第31話 臭い石
鶴嘴は、柄が手に馴染まなかった。
渡し船の上で、島の一人がそれを見て笑った。
「定期便さんが、掘るのか」
「掘らない場所を、見に行く」
島の5人は、顔を見合わせた。笑いが、少しだけ引っ込んだ。
廃坑の入口は、海風で白く乾いていた。中に入ると、空気が湿って、ひやりと背中に張りつく。鉄を掘っている本坑は、灯りが並んでいる。その奥、板で塞いだ横穴があった。
「そこは、掘らない場所だ」
板を外すと、臭いが来た。腐った卵。鼻の奥まで入ってきて、目が少し沁みる。
灯りを差し入れる。岩の層に、黄色い筋が走っていた。指の幅で、斜めに、奥まで。
鶴嘴を入れた。黄色い層に刃が入ると、臭いが倍になった。崩れた塊を拾う。軽い。鉄より、ずっと軽い。手袋の上から、粉が黄色く残った。
「これだ。硫黄石だ」
「それ、何になる」
「火に強い剣になる。らしい」
島の一人が、板の陰で鼻をつまんだまま言った。
「臭いのに、か」
「臭いから、誰も掘らなかった。だから競売に1個も出ていない」
◇
〈暁〉の調達担当からのメッセージは、その夜に来た。
『前衛80人に5個。400個。1個750まで出す』
翌朝、もう1通。差出人は〈鉄花〉の調達担当だった。レンの名前は出ていない。
『硫黄石、あるなら400。値は相談で』
2つのクランが、同じ石を、同じ日に欲しがっている。
手帳を開いて、競らせる道を1行書いた。
〈暁〉に750、〈鉄花〉に「相談」。相談の値を、800にする。〈暁〉が聞きつければ、850。競らせれば、1000まで行く。800個で、25万の差。
その1行を、消した。
競らせた石を、どちらかのクランが1000で買う。その1000は、第三層で前衛が死なないための値だ。死なないための値を、俺が競りで吊る。それは、祭りの朝に、矢の足りない狩人の足元を見て矢を22で売っていた隣の男と、同じやり方だった。
750で、両方に400。それだけにした。
◇
「うちは、道だけ引く」
渡し船で、5人にそう言った。
「島が掘って、島が売る。買い手は〈暁〉と〈鉄花〉。うちは買い手を見つけて運ぶだけで、仲介の3分と、船便の運賃だけもらう」
「あんたが買って、売ればいい。差は全部あんたのもんだ」
「60万の石を、俺の倉庫で寝かせたくない」
5人の一人が、指を折った。750掛ける800個。
「60万……」
「島の金だ。うちの3分は、1万8000。船便が4000。それで十分だ」
「欲がねえな、定期便さん」
「欲はある。入札の日に、手元の現金が60万減ってるのが嫌なだけだ。石を俺が買えば、クランからの入金は納品のあとで、入札には間に合わない」
5人は顔を見合わせて、それから、鶴嘴を5本持って坑道へ降りていった。
◇
3週間、報告は短かった。
『1週目。210個。臭い』
『2週目。290個。板を2枚足した。臭い』
『3週目。300個。終わり。風呂に入っても臭い』
合わせて800。渡し船の底に、黄色い粉が溜まって、リーデンの港に着くまで、ユキハは御者台で鼻を袖で押さえていた。
受け渡しの日、〈暁〉の倉庫番は、石を見る前に拝んだ。玄鋼のときと同じ合掌だった。〈鉄花〉の担当は、石を1つ持ち上げて、臭いに顔をしかめて、それから黙って400個数えた。
◇
入札まで3週、の夜に精算した。
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【秋の上乗せ 精算】
・網の利 7週で7万(うち2週は見込み)
・木曜便と行きの荷台 6000
・秋の塩 1万袋で2万(うち半分は見込み)
・硫黄石の仲介3分 1万8000
・船便 4000
・鉄3000個、簿価26を29で 9000
合計 12万7000
69万6720+12万7000=82万3720
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書いて、しばらく眺めた。
届かない。
100万に、17万6280足りない。
数字は、秋の初めから分かっていた。分かっていたのに、眺める時間が、いつもより長かった。
講義で習った言葉なら、キャッシュフローだ。キャッシュフローとは、利がいくらかではなく、現金がいつ入っていつ出るかのことをいう。この場面では、石を自分で買えば利は大きいが入札の日に現金が60万減る、だから利の小さい仲介を選んだ、というのがそれに当たる。——それで、17万6280届かない。
「100万に、届かなかった?」
金曜の御者台で、ユキハは手帳を見ずに聞いた。
「届かなかった」
「ふうん」
矢を1本抜いて、戻した。
「石、臭かったね」
「臭かった」
「わたし、3週間ずっと船に乗ってたけど。島の人、最初の週は鼻をつまんで掘ってて、3週目はつまんでなかった。慣れるんだね、あれ」
俺は、掘っている5人の顔を見ていなかった。石の数しか、見ていなかった。
◇
その夜、アルカからウィスパーが来た。フレンド申請のあと、初めてのメッセージだった。
『全部断ったんだって聞いた。連盟の弟子から』
『……噂の道筋が、いつも同じだな』
『鉄と同じ道を通るんだよ、噂は』
少し間があった。
『わたしは、あなたが断った3本と、どれとも少し違う道。借りるでも、出資でも、前受けでもない。4本目の金の集め方』
『4本目?』
『秋に、会場で。札の額を見たら分かる』
それきり、落ちた。
4本目。借りず、出資も前受けも受けずに、100万を集められる道が、あるのか。
手帳の最後の行に書いた。——入札まで、あと3週。
17万6280、届かない。それが分かっている日と、それでも届け、と思う夜が、交互に来る。
【資産】82万3720ゼル。
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【行商人の帳面 その31】
・金が入る日と出る日がキャッシュフロー。利が大きくても、入札の日に現金が減る道は選ばない。
・大きい取引は、自分の金で抱えずに仲介だけする。60万の石は島の金、うちは3分。
・二つの買い手を競らせれは25万の差が出た。その25万は、死なないための値を吊った金になる。書いた道は消す。
・検算:島の取り分60万÷5人=一人12万。3週間で、うちの網の利の3か月分。仲介した側の3分は、それで釣り合う。
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