表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/59

第33話 在庫の14万は、即金の7万

開札まで3週になった週、カイエンが販売所に現れた。紋章は〈東街道商会〉。ヴァンガードを出て、自分の商会を構えたのは聞いていた。二等地に机ひとつ借りて、卸の仲介から始めているらしい。


売り場で立ち話も何なので、奥の帳場に通した。カイエンは棚をひと往復だけ眺めてから座った。品揃えを検分する目つきは、買い付け屋の頃のままだ。


「久しぶりだな。商会の看板は板についたか」


「おかげさまでね。仲介ってのは、あんたを見て覚えた商売だ。……で、本題だ」


「今日は売り込みじゃない。忠告と、探りだ。まず忠告から。——店舗権の払いの決まりは読んだか」


「読んだ。落札したら、その日のうちに全額を即金で納める」


「そうだ。で、あんたの帳面、在庫が混ざってるだろう。入札台の上では、在庫は無いのと同じだぞ」


言われて、その場で帳面を開いた。カイエンの前で開くのは癪だが、癪より勘定が先だ。


資産82万5800。内訳は、現金68万5800と、在庫が仕入値で14万。在庫の中身は、この夏あんたの古巣から引き取った鉄の残りが4000個で10万4000、あとは塩と砥石と矢で3万6000。


この14万は、いつもの売り方なら14万かそれ以上で現金になる。だが「その日のうち」となれば話が別だ。板にまとめて投げれば、値を自分で壊しながら売ることになる。買い叩かれて、せいぜい7万。半値だ。


「……つまり、今日の俺が入札台で使えるのは68万5800。82万じゃない」


「分かってるじゃないか。うちは在庫の山ごと入札台に上がって恥をかいた側だからな。同じ恥は見たくない」


恥の話をする時のカイエンは、少しだけ楽しそうだ。高い金を払って買った教訓は、人に配りたくなるものらしい。俺も倉庫の前で指が動かなかった夜の話を、たまに人にする。同じ側の人間ということだ。


「ひとつ聞いていいか。その忠告、あんたに何の得がある」


「探りとセットだと言ったろう。それに」カイエンは帳場の天井を見た。「うちの商会は、あんたの定期便に荷を載せて回ってる。あんたが入札の払いでつまずいて便が乱れると、うちの商いが困る。忠告は、うちの荷物のためでもある」


筋の通った損得だった。善意より、こういう理由のほうがよほど信用できる。


「で、探りのほうは」


「うちは二等地の中央を狙う。あんたがどこに書くかで、うちの札の書き方が変わる。それを聞きに来た」


「俺は一等地に書く」


「……正直に言うものだな」


「隠す理由がない。あんたと俺の札がぶつからないなら、互いの見積もりは荒れずに済む。競り合いってのは、始まる前に避けるのが一番安い」


「取引所の噂は聞いてるか」


「聞いてる。その上で、自分の数えた値段までは書く」


カイエンは何か言いかけて、やめて、短く笑った。


「……いや、いい。開札の日にな」


競争相手というのは、ああいう距離感でいい。値段の情報は交換しない。土俵の位置だけ教え合う。それだけで、互いに無駄な高札を書かずに済む。


その夜から、在庫の入れ替えを始めた。急がず、3週かけて。


鉄は、テツジンの連盟への納入を前倒しする。バルガの鍛冶場で、理由ごと話した。


「残りの鉄、納入を2週前倒しさせてくれ。値はいつもの30固定のままでいい」


「かまわんが、何かあったのか」


「入札の払いが当日即金なんだ。手元を現金に寄せておきたい」


「……借りろと言った時は断ったくせに、都合は言うんだな」


「都合を言える相手にしか、断りも言わないよ」


テツジンは笑って、納入の表を書き換えた。理由を言えば、前倒しはただの日程の相談になる。理由を隠せば、足元を見られる交渉になる。


塩と砥石と矢は販売所の棚と木曜便で、いつもの値のまま捌く。棚は入札の週だけ薄くなるが、負ければ金はそのまま戻るし、勝てば店の仕入れでどうせ組み直しだ。


急いで売れば7万にしかならない14万を、3週かけてまるごと現金にする。物の値段には「いくらで売るか」の他に、「いつまでに売るか」が入っている。時間を持っている人間だけが、値札どおりの金額を受け取れる。時間がない人間から、市場は割引料を取る。この夏のカイエンが払わされたのが、まさにその割引料だった。


週の終わりごとに、現金の欄が太っていくのを確かめた。1週目で現金73万2000。2週目で78万1000。棚の薄くなった販売所を見て、ガロが「店じまいみたいで縁起が悪い」と顔をしかめたが、店じまいじゃなくて衣替えだ。衣替えの間も、仕入れの約束は止めない。島の鉄も硫黄石の口銭も、契約はいつもどおり回っている。細くするのは、うちの棚の在庫だけだ。


ユキハには、開札当日の護衛を頼んだ。


「大金を持ち歩く日があるってこと?」


「開札の日にね。落札したら、その場で払う」


「分かった。その日は矢筒を満タンにしていく」


仕事の中身を聞いて、装備の重さを量り直す。護衛のプロの返事だった。


資産、82万5800ゼル。この9週、取引網の純利は、護衛の増員と荷置き場の借り増しと入札の支度で、ほぼ相殺している。総額はほとんど動かないまま、中身の置き換えだけが静かに進んでいく。


開札まで、あと1週。やることの一覧は短くなった。在庫を流す。上限の計算を仕上げる。当日、決めた数字を書く。短い一覧ほど、ひとつずつが重い。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その33】

・在庫の値段には「いつまでに売るか」が入っている。3週なら14万の在庫も、今日中なら7万。

・入札台の上で物を言うのは現金だけ。在庫は数えない。

・現金にする段取りまで含めて、初めて「使える資産」と呼ぶ。

◇――――――――――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ