表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/58

第10話 祭りのあとの勘定

祭りの翌日は、何も売らなかった。


商いを休む日を作るのは、実は勇気が要る。休んだ1日ぶんの機会損失が、頭の中でチリチリ音を立てる。でも、走りながら数えた銭は、だいたいどこかで数え間違える。売る日と数える日は、分けたほうがいい。


会場の撤収を横目に、東門の外を少し歩いた。3日間で踏み固められた草原に、露店の杭の跡が点々と残っている。祭りの間、俺はこの景色をほとんど見ていなかった。値札と釣り銭と補充の指示で、3日が3時間みたいに溶けた。


レンは限定の外套を取ったらしい。「3日で睡眠8時間」と自慢だか自虐だか分からない報告が来た。あいつはあいつの祭りを、満額で楽しんだわけだ。それでいい。あいつらが楽しく矢を射てくれるから、俺の矢が売れる。


小屋で一人、精算をした。


売上。矢8000、草1万1100、干し肉1万2000、砥石4200。合わせて3万5300ゼル。


ここで、手を止めた。3万5300。この数字を「儲け」と呼びたくなる。呼んだら、負けだ。


仕入が、2日目にガロが走って足した干し肉200個ぶんを入れて1万5100。売上から仕入を引いた粗利が、2万200。


そこから、区画代1260、二人の前金2000と上乗せ1000、手押し車1000。合わせて5260。


差し引き、純利1万4940ゼル。


講義で習った言葉なら、粗利と純利だ。売上から仕入を引いたのが粗利。粗利から場所代と人件費を引いて、やっと純利。3万5300が1万4940になるまでに、2段の引き算がある。この2段を飛ばして「3万儲けた」と言う奴が、次の仕入れで現金を切らす。


【所持金】32940ゼル


初期資金500の、66倍。開始から、ひと月半。


数字を3回見直して、俺はやっと息を吐いた。攻略組が金ぴかの剣を取った3日間で、俺は剣を1本も振らずにここまで来た。


面白いのは、内訳だ。一番の稼ぎ頭は矢でも草でもなく、干し肉だった。仕入10ゼルが24ゼル、500個で粗利6400。誰も「祭りの飯」なんて気にしていなかったから、競合がゼロだった。武器や薬は攻略の話題になる。飯は、ならない。話題にならない需要こそ、一番おいしい。


逆に、一番読み違えたのは矢と砥石だ。昼までに売り切れたのは読みが浅かった証拠で、本当は倍仕込む需要があった。売り切れは店の勝ちに見えて、実は「そこにあった需要を取り逃した」負けでもある。完売を喜ぶ店主は二流。次はもう2割積む。


覚えておこう。みんなが見てる場所に、うまい儲けは残っていない。


100万ゼルへの道のりは、まだ30分の1だ。それでも、ゼロが一つ増える速度は上がっている。塩の40袋から始まって、ひと月半でここまで来たなら——悪くない曲線だ。


午後は、支払いの残りを片付けた。ロッドの工房へは、約束どおり来週から週150束の定常発注を開始する連絡。ミレイユからは「新工房、決めてきた!」と、借家の契約画面のスクリーンショットみたいな自慢が届いた。祭りの金は、俺の懐だけじゃなく、網のあちこちで次の商売に変わっていく。


この感じは、露店の売上の数字より、少しだけ気持ちがいい。理屈はまだ、うまく説明できないけれど。


夕方、草の買い取りを再開しに噴水前へ行くと、常連の革鎧の少年が妙なことを言った。

「あ、お兄さん。もう戻ってきたんだ。……そういえばさ、祭りの前、お兄さんの他にも草を高く買ってた人がいたんだよ」

「——他にも?」

「うん。西門のほうで。1束5ゼルで、毎朝。女の人だったかな。俺、朝はそっちに売って、夜はお兄さんに売ってた」

朝と夜。同じ値段。同じやり口。

「名前、分かるか」

「えっと……アルカ、って名乗ってた。祭りが始まる前の日から、ぱったり来なくなったけど」

「どんな買い方だった? 俺と同じ、束いくらの現金買い?」

「うん、まったく同じ。あ、でも1個だけ違った。あの人、束の中身を検品しなかった。『あなたの摘み方なら大丈夫』って。……なんか、こっちの手つきを最初に1回だけ、じーっと見てた」

検品を省く代わりに、摘み手そのものを見る。時間の使い方が、うまい。

「その人、他に何か言ってた?」

「うーん……『祭りの3日目は矢よりポーション』って独り言なら聞いた。意味分かんなかったけど」

分かる。3日目は武器の耐久も体力も限界で、消耗品の中でも回復系に需要が寄る。俺もユキハに同じことを言った。同じ景色を見ている人間の、同じ独り言だ。

祭りの3日間、草の相場は12で張りついていた。5万人のサーバーで、俺の700束だけであの値なら、もっと上がっていてもおかしくなかったのに——誰かが、俺と同じ側で売っていたとしたら。

計算は合う。合ってしまう。

祭りの3日間、俺は自分の露店の列しか見ていなかった。でも市場全体を俯瞰したら、どこかにもう1本、俺と同じ形の供給の線が引かれていたはずなのだ。西門の側に。静かに。

嫌な気分かと聞かれると、違った。むしろ、少しだけ嬉しかった。この広いサーバーで、金ぴかの剣に目もくれず、草の束の値段を見ていた人間が、俺の他にもいた。

このサーバーに、俺と同じ動きをする奴が、少なくとももう一人いる。

会ってみたい、と思った。会って、何を話すのかは分からないけど。

◇――――――――――

【行商人の帳面 その10】

・売上から仕入を引いて粗利。粗利から場所代と人件費を引いて純利。2段の引き算を飛ばさない。

・3万5000の売上が、1万5000の純利になる。「儲け」と呼んでいいのは最後の数字だけ。

・売る日と数える日は分ける。走りながら数えた銭は間違える。

・完売は勝ちに見えて、取り逃した需要の証拠でもある。

◇――――――――――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ