第9話 矢が飛ぶように売れる
開催初日、朝9時。ゲーム内の空に銅鑼の音が鳴り響いた。
【第一回・大狩猟祭、開幕】
東門から草原へ、プレイヤーの奔流が吐き出されていく。武器を担いだ何千人が、討伐部位を求めて散っていく。土曜の朝だ。リアルの時間で言えば、俺は朝飯を食ってすぐログインした。この3日間のために、レポートは木曜のうちに終わらせてある。
露店の開店準備は30分で済んだ。矢の束を高く積む。砥石は籠に。干し肉は匂いが届く位置に。値札は大きく、読みやすく。
「値段、道具屋より高いのに売れるかな」とユキハ。
「今日に限っては、値段を見る客より、在庫を見る客のほうが多い」
「在庫を見る客?」
「棚にあるかどうかしか見てない客。値札は二の次。祭りの朝は全員そうなる」
30分後、最初の波が戻ってきた。
「矢だ! 矢どこだ! 道具屋空っぽなんだけど!?」
「砥石ある店!? 剣の耐久が半分なんだよ!」
——うちにある。
「矢、1束16! 砥石14! 干し肉24! 並ばず買える!」
ユキハの売り声は簡潔で通った。ガロは手押し車で在庫を切らさず補充する。俺は釣り銭と値札の調整に徹した。
昼前、隣の区画の露店主が値札を見に来た。矢を20束だけ持っていた転売屋だ。俺の16に対して、22の値をつけた。
「なあ、あんたも22にしようぜ。売り切れ市場なんだ、いくらでも通る」
「うちは16でやる」
「馬鹿だな、儲け損なうぞ」
かもね、と返して終わりにした。馬鹿はどっちだ、とは言わない。22の矢は今日は売れる。でも買った客は「足元を見られた」と覚える。16の矢を買った客は「祭りのとき助かった」と覚える。祭りは今回で終わりじゃない。客の記憶は、次の祭りまで持ち越される。
それにな、と内心で付け足す。16でも仕入れの2・7倍だ。十分すぎるほど暴利だよ。
講義で習った言葉なら、価格弾力性だ。今日の矢は、値段を上げても買う量がほとんど減らない。弾力性が低い。だから22でも売れる。でも「今日売れる」と「来月も来る」は別の勘定で、俺が売っているのは来月のほうだ。
隣の転売屋は昼過ぎに20束を売り切って、姿を消した。うちの列は、そのあとも途切れなかった。
矢は昼までに500束、全部消えた。8000ゼル。
「なんでここに全部あるんだよ……道具屋より品揃えいいじゃねえか……」
「神かよこの露店。3日間ここで買うわ」
砥石300個も初日で売り切れた。4200ゼル。
そして草。
ミレイユの工房には約束どおり300束を9ゼルで届けた。2700ゼル。当日の草相場は12。彼女は差額の意味をすぐに理解した顔で、一瞬だけ黙った。それから「次も同じ契約でお願い」と言った。ほらね。
届けに行ったとき、彼女の台所は湯気で前が見えなかった。
「ちょうどよかった、草切れる30分前! そこ置いて! あと悪いけど空き瓶箱ごと取って!」
「はいよ。……繁盛してるね」
「祭り様々よ! ポーション、作った端から売れるの! 1本30ゼル!」
30ゼル。普段の倍だ。材料の草を9で仕入れて30で売るんだから、彼女の釜は3日間、小さな造幣局になる。工房の隅には、もう「新工房資金」と書かれた壺が置いてあった。
残りの700束には、調薬師たちが群がった。
「1束11で買う!」
「うちは12出す! 200束まとめて!」
道具屋に草がない。摘みに行く時間も惜しい。祭りの3日間、草の相場は12ゼルで張りついた。700束、8400ゼル。
2日目の昼、ひやりとする場面が一度だけあった。干し肉の売れ足が読みより速く、夕方には切れる計算になったのだ。祭りの会場で棚を空にする——一番やっちゃいけないやつだ。
リーデンの燻製小屋までは片道2時間半。間に合わない。
「ガロ、スターディアの料理ギルドと肉屋を回れるか。街の中だ。干し肉を200個、1個13までなら出していい」
「街の中なら往復40分だな。13? 仕入れ3割増しだぞ」
「売値24なら10分回る。棚を空けるほうが高くつく」
「段取り8分、か。行ってくる」
ガロは35分で戻ってきた。200個、13ゼルで2600。棚は、空かなかった。
干し肉は3日で500個、1万2000ゼル。
ユキハは売り声の合間に、客の顔を見ていた。
「ねえ、気づいた? 矢を買う人、初日は一人3束。今日は1束ずつ」
「財布が減ってる。討伐部位の交換に金も要るから」
「3日目は?」
「ポーションに依る。体力も耐久も限界だから。砥石の残りがあったら、ポーション売り場の隣に移すつもりだった」
「……売り子やりながら、そこまで見えるものなんだ」
「見えるんじゃなくて、見てる。あんたが的を見るのと同じだ」
「的は動かないよ」
「客も、思ったより動かない」
3日目の夜、銅鑼がもう一度鳴って、祭りは終わった。
露店を畳みながら、ガロがぽつりと言った。
「……あんた、これ全部、2週間前から読んでたのか」
「読んでたというか。告知を読んだだけだよ。矢と砥石と飯と薬が要るって、告知に書いてあるのと同じだ」
「書いてねえよ。俺も同じ告知見たけど、金ぴかの剣しか覚えてねえ」
ガロとユキハに、約束の上乗せを500ゼルずつ払った。ガロは受け取り画面をしばらく眺めて、それから真顔になった。
「次も呼べ。護衛でも荷運びでも」
「高くつくよ、あんたたち」
「馬鹿。相場より高い雇い主のとこにしか、いい人材は残らねえんだよ」
ユキハは受け取りの礼を言ってから、少し間を置いて聞いてきた。
「……次は、何を仕込むの」
「まだ決めてない。祭りみたいな分かりやすい歪みは、そう転がってないから」
「ふうん。転がってたら、教えて。弓弦、また安いうちに買うから」
「教え賃を取るぞ」
「いいよ。その代わり、わたしも教える。今日の客が何を一番最初に見てたか」
「何を見てた?」
「値札じゃなくて、ガロさんの大剣。それから棚。値札は3番目」
看板の効果は、あったらしい。ガロが「ほらな」という顔をした。
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【行商人の帳面 その9】
・値段を上げても買う量が減らないとき、弾力性が低いという。売り切れの朝がそれ。
・だからといって上げすぎない。今日の売値は、来月の客の記憶になる。
・売り時は、棚を見る客が値札を見る客より多いとき。
・棚を空けるくらいなら、高い仕入れでも埋める。空の棚は次の客を失う。
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