第11話 全部、鉄に張った
祭りから1週間後、運営の生放送があった。
『次期大型アップデートの映像を、少しだけお見せします』
映ったのは、城壁だった。巨大な攻城櫛が壁に取りつき、投石機が火の玉を放つ。
【新コンテンツ:攻城戦】
クラン対抗・拠点争奪戦
実装時期:調整中
放送のコメント欄は沸騰した。クラン連中は今から編成の話をしている。レンからも即ウィスパーが来た。『見たか!? うち攻城戦ガチるから! 城取ったら遊びに来いよ!』。城を取る前から城主気取りだった。
俺はといえば、放送の映像を3回巻き戻して、攻城櫛の映像を数えていた。木の骨組み、鉄の補強金具、車輪。投石機の腕木、カウンターウェイト。どれだけの材料が要る建造物か、目算で拾えるだけ拾った。
祭りの前と、同じ手順。同じ興奮。頭のどこかで血が沸く音がしていた。今度の波は、祭りより大きい。
攻城櫛。投石機。あれは誰が作る? ——生産職だ。材料は? ——鉄と木材。
つまり、実装されたその日、サーバー中のクランが鉄と木材を買いに走る。
今の鉄鉱石の相場は1個40ゼル。祭り前の矢と同じ構図だ。需要が来ると分かっている。先に立って待てばいい。
祭りと同じ。同じはずだ。
——同じ、だよな?
頭のどこかで小さな声がした。祭りには開催日があった。今回は「調整中」だ。でも俺はその声を、実績の音量で上書きした。俺は祭りで読み勝った。あの成功の形をなぞれば、次も勝てる。3万を6万に、6万を12万にする最短の線が、目の前に引かれている。
計算もした。一応な。攻城兵器1台に鉄鉱石50個、木杀20本。5万人のサーバーで参加クランが300として、1クラン3台作れば——鉄が4万5000個。いまの市場流通量の5倍だ。完璧な計算に見えた。
穴は、計算の中身じゃなくて、前提にあった。「実装されたら」という前提に。前提の上に載った計算は、どれだけ精密でも、前提ごと落ちる。
翌日から、俺は買いに回った。
バルガの競売所で、鉄の売り板を端から取っていく。40ゼルで200個。41で200個。42でさらに。買えば買うほど板が薄くなって、俺の買いが相場を押し上げていくのが分かった。指が熱かった。この熱さの正体を、当時の俺は「手応え」と呼んでいた。いまなら別の名前で呼ぶ。
3日かけて、鉄鉱石を600個、2万4600ゼル。エルムの木材を250本、5000ゼル。バルガに小さな倉庫を借りて、週500ゼル。
塩と砥石の往復は「効率が悪い」と思って、その週は休んだ。一晩700ゼルの商いが、3万の張りの前では小銭に見えた。
——この感覚がもう、病気だったんだと思う。
【所持金】2840ゼル
3万2000あった所持金が、3日で干上がった。倉庫には鉄と木材の山。祭りの再現だ。あの時も現金は消えて、山になって、倍になって帰ってきた。
祭りの夜に手帳に書いた「現金は1割残す」は、書いた本人が3週間で破った。1割どころか、1分もない。
倉庫の施錠をしていると、荷運びを手伝ってくれたユキハが山を見上げて言った。
「……全部?」
「ん?」
「持ち金、全部これに変えたの?」
「ああ。実装が来れば倍じゃきかない」
ユキハはしばらく黙っていた。弓使いの目は、的を見るときみたいに細かった。
「実装、いつ?」
「調整中、だけど。この規模の告知なら1、2か月だろ」
「……祭りのとき、あなた言ったよね。3割までって。全部取れる規模の人間は、値段を作れてしまうって」
「言った」
「今日、板の値段、あなたが動かしてたよ。40が42になるの、横で見てた」
「……それは、買いが入ったから上がっただけで」
「うん。あなたの買いで」
言い返せなかった。言い返せなかったのに、俺はその日、倉庫の鍵を閉めた。
「弓道でね、大会の前に調子がいい人って、練習で一番やっちゃいけないことをするの」
「何を?」
「射数を増やす。当たるから、もっと引きたくなる。で、肩を壊す」
「……俺は肩を壊してない」
「まだね」
彼女はそれ以上言わなかった。言わないで、荷車の空いた席に座って、帰り道ずっと弓の手入れをしていた。責めない人間の沈黙ってのは、責められるより長く残る。
その数日前、ミレイユにも似たことを聞かれていた。「攻城戦が来るなら、わたしも草を買い込んだほうがいい?」と。俺はこう答えた。「やめときな。攻城戦でポーションの需要がどれだけ増えるか、まだ誰にも分からない。分からないものに張るのは投機で、あんたの本業は調薬だ」。
我ながら、まっとうな助言だった。まっとうな助言ってのは、どうして他人にはできて、自分にはできないんだろうな。
鉄がどれだけ要るかも、実装がいつかも、本当はまだ誰にも分からなかったのに。俺は「祭りで当てた俺の読み」という実績を、根拠の代わりに使っていた。実績は過去の話で、根拠は未来の話だ。別物だと気づくのに、あと9日かかる。
講義で習った言葉なら、集中投資だ。一つの読みに全部を載せる。当たれば倍、外れれば——倉庫の中身が全部、ただの石になる。教科書には「期待値が同じなら、分散したほうがいい」と書いてあった。読んだときは、当たり前だと思った。
当たり前のことを、当たり前にできる人間は、たぶん相場で負けない。
このときの俺は、画面の端の「実装時期:調整中」の5文字を、読み飛ばしていた。
正確には——読んではいた。読んだ上で、都合よく訳していた。「調整中」を「もうすぐ」と。
その訳が間違いだったと知るのは、9日後だ。
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【行商人の帳面 その11】
・一つの読みに全部を載せるのが集中投資。当たれば倍、外れれば全部。
・自分の買いで板が動いたら、それはもう「読み」じゃなく「値段を作っている」。
・実績は過去の話、根拠は未来の話。勝った記憶は根拠にならない。
・他人にできる助言を、自分にもする。
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