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第34話 124万の札

開札の朝、最後の勘定をした。


在庫の14万は、3週かけて14万200の現金になった。鉄の利は、前倒しで増発した輸送の費用と、棚を薄くした分の売り逃しで、ほぼ食われた。3週あっても、速さはやっぱり割引料を取っていく。板に投げて7万にするよりは、比べものにならないほど安い割引料だが。


手元、82万6000ゼル。このうち取引網の運転資金に2万6000を残す。入札台に載せられるのは、80万。


下限40万と決めてきた運転資金を2万6000まで割る勘定だが、仕入れの支払いは30日の猶予が取れるし、固定契約の実入りと棚の在庫で30日は回ると、先に計算を書いてある。運転資金の下限は、入札のあとに作り直すと決めた。


一等地の上限は、3晩の計算で92万と出ている。あの角の人通りと、うちの品揃えの月商見込みと、何年で元を取るかの勘定から逆算した数字だ。持っていれば92万まで書いた。持っていないのだから、書けるのは80万。上限より下の札なら、少なくとも間違った数字で勝つことはない。


封筒に、80万と書いた。9週前に69万6720だった手元を思えば、よく積んだ数字だと思う。思うことにした。


ユキハが護衛のついでに広場まで来て、封筒を出す俺を眺めていた。


「緊張してる?」


「してる。値札のついてない朝は苦手だ」


「珍しい。いつも計算の終わった顔してるのに」


「計算は終わってる。終わってても、他人の封筒の中身までは計算できない」


大市場の広場は、祭りの日なみの人出だった。立会人が壇に上がり、区画ごとに封筒を開いていく。


一等地北角、札は4枚。


72万。


80万。——俺の札だ。広場のどこかで「行商人だ」と声が上がった。


90万。空いた角に店を広げたい、隣の絨毯商ハルトマンの札。


そして、124万。アルカ。


噂の数字が、噂のとおりの桁で、そこにあった。歓声とも悲鳴ともつかない声が広場を回る。俺は自分の手が、帳面の端を強く掴んでいるのに気づいて、指をほどいた。


44万差。うちの取引網の稼ぎで割れば、55週分。この9週、木曜便を作り、硫黄石を当てて、俺は12万9280積んだ。自分の商人人生で一番速い9週だった。その最速の9週を、あと3回半重ねて、やっと届く差だ。しかも向こうの元手も、その間ずっと増える。


負けた。それも、僅差の負けじゃない。土台から、負けた。


上限の92万すら、届いてすらいなかった。仮に在庫を全部即金に換え、運転資金まで注ぎ込んで82万6000を書いていても、結果は1ミリも変わらない。その事実だけが、かろうじて慰めだった。慰めにしては、苦い。


人垣から、聞き覚えのある種類の声が切れ切れに届いた。ほら見ろ。行商人ごときが。だから言ったんだ。——反論はしない。札の数字は、あれで俺の全部だ。


人垣の向こうから、アルカが来た。勝者の顔ではなく、いつもの静かな顔で。


「いい札だった。あれ、あなた一人の金の全部でしょう」


「……嫌味か?」


「事実。わたしの124万は、200人の出資者の金。あなたの80万は、1人の金。量で競れば、束ねた側が勝つ。それだけのこと」


「分かってる。今日、数字で分かった」


「春も出るの?」


「出る」


「そう」アルカは少しだけ間を置いた。「なら、春までお互い、いい商いを続けましょう」


彼女は俺を嗤わなかった。それが一番、こたえた。嗤える程度の相手なら、向こうも200人など束ねてこない。


午後、二等地の開札があった。


二等地北の角。一等地の並びから外れた、人通りが6割ほどの区画。ここの上限も昨日までに出してある。人通り毎分26人、月商の見込みから引いた上限は42万。過去の二等地の相場は33万から36万。札には38万と書いてあった。


開札。31万、35万、38万。——落札。


次点との差は3万。上限42万の内側で、確実を3万で買った勘定だ。中央の角はカイエンの商会が41万で取っていた。広場越しに目が合って、互いに小さく頭を下げた。開札の日にな、と言った男は、約束どおり開札の日にいた。


その場で38万を納めた。3週かけて現金に寄せた金が、音を立てて出ていく。権利書には、区画の番号が書いてある。期限の欄はない。買い切りだ。来春には市場の拡張が決まっていて、新設の区画の入札があるという。


夕方、まだ何もない二等地の角に立った。間口を歩幅で測る。7歩半。一等地の角までは、歩いて2分。その2分の間に、124万と38万の差が横たわっている。


帳面を開いて、秋の決算を書いた。手元44万6000、店舗権が仕入値で38万。合わせて82万6000。数字は今朝と同じで、中身がまるで違う。


それから、負けの中身を仕分けた。札の書き方は間違えていない。上限の計算も、たぶん合っている。俺の9週に、削れる無駄はほとんど無かった。それでも44万差。つまり負けたのは腕じゃなくて、量だ。1人の金と、200人の金。同じ土俵で量を競う限り、この差は縮まらない。俺が積む間、向こうも積むからだ。


なら、結論はひとつしかない。


金の量では、あの人には一生届かない。なら、別の土俵だ。


どの土俵かは、まだ分からない。分からないまま、それでも書いておく。この7歩半の間口が、その答えを探す場所になる。来春まで、半年。


日が暮れる頃、ユキハが角まで来た。護衛の仕事は納付で終わっている。つまり、これは仕事じゃない。


「負けたね」


「負けた。……慰めに来たのか」


「見に来たの。あなたが次に何をするか。一番前の席だって、前に言ったでしょ」


それから彼女は、何もない間口を眺めて言った。


「ここ、何の店にするの」


「決めてない。決めてないけど、考えることは決まってる。量で勝てない相手と、量以外の何で張り合うか。それをこの角で考える」


「ん。決まったら、また矢を運ばせて」


帰り際、もう一度だけ一等地の角を見た。よく見ておく。次にここへ来る時は、見上げる側じゃないつもりだから。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その34】

・負けたら中身を仕分ける。腕の負けか、量の負けか。仕分けないと、次に直す場所を間違える。

・量の負けは、同じ土俵で積み直しても追いつけない。相手も積むから。

・上限の内側で買った二等地は、逃げじゃなくて着地。土俵を選び直す足場になる。

◇――――――――――

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