第30話 雨の週の58ゼル
長雨は、仕込みから12日目に来た。
初日は誰も気にしなかった。雨の日のログインは少し減る、いつものそれだと。2日目、ガロが便の報告のついでに言った。
「バルガの北、露天場はまるごと止まってるぞ。ああいう現場は雨に勝てねえ。うちの会社でも、雨の週は工程表がただの紙になる」
3日目も降った。4日目も降った。競売所の板で、硫黄石は30から38になり、45になった。
値が動いた理由は単純だ。供給が日に500個から、ほぼゼロになった。そして買い手は待てない。〈暁〉と〈鉄花〉は洞窟の中で競争をしている最中で、耐火薬を切らして攻略を止めれば、そのまま負けだ。待てない買い手は、高くても買う。品薄で一番跳ねるのは、いつも「買い手が待てない品」だ。
掲示板では「硫黄石どこ」「板に出た瞬間消える」の書き込みが並び始めた。板の前には、値だけ見て買っていく連中も増えた。値が上がるから買い、買うから上がる。ああいう買いは、雨が上がれば消える。うちが売るべき相手は、雨と関係なく耐火薬を飲み続ける側だ。
ここからが、仕込みの回収になる。
売り方は、買った日に決めてある。45を超えたら半分を直接取引で、残りは板で数日に分けて。天井を当てようとはしない。天井は落ちてから分かるものだからだ。
まず〈暁〉の調薬班に連絡を取って、2000個を1個55で卸した。板の値より安い。その代わり、まとめて確実に、今日渡す。島の廃坑にそのまま置いてあった石が、船便と木曜便で翌朝には現地に着く。保管場所を動かさなかった分だけ、こういう時の足が速い。
受け渡しの朝は、俺も便に乗った。調薬班の責任者は、荷を検めるなり肩の力を抜いた。
「助かった。板で買い負け続きで、正直、今夜の攻略は諦めかけてた」
「うちは今日の分を売っただけだ。続きの話は、雨が上がったらしよう」
続きの話の中身は、もう頭にある。だが売り込みは今日じゃない。相手が一番困っている日に恩を着せる商人は、長持ちしない。
切らしかけの調薬班にとっては、板で1個ずつ競り合うより、55の即納のほうが値打ちがある。レンからは「調薬班がお前を拝んでた」と報告が来た。ついでに、クランに入らないかと勧誘までされたらしい。断っておいたと、レンが勝手に俺の返事まで済ませていた。正しい返事だ。
拝まれるほどのことじゃない。こっちも売り先を競らずに固めたんだから、お互い様だ。
残り2000個は、板で3日に分けて流した。一度に出せば自分の売りで値を潰す。小分けなら潰さない。平均で1個61。
最後の売りのあと、板は一時63までついた。取りこぼしは4000ほど。追いかけなかった。天井で売り抜けるのは相場の名人の芸で、俺の仕事は決めた売り方を守ることだ。5日目に雨が小降りになると、値は50台へ落ち着き始めた。慌てて高値を追った連中の分だけ、下りも早い。
売上は、55で11万、61で12万2000。合わせて23万2000。仕入れの12万を引いて、利益11万2000。
引き際の24は、一度も使わずに済んだ。使わずに済んだが、決めてあったから4日目の45でも平静でいられた。降りる場所を決めてある人間だけが、上がり続ける板を落ち着いて眺められる。
夜、勘定のあとで、もうひとつの計算をした。勝った時ほど、これをやる。
この11万2000のうち、読みの分はいくらで、運の分はいくらか。
雨が来なくても、攻略が進めば値は45にはついたはずだ。45で全部売れば売上18万、利益6万。そこまでが読みの分。残りの5万2000は、雨が前倒しで来た分——つまり運だ。
読み6万、運5万2000。ほぼ半々。帳面にも2行に分けて書いた。次も同じ張り方はしていい。だが次も11万勝てると思ったら、それは運を実力に数える帳簿で、ヴァンガードの倉庫と同じ壊れ方をする。
ユキハが精算を横で見ていて、短く聞いた。
「嬉しくないの?」
「嬉しいよ。半分だけ」
「半分?」
「読みが当たった6万は、次も狙える。雨の5万2000は、次は来ないかもしれない。喜ぶのは狙える分だけにしてる」
「……そういうところ、堅実っていうか、けち」
「けちで結構」
「ね、最初からこの雨、当てにしてたの?」
「当てにはしてない。降らなくても勝てる形にしておいて、降ったら大きく勝てる形にした。天気は読めない。読めない物には、両側に備えておくんだ」
「ふうん。備えの話だけ聞くと、護衛の仕事と似てる」
相場で長生きするのは、派手に勝つ奴じゃなくて、勝ちの中身を数えられる奴だと思う。それと、外れた時の置き場を先に作っておける奴だ。
資産、81万7000ゼル。入札まで5週。目標まで、あと18万3000。
30万足りなかった秋の勘定が、ようやく射程に入ってきた。ただし浮かれる前に、やることがある。雨は上がる。上がれば露天場は動き出して、硫黄石の値は落ち着く。そして島の廃坑では、今日も邪魔な黄色い石が掘り出されている。
この石の商いを、雨の日だけの話で終わらせない方法があるはずだ。
売り先の顔ぶれも、もう見えている。雨の間、一番困っていたのは誰か。困りごとの記録は、そのまま次の商いの客名簿になる。
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【行商人の帳面 その30】
・品薄で一番跳ねるのは、買い手が待てない品。待てない事情の分だけ、値は上に伸びる。
・勝ったら、読みの分と運の分を仕分ける。次も狙えるのは読みの分だけ。
・運を実力に数え始めた帳簿は、いつか同じ形で壊れる。
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