第20話 草が1束19ゼル
買い占めは、丁寧で、力ずくだった。
ヴァンガードの買い付け班は60人。競売所と各都市の売り板に張りつき、アカツキ草と鉄鉱石とポーションを、出た端から言い値で吸い上げていく。1200人分のレイド収入が原資だ。物量が違う。
転移門を、あいつらは惜しみなく使った。片道1000ゼルを60人が1日に何往復もする。荷物は20キロしか持てないが、買い付けに荷物は要らない。買った品は競売所の倉庫に置いたままでいい。金で距離を消せる連中には、4時間半の街道は存在しないのと同じだった。
やり口も、素人じゃなかった。一気に買うと値が跳ねて仕入れが高くつくから、最初の3日は静かに、板の下のほうから薄く薄く買う。値が動き始めてから一気に踏む。カイエンの設計だろう。腹立たしいことに、腕はいい。
10日で、相場が壊れた。
アカツキ草、4ゼルから19ゼル。
鉄鉱石、28から70。
ポーション、30から90。
「ポーション90って何!? 初心者に死ねって言ってんの!?」
スターディアの広場は、その話題で持ちきりだった。狩りに出られない初心者。材料が買えず店を閉める小さな調薬師。武器の修理代を見て青ざめる剣士。
値が上がり始めると、もう一つのことが起きた。
まだ上がっていない品まで、みんなが買い始めたのだ。「次は砥石が来る」「干し肉も買っとけ」。ヴァンガードが一度も触っていない砥石が、5から9になった。買ったのはヴァンガードじゃない。怖くなった普通のプレイヤーだ。
講義で習った言葉なら、パニック買いだ。値段が上がるから買う。買うから上がる。この輪が回り出すと、実際に足りているかどうかは関係なくなる。みんなが「明日はもっと高い」と信じた瞬間、今日の値段が跳ねる。買い占めが作った値上がりの半分は、たぶん買い占めと関係ない人間が作っていた。
噴水前の草の買い取りには、見慣れた顔が青い顔で並んだ。
「お兄さん、今日も5ゼルで買うの? 板だと19で売れるよ?」
革鎧の少年——今はもう革鎧じゃなくて、そこそこの鎖帷子だが——が、遠慮がちに聞いてきた。
「売っていいよ、19で。あんたの草だ」
「え、いいの?」
「ただし覚えときな。19はヴァンガードの都合の値段だ。あいつらの都合が終わった日、19は消える。消えたあとも、うちは5で買ってる」
少年は半分を板で売り、半分をうちに売った。賢い配分だと思う。全部をどちらかに張らない。誰かさんの失敗が、ちゃんと他人の教材になっている。
ヴァンガードの狙いは単純だ。市場の在庫を独占して、レイド前の需要期に3倍値で売り抜く。買い占めた在庫の評価額が上がり続ける限り、彼らの帳簿の上では毎日が黒字だった。
一方で、ゼノヴィスの配信は連日盛り上がっていた。『見ろよこの含み益。レイドより効率いいかもな』。画面には在庫評価額のグラフが右肩上がりで映る。コメント欄には称賛と、出資希望の書き込み。1200人のクランに、さらに人が集まっていく。
グラフを見ながら、俺は攻城戦の週の自分を思い出していた。倉庫の鉄が輝いて見えた、あの目。あれと同じ目を、いま3万8000人が同時にしている。
含み益ってのは、まだ誰の財布にも入っていない金だ。それで買えるのは、気分だけ。
俺の網は、最初の10日を無傷で立っていた。
契約価格は固定だ。テツジンへの鉄は30のまま。ミレイユへの草も6のまま。相場が70だろうが90だろうが、約束の値で約束の量が流れる。
だが、11日目に電話が鳴った。比喩だ。ウィスパーが鳴った。
『すまん、定期便さん。今週の鉄、納められん』
仕入先の採掘プレイヤーの一人だった。声が小さい。
『ヴァンガードが坑道の出口で待っててな。掘った端から70で買うって言うんだ。あんたへの卸は25だろ。差が……その、でかすぎて』
責められない。1個45ゼルの差だ。彼は生活のために掘っている。
「契約を破るなら、違約の扱いはうちの規定どおりだ。今後の取引はなし。……でも、今週分をどうしても70で売りたいなら、止めはしない。あんたの鉄だ」
『……怒らないのか』
「怒っても鉄は湧かない。それより、一つだけ考えてから決めてくれ。70で買うって奴らは、来月もあんたの坑道の前にいると思うか?」
長い沈黙のあと、彼は今週分を納めてきた。25で。ただ、彼のほかにもう一人の仕入先は、70を選んで消えた。それが人間ってもので、網ってのは、そういう穴と一緒に運用するものだ。
『あと、これは言っといたほうがいいと思って。あいつら、あんたの仕入先を名指しで回ってる。「定期便に卸すな、うちは倍払う」って。……あんたの網、狙い撃ちにされてるよ』
ウィスパーを切って、俺は倉庫の在庫表を開いた。
3都市の倉庫。契約12件。定期便の馬車2台と、積み上げた3か月の在庫。
殴り合いなら、1200人のクランに勝ち目はない。一の位から数えるまでもない。買い上がりの資金力でも向こうが上だ。真正面から売り浴びせて相場を潰す手もあるにはあるが、うちの在庫では弾が足りないし、そもそも——相場を潰したら、うちの契約網の生産者たちまで巻き添えになる。
攻めるのは、なしだ。
じゃあ、何をする。ヴァンガードの計画の急所はどこだ。あいつらの筋書きは「独占して、高く売る」。この筋書きが成立する条件は、たった一つ。困った人間が、最後には高値で買うこと。
——だったら、困った人間が高値で買わずに済む世界を作ればいい。それだけで、あの筋書きは丸ごと空振りになる。
御者台で隣に座っていたユキハが、在庫表を覗き込んだ。
「顔、祭りの前と同じになってる」
「どんな顔?」
「計算が終わった顔。で、何するの」
「店を開く」
「……買い占めに対して、店?」
「あいつらが囲ったのは板だ。板の外で、使う人間に直接売る。そうすれば、90のポーションを買う奴がいなくなる」
「一人5個まで、とか?」
「……なんで分かった」
「あなたが草の買い取りを1日100束で止めてたから。この人は上限を決めるのが好きなんだなって」
「戦い方は、こっちで決めさせてもらう」
◇――――――――――
【行商人の帳面 その20】
・値段が上がるから買う。買うから上がる。この輪がパニック買い。足りているかどうかは関係なくなる。
・買い占めが作る値上がりの半分は、怖くなった普通の人が作る。
・含み益はまだ誰の財布にも入っていない金。買えるのは気分だけ。
・独占の急所は「困った人が最後には高値で買う」という一点。そこが崩れれば筋書きごと崩れる。
◇――――――――――




