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第32話 授業料は1200ゼル

封印入札で戦うのは、月末が初めてになる。ぶっつけ本番は商人のやることじゃない。だから練習を買いに行った。


アルテガの競売所は、毎週金曜の昼に小口の封印入札をやっている。中古の設備、没収品、倉庫区画の月貸し。1件の参加料は300。落札まで名前は伏せられ、開札のあとに全部の札が壁に張り出される。仕組みは月末の店舗権とまったく同じで、額だけが小さい。場数を金で買うには、ちょうどいい値段だ。


最初の金曜、札を入れる前に、まず1時間の見学から入った。出札者の顔ぶれ、開札の段取り、張り出しの読み方。買う前に、まず市場そのものを見る。露店を始めた頃から、順番はずっと同じだ。


見学の締めに、その日の1回目。没収品の雑貨箱に札を入れた。


中身は目録で見える。ランプ油が8本、革ひも、砥石のかけらがひと山。うちの販路で売り直せば4800というのが俺の見積もりだった。だから札には——5500と書いた。


どうしても勝ちたかった、というのが正直なところだ。練習で負けたら練習にならない気がした。書いた瞬間は、攻めた札のつもりでいた。この時点でもう間違えている。


落札した。受け取った箱は目録どおりの中身で、つまり見積もりの前提は正しかった。ランプ油は販売所の棚で、革ひもはエルムの工房で、砥石のかけらは研ぎ屋で、それぞれ2日かけて捌いて売上4900。差し引き600の損。見積もりは100しか外していないのに、損は600出た。


開札のあと、壁に張り出された札の一覧を見て、損の理由が数字で分かった。7枚の札は、3200、3600、3900、4200、4400、4700、そして俺の5500。真ん中あたりの4200前後に、たぶん本当の値打ちがある。7人の見積もりの平均は、真実からそう遠くない。そして勝つのは、平均から一番上に外れた札。つまり封印入札の勝者は、その場で一番高く見積もりを間違えた人間だ。勝った瞬間、払いすぎがほぼ確定している。


隣にいた古物商ふうの常連が、にやにやしながら言った。


「初めてか。最初はみんな勝つんだよ。勝って、それから学ぶ」


「……あんたも勝ったのか、最初」


「ああ。荷車をな。あれは高い荷車だった」


授業として、これ以上ないくらい分かりやすかった。


その晩、精算を見たユキハが首をかしげた。


「見積もりはほとんど合ってたのに、損したの?」


「合ってたから損したんだ。俺より安く見積もった6人は、1ゼルも払ってない。見積もりの腕と、儲けの出来は、封印入札だと別の勝負になる」


「……なにそれ。感じわるい仕組み」


感じは悪いが、仕組みは仕組みだ。感じの悪さに文句を言っても、月末の封筒は開く。だから文句じゃなく、対策を書く。


2回目、翌週。中古の秤と陳列棚のひと山に札を入れた。


今度は手順を変えた。先に「この棚がうちの商いで生む利」から上限を出す。店を持てたら使える品で、上限は3900。そこから利を残す分だけ引いて、札には3400と書いた。勝ちたい値じゃなく、払っていい値を書く。書いてから封をするまで、値を上げたい気持ちが2回来た。2回とも、上限の根拠を読み直してやり過ごした。


負けた。落札は4800。落札した男は上機嫌で棚を運んでいった。俺も先週、あの顔をしていた。


損はゼロ。負け札は、ただで受けられる授業だ。


3回目は、中身の見えない箱だった。目録なし、開けてのお楽しみ。札は入れなかった。見積もれない物には、上限が引けない。上限が引けない物に札を入れるのは、入札じゃなくてくじ引きだ。くじは商売じゃない。


見送った箱の落札は6200だった。中身が当たりだったか外れだったかは、知らないままでいい。降りた勝負の結果を追いかけても、帳面には1行も足せない。


2週間の勘定。損600と参加料2回分の600で、締めて1200。


安い授業料だと思う。月末の本番は、練習の何百倍の額で同じことが起こる。一等地に札を入れる人間は全員、あの角の値打ちを見積もる。全員の見積もりの真ん中あたりに本当の値打ちがあって、勝つのは一番上に外れた誰かだ。隣の絨毯商が自分の区画を100万で買ったからといって、100万が正しかったとは限らない。あの絨毯商が、一番高く間違えた男だった可能性もある。買ってから今日まで商いをして、あの区画は割に合ったのか。それを知っているのは本人だけだ。


だから俺のやることは決まった。あの角がうちの商いで生む利から、俺の上限を出す。札にはそれを書く。勝てるかどうかは、俺の仕事じゃない。俺の仕事は、間違った数字で勝たないことだ。


その夜から、上限の計算を始めた。人通り、間口あたりの棚の数、月商の見込み、仕入れの原価、何年で元を取るか。紙が数字で埋まっていく。この計算は、たぶん人生でやった中で一番大きい買い物の値札になる。急がず、3晩かけることにした。


1晩目で数字を並べ、2晩目で疑い、3晩目で削る。見積もりは、盛るより削るほうが難しい。あの角に立つ自分の店を想像すると、数字がすぐ景気のいいほうへ歩き出すからだ。想像は自由だが、札は自由じゃない。


資産、82万5800ゼル。入札まで3週。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その32】

・封印入札で勝つのは、一番高く見積もりを間違えた奴。勝った瞬間、払いすぎが始まっている。

・札には「勝ちたい値」じゃなく「その物が自分の商いで生む利から出した上限」を書く。

・負け札はただの授業。見積もれない物には札を入れない。

◇――――――――――

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