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第12話 【お知らせ】実装延期のお詫び

その告知は、金曜の夜に出た。


―――――――――――――――――


【お知らせ】新コンテンツ「攻城戦」について

開発中の不具合により、実装を延期いたします。

新たな実装時期は未定です。決まり次第、改めてお知らせいたします。

楽しみにお待ちいただいていた皆様に、深くお詫び申し上げます。


―――――――――――――――――


未定。


その2文字を、俺は倉庫の前で10回は読み直した。


延期じゃない。延期なら日付がある。「未定」には日付がない。日付のない約束は、商いの世界では約束と呼ばない。


運営を恨む筋合いは、ない。ゲームの実装が延びるなんて、業界じゃ日常だ。告知には最初から「調整中」と書いてあった。読み飛ばしたのは俺で、読み飛ばした部分にこそ、値札がついていた。


掲示板は荒れた。「はい解散」「クラン練習してたのに」「運営仕事しろ」。だがそんなものは、対岸の火事だ。俺の火事はここにある。倉庫の中に、2万9000ゼル分。


倉庫の扉を開けて、鉄の山を見た。3日前まで、この山は輝いて見えた。値上がりする未来の分だけ、実際の体積より大きく見えていた。いま見えているのは、ただの鉄だ。2万4600ゼルで買った、市場が引き取ってくれるかどうかも分からない、600個の重い石。


物は、何も変わっていない。変わったのは紙切れ1枚——告知1本だ。それだけで、山の意味が変わる。相場ってのは、そういうものだった。知ってたはずなのに。


講義で習った言葉なら、外部リスクだ。自分の読みがどれだけ正しくても、市場の外から来る1本の告知で、前提ごとひっくり返る。運営の仕様変更。天災。法律。このゲームで「運営」は、天気と同じだ。読めないし、文句を言っても変わらない。読めないものに全部を張った。それが俺の間違いの、正しい名前だ。


土曜の朝、鉄鉱石の相場は40から31に下げた。


攻城戦を見込んで買っていたのは、俺だけじゃなかった。攻略クランの倉庫番たちが、いっせいに在庫を投げ始めたのだ。実装が「未定」なら、寝かせておく理由がない。


―――――――――――――――――


【売り板】鉄鉱石

31ゼル ×2000

30ゼル ×4500

29ゼル ×8000

28ゼル ×12000


―――――――――――――――――


売りが階段になって積み上がっていく。買いは、どこにもいない。板ってのは正直だ。全員の本音が、値段の形で並ぶ。


日曜、26。


月曜、22。


売り板に並ぶ鉄の量は、まだ増え続けている。


月曜の夜、ウィスパーが1件来た。ユキハだった。


『倉庫、どうするの』


『考え中』


『そう。……ご飯は食べなよ』


飯の心配をされる程度には、ひどい顔でログインしていたらしい。アバターの顔は現実の表情と連動する設定にしていた。切っておけばよかった。


『あと、ひとつだけ。わたし、倉庫で言ったこと、言い過ぎたと思ってない。でも、言ったあとに何も手伝わなかったのは、護衛として半端だった』


『護衛の仕事は狼だよ。相場は俺の仕事』


『知ってる。だから今、護衛じゃなくて、友達として聞いてる。倉庫、どうするの』


返事は、書けなかった。


待つか。切るか。


待てば、いつか攻城戦は来る。来れば40どころか60もあり得る。だが「いつか」はいつだ? 半年後? 1年後? その間、俺の商売の元手は倉庫の中で凍りついたままだ。週500ゼルの倉庫代を払いながら。


手が動かなかった。


売値画面に数字を入れては、消した。22で売れば、確定で大損だ。画面を閉じれば、損はまだ「含み」のままでいてくれる。


言い訳なら、いくらでも湧いてきた。攻城戦はいつか必ず実装される。運営は開発費を回収しなきゃいけないんだから。それまで持っていれば、いつかは40に戻る。いや60だってあり得る。ほら、損してない。これは損じゃなくて、長期投資——


「……長期投資、ね」


口に出したら、自分の声が嘘くさくて笑えた。3日前の俺は「1、2か月で実装」と読んで買った。読みの根拠が崩れたのに、結論だけ守ろうとしている。買った理由が消えたなら、持っている理由も消えているはずなのに。


——それは損じゃなくて、ただの先送りだろ。


分かってる。講義で習った。人間は利益より損失を2倍強く感じるから、損切りが遅れる。プロスペクト理論。教科書で読んだときは「ふうん」で済んだ。


自分の番になると、指が動かない。


教科書と現場の距離ってのは、つまりこういうことか。教科書は「人間はこう間違える」と教えてくれる。教えてもらっても、間違えるときは間違える。知識は、痛みの予告にはなっても、麻酔にはならない。


俺は倉庫の鍵を握ったまま、月曜の夜を明かした。


夜明け前、一つだけ決めごとができた。売るにしても、全部は売らない。実需——鍛冶屋が明日も使う分——だけは、値段に関係なく生き残る需要だ。投機の分は死んだが、実需の分はまだ生きている。だったら、死んだ分だけ切ればいい。


全部買うか、全部売るか。その2択しか見えてなかった頭に、初めて「分ける」という言葉が浮かんだ夜だった。高い授業料の、最初の受講内容がこれだ。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その12】

・自分の読みの外から来るものが外部リスク。運営の告知、天気、法律。読めないし、文句を言っても変わらない。

・読めないものには、全部を張らない。

・買った理由が消えたら、持っている理由も消えている。

・全部買うか全部売るかの2択の前に、「分ける」を考える。

◇――――――――――

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