょ」
「うちの規定では、倒した人のものなんだ。今決めた規定だけど」
ユキハは毛皮を受け取って、初めてこっちをまともに見た。値踏みするような、長い一瞥だった。
「……ねえ。それ、善意じゃないよね」
「分かる?」
「分かる。毛皮1枚で、わたしが次も応募する理由を買ったでしょ」
「正解。安い買い物だった」
「正直なところも込みで、まあ、悪くない雇い主」
4回目の射抜きに思わず「すごいな」と言うと、短い答えが返ってきた。
「狼だから。動きが素直なの。初動で右に振るか左に振るか、耳で分かる」
「耳?」
「弓は、目より先に耳。音のほうが速いから」
現実でも弓を引くのか、と聞きかけてやめた。初対面で現実の話を掘るのは、この世界の作法に反する。代わりに、彼女の矢筒を見た。矢の束が、きっちり同じ向きで揃えてある。几帳面な人間の矢筒だ。
エルムは、木の匂いの街だった。街路樹の下に工房が並んで、鰍の音と、弓の弦を試す音がする。バルガが槌の街なら、ここは鑿と鰍の街だ。
職人街で、矢はあっけなく見つかった。20本1束で、6ゼル。スターディアの道具屋の売値は13ゼル。しかも夕方には毎日売り切れる。
なぜこの差が放置されているのか、工房の親方に聞いてみた。答えは単純だった。
「NPCの運送屋が週2回しか来ねえんだよ。荷馬車の枠も小せえ。作っても、運ぶ手段がねえの」
作る力はある。買いたい客もいる。間の「運ぶ」だけが細い。経済の血管が詰まってる場所ってのは、外から見えないもんだ。歩いて、聞いて、初めて見つかる。
「120束くれ」
「120!? あんた戦争でも始める気か」
矢羽根の白い束が、《大荷物》の背負い袋に詰まっていく。720ゼル。所持金1340から、残り620。
帰り道、ユキハが荷袋を横目で見た。
「それ、全部売れるの」
「明日の夜までには」
「120束。1束20本で、2400本。……スターディアの狩人、何人いるの」
「知らない。でも道具屋の矢は毎日5時に売り切れる。売り切れてから狩りに出る人間が、毎日いる。その人数が何人かは知らないけど、ゼロじゃないことは知ってる」
「ゼロじゃない、で120束買うんだ」
「売り切れてる棚の前に立った人間の数は、棚を見れば分かる。昨日、売り切れの札の前で30人は見た」
ユキハはしばらく黙って歩いた。それから、ぽつりと言った。
「……面白いね、あなたの見てる景色」
「景色?」
「わたし、道具屋の前は『混んでるな』としか思わなかった。あなたは『30人』って数えてる。同じ棚なのに」
スターディアの露店で、矢は1束12ゼルで売った。道具屋より1ゼル安く、しかも売り切れない。
「安い上に在庫あるとか、どういうことなの」
革鎧の少年は3束買って、拝むような顔をしていった。名前はまだ知らない。でも3日連続で来る客の顔は、覚える。
道具屋より安くした理由は、善意じゃない。道具屋の矢は入荷が不定期で、値は13で固定されている。俺は12で毎日並べる。そうすると狩人たちは「矢はあの露店」と覚えてくれる。1ゼルの差額は、客の足に習慣をつけるための広告費だ。
120束、その夜と翌日で完売。売上1440ゼル。護衛代が往復5時間で250ゼル。
所持金、1810ゼル。
矢の利益は720。護衛代を払って470だ。つまり、護衛代ってのは「費用」じゃない。灰色狼の森の向こう側にある6ゼルの矢への、入場料だ。250ゼルの入場料で470の利益なら、いくらでも払う。
講義で習った言葉なら、比較優位だ。ユキハは狼を射るのが俺より1000倍うまい。俺は荷物を運ぶのが彼女より——たぶん3倍うまい。だったら俺が狼と戦うより、彼女に払って俺が運ぶほうが、二人合わせた稼ぎは大きい。強い奴が自力でタダで通る道を、俺は金を払って通る。それでも勘定が合うなら、弱いことは商売の障害にならない。
別れ際、ユキハは報酬の受け取り画面を確かめてから、自分から口を開いた。
「また運ぶなら、呼んで。暇だから」
「暇なの? レベル11なら、いいクランから誘いくらいあるだろ」
「ある。断ってる。決まった時間に集まれとか、週何回はレイドに出ろとか、暇じゃなくなるから」
「……護衛の定期依頼も、束縛では」
「護衛は仕事。クランは付き合い。仕事の束縛は、お金がもらえる」
明快だった。この明快さは、信用できる。
「あと、もう1個」
ユキハは弓を背負い直した。
「今日、わたし9回射って、9回当てた。あなたは9回とも、わたしの後ろにいた。約束を守る雇い主は、次も守る。だから次も来る」
「……正直なところも込みで?」
「込みで」
今度ははっきり、笑った。
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【行商人の帳面 その4】
・得意なことを、得意な人に任せる。自分は自分の得意に集中する。これが比較優位。
・護衛代は費用じゃない。安い仕入先への入場料。
・1ゼルの値引きは、客の足に習慣をつける広告費。
・約束を守る雇い主のところに、いい護衛は戻ってくる。
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