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欲の理(よくのことわり)  作者: utsu_ro
第一章「世界の正体」
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第2話 我慢

 スーパーは、今日も静かに回っている。人々は黙々と買い物をし、レジを通り、すれ違っていく。誰とも、目を合わせずに。


 私もその中に紛れる。表情を消して、心のないフリをする。じゃないと、"普通"がバレてしまうから。


 ふいに、前の人が缶詰を落とした。私の手が、勝手に、拾い上げようと動く。——慌てて、止めた。こんな世界で"親切"は、自分がまだ"まとも"だと白状するのと同じだから。誰かに見られなかっただろうか。


 私だけ、欲に呑まれない。

 霧を浴びても、私の中の"いちばん強い欲"は暴れ出さなかった。誰もが自分でも知らない欲を腹に飼って生きる世界で——私だけが、空っぽだった。それが隠さなければならない秘密。


 見つかれば、連れて行かれる。

 欲を持たない者はこの世界では厄介な"例外"でしかない。どこへ運ばれ、どうなるのか——それを知る者は誰も、戻ってこなかった。だから私は心を無くしたフリを続ける。


 通りへ出る。

 一見、何も変わらない。人々は店に並び、すれ違い、形だけの挨拶を交わす。けれど、その目はいつも互いを探り合っている。笑みは唇から先へは届かない。

 誰も相手が腹の底に何を飼っているのか分からない。——いや、自分自身ですら、それが暴れ出すまで、知らないのだ。だから皆、上辺だけの軽い言葉を交わしては、すぐに離れていく。深く踏み込めば、何が這い出てくるか分からないから。

 欲が見えない世界では、人の中身も、見えない。

 それでも時折、その中に、何かが完全に壊れてしまった者が混じる。道の真ん中で、誰かに延々と命令を浴びせ続ける男。理由もなく、繰り返し壁を殴り続ける誰か。ああいうのには、近づかないほうがいい。

 私は俯いて、その隙間をすり抜けていく。誰かを気遣いそうになるたびに、その手をぐっと止めながら。


 手が動きそうになるのは、本当に私の心からの行動なのか? そんな事を疑問に感じながら思考を巡らせては、目的なき道を彷徨う。


 部屋に帰る。

 壁一面に、新聞の切り抜きと、地図。それを囲むように、目撃情報を貼り重ねてある。背の高い、黒い人影。あちこちで、ほんの一瞬だけ現れては消える、輪郭の曖昧な"何か"。


 私は、ずっと探していた。

 ——自分が、ほんとうは何を"欲しい"のかを。


 地図には、影が目撃された場所に、印が散っている。どれも、街の"外側"——管理の手がほどけ、人が壊れていくほうへと、寄っていた。欲に堕ちた者ほど、なぜか、あの影へ吸い寄せられていく。

 けれど、外側へ続く道には、検問がある。私みたいな"普通"の人間はそこで連れて行かれてしまう。一人では、近づけない。


 だから、決めた。

 いちばん欲の深い男を、見つけて、追う。欲に呑まれたその足は、きっと、管理の外へ——あの影のもとへ、私を運んでくれるはずだから。


 一棟のビルを見上げる。

 ここだ。


 エレベーターに乗る。

 箱の中はうつろな目をした人たちで埋まっていた。そこへ、ひとり、乗り込んでくる。


 全身黒の、フードを目深に被った男。

 手当たり次第に人のものを奪い、ポケットを盗品で膨らませている。誰よりも、欲が深い。


 ——そして、見つけた。


 私は鞄を胸に抱きしめ、怯えた目を作る。襟を正し、小さく震えてみせる。息をひそめて"我慢"している、ただの女のフリ。


 男の目が、私を捉えた。

 何かに気づいたみたいに、その手が、ゆっくりと伸びてくる。


 怖がる顔をつくるのは、得意なの。

 差し出された手の奥で、私の心臓だけが、静かに鳴っていた。


 伸びてきた手首を、私の手が、掴む。


 逆に。


 男が、息を呑むのがわかった。

 私は、笑う。


 私の"我慢"は——あなたみたいな獲物を、逃さないための、ものだったの。

——彼女が"我慢"していた、本当の理由。

そして、暴れ出さない彼女の"最も強い欲"とは、いったい何なのか。


次話は、また別の誰かの"本性"を。


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