第5話 目標、100万ゼル
商いが、ルートになった。
ただし、地図どおりには回れない。平日の夜は8時から12時までの4時間。リーデンとバルガは4時間半離れている。三角形を一晩で一周する足は、俺にはない。
だから、形を変えた。
週末にリーデンまで行って、塩を一度に120袋仕入れる。スターディアに借りた物置小屋(逐30ゼル)に積んでおく。平日の夜は、小屋から塩を背負ってバルガへ2時間、砥石を背負って2時間で帰る。往復4時間。小屋が、港の代わりになる。
一晩の粗利は、塩40袋と砥石80個で、だいたい700ゼル。
数字は日によって揺れる。バルガの塩の買値は、俺が運び込むたびに少しずつ下がって、いまは1袋15ゼル。当たり前だ。俺自身が供給者なんだから、俺が運ぶほど品薄は解消される。自分の商売が自分の相場を殺していく。このままいけば、塩の利は月末には半分になるだろう。
講義で習った言葉なら、裁定の自己消滅。現場の言葉に訳すと「うまい話は、やった分だけ減る」。だから行商人の仕事の半分は運ぶことで、残りの半分は、次のうまい話を探し続けることになる。足と目の商売だ。
だから路線は1本に頼らない。塩が痩せたら砥石を厚く、砥石が詰まったら矢を厚く。3本あれば、どれかが痩せてもルート全体は生きている。
リーデンの塩屋のおやじは、俺の顔を覚えた。
「また来たか、塩の兄ちゃん。今日は何袋だ」
「120。あと聞きたいんだけど、雨の日って漁は」
「休みだよ。干し場も使えねえ。塩の入荷は3日遅れるね」
天気で仕入れが変わる。メモ帳の要らない知識として、頭に刻んだ。
1週間回して、所持金は4200ゼルになった。
平日は大学がある。経済学部の2年。ミクロ経済学の講義で「一物一価の法則」をやった日は、少し笑ってしまった。同じ物の値段は一つに収束する——輸送費と情報の壁がなければ、だ。アスフロには、その壁がまだ分厚く残っている。4時間半の街道の厚みが、そのまま俺の飯の種だった。
夜のバルガで、塩を降ろしたあと、俺は坂の上から街を眺めた。
で——俺は、どこまで行きたいんだっけ。
地図を開く。大陸の中心に、まだ行ったことのない街がある。中央都市アルテガ。全都市の街道が集まる、この世界の商業の心臓部。
攻略サイトで一度だけ読んだ。アルテガの大市場には「常設店舗権」というものがある。市場の一等地に、自分の店を永続的に構える権利。半年に一度の入札制で、前回の落札額は——100万ゼル。
所持金4200ゼルの行商人には、桁が3つ足りない。
4200と100万。240倍弱。一晩700ゼルの往復に換算すると、1400往復。週5往復で、現実の時間で5年半かかる計算だ。
つまり、まっすぐ積んでちゃ駄目だということになる。どこかで商いの形そのものを変える必要がある。歩く行商から、何か別のものへ。
それが何なのかは、まだ分からない。分からないまま——でも、決めた。
目標、100万ゼル。アルテガの一等地に、俺の店を出す。
なぜ店なのか、と聞かれたら答えは単純だ。行商は俺が歩いた分しか稼げない。店は、座っていても世界のほうから品と客が歩いてくる。労働を売る側から、仕組みを持つ側へ。
もうひとつ、今週の数字で気づいたことがある。
小屋を借りる前、塩の仕入れは3日に一度、5時間かけてリーデンまで歩いていた。小屋を借りてからは、週に一度で済む。同じ320ゼルの塩が、週に1回しか回らなかったのが、毎晩回るようになった。
元手は同じ。回る回数だけが変わった。
講義で習った言葉なら、回転率だ。儲けは「1回の利幅」×「回った回数」で決まる。利幅を上げるのは難しい。でも回数なら、小屋ひとつで増やせた。逐30ゼルの小屋が、週に1000ゼル以上を生んでいる。
生活のほうも、形が決まってきた。
平日は朝から夕方まで大学。夜の8時から12時までアスフロ。土曜はリーデンで塩の仕入れと、ユキハを雇ってエルムの矢。日曜は課題とレポートに。
レンには「社会人みたいなプレイスタイルだな」と笑われた。実際そうだ。デスゲームでも異世界転移でもない。向こうの世界は娯楽で、こっちの世界には講義とレポートがある。ただ、娯楽のわりに、ゼルの残高は俺の銀行口座より真剣に増えていた。
◇
「なあソーマ、行商人、順調か?」
昼休みの学食で、レンが唐揚げ定食をつつきながら言った。
「順調だよ」
「攻略wiki見たか? 行商人の選択率、0.3パーセントだって。全職業でぶっちぎり最下位。掲示板でネタにされてたぞ」
「へえ。何て?」
「『ハズレ職スレ』ってのが立ってる。……いや、お前のこと悪く言ってるとかじゃなくてさ。見てみろよ。ちょっと面白いことになってるから」
レンはにやにやしていた。
「先に言っとくけど、俺は何も書き込んでないからな。お前の商売の邪魔になるようなことはしねえ」
「その前置きが一番怖いんだよ」
「信用しろって!」
昼休みの残り時間で、俺はスマホから外部の攻略掲示板を開いた。ゲームに公式の掲示板機能はないが、プレイヤーが立てた巨大掲示板が事実上の世論になっている。職業総合スレ、その88。スレ番88ってことは、職業の話題だけで88回もスレが伸びてるわけで、5万人が遊ぶサーバーってのは暇なのか熱心なのか分からない。
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【行商人の帳面 その5】
・儲けは「1回の利幅」×「回った回数」。回数を増やすのが回転率。
・元手を増やせなくても、回る速さは工夫で増やせる。小屋ひとつでも。
・うまい話は、やった分だけ減る。次のうまい話を探し続けるのが仕事の半分。
・歩いた分しか稼げないのが行商。座っていても品と客が来るのが店。
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