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【ラーメン滅亡】~世界から消えた一杯を取り戻せ~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 ラーメンが消える

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第6話 包丁一本、オタマ一丁

 山門をくぐった瞬間、墓所の守りが途切れた。肌を刺すような殺気が、一気に押し寄せる。


 木立の影から、網代笠の僧が二人、道を塞ぐように現れた。さっき墓所の境界で札を焼かれた、あの連中だ。


「井伊ナオキ。山の守りを頼みに、いつまでも隠れてはおられまい」

「隠れちゃいねえよ。自分の足で、出てきたんだ」


 俺は右手の包丁を握り直した。白い刃が淡く輝き、僧たちがわずかに身構える。


「ほう。舜水の力を得たか。だが、得たばかりの刃で、我らに敵うと思うな」


 僧の腕が振られた。札が三枚、同時に飛んでくる。


 俺は包丁を振るった。一枚は斬り落とした。だが、刃が勝手に走り、残る二枚を追いきれない。慣れない力に腕が引っ張られ、体勢が崩れた。


 しまった!


「大将、下がって!」


 ミキが前に出た。オタマを構え、飛来する札を迎え撃つ。


 カァン! カァン!


 二枚の札が弾き返され、木の幹に突き刺さった。


 僧が、笠の下で目を見開いた。


「……おたま、だと?」

「そう、オタマです。文句あります?」


 ミキが胸を張る。僧は一瞬、毒気を抜かれたように動きを止めたが、すぐに新たな札を取り出した。


「小娘の余興か。ならば、遊びは終わりだ」


◆


 僧が地を蹴った。札を刃のように連ね、俺の首を狙って踏み込んでくる。


 速い。


 俺は包丁で受けた。だが、力任せに振るうばかりでは、相手の動きについていけない。白い刃が大きく流れ、その隙を狙った札が肩口を浅く裂いた。


「ぐっ……!」

「大将!」


 肩に熱い痛みが走る。反撃しようにも、腕ほどの長さがある包丁を思うように扱えなかった。


「くそっ……剣なんざ、握ったこともねえんだ」


 剣。


 そうだ。俺は剣客じゃない。三十年、剣なんぞ振ったことはない。


 振ってきたのは、包丁だ。


 俺は握りを変えた。剣のように大きく振り回すから、刃に引っ張られる。肘を締め、手首の力を抜く。まな板に向かうときと同じだ。


 僧が再び踏み込んできた。


 今度は札を三枚重ね、横薙ぎに振るってくる。俺は刃の動きを見極め、最小限の動きで迎え撃った。


 トン、トン、トン。


 頭の中に、聞き慣れた音が響く。


 葱を刻む音だ。


 俺は手首を返し、迫る札を次々と断ち切った。大きく振る必要なんかない。刃を当てる角度も、力の入れ具合も、三十年間ずっと体に叩き込んできた。


「なにっ!?」


 僧が驚いて距離を取る。


 俺は追わなかった。包丁の握りを確かめ、軽く手首を動かす。


 あれほど暴れていた刃が、今は不思議なほど手に馴染んでいた。


「そうか……料理と同じでいいのか」


 掌の包丁が、応えるように輝きを増した。


 斬ろうとするな。刻め。削げ。引け。


 俺の体が知っている、あの動きのままでいい。


「三十年、伊達に包丁握ってきたわけじゃねえぞ」


 僧が舌打ちした。


「料理人風情が、我らの法を……!」


◆


 だが、相手も引かなかった。


 一人が俺を牽制する間に、もう一人がミキの背後へ回り込んだ。札を振りかぶり、肩口めがけて振り下ろす。


「ミキ、後ろだ!」


 ミキが振り向きざま、オタマを突き出した。


 札を掬い取るように受け止める。だが、勢いを殺しきれなかった。札がオタマの縁を滑り、ミキの二の腕を浅く裂いた。


「痛っ……!」


「ミキ!」


 俺は駆け寄ろうとした。だが、正面の僧がそれを許さない。立て続けに放たれた札が、俺の行く手を塞いだ。


 二人がかりで分断されている。


 俺の包丁も、ミキのオタマも、ようやく使い方が分かってきたところだ。互いを助けようとすれば、相手はそこを狙ってくる。


 このままじゃ、じり貧だ。


 そのとき、ミキが傷口を押さえながら叫んだ。


「大将! スープ、残ってますよね! 水筒の!」

「ああ、あるが……」

「撒いてください! 私が掬います!」


 俺は、はっとした。


 さっき黄門様が言っていた。


 作る者だけでは、一杯は完成しない。


 俺が作り、ミキが受け止める。二人が揃って、初めて料理の力を生かせるのだ。


「分かった! 合わせろよ!」

「任せてください!」


 俺は正面の僧へ踏み込み、包丁を細かく振るった。迫る札を刻みながら、相手を後退させる。


 その隙に、左手で鞄から水筒を引き抜いた。


 中身は、一杯分にも満たない醤油豚骨。


 上野の店から持ち出した、最後のスープだ。


 だが、こいつには一度、俺たちの命を救ってもらっている。


「ミキ! いくぞ!」


◆


 俺は水筒の蓋を開け、残ったスープを宙にぶちまけた。


 醤油豚骨が、薄い弧を描いて飛び散る。


 僧たちが反射的に身を引いた。あの瘴気を、こいつらは恐れている。


「今です!」


 ミキがオタマを振るった。


 その瞬間、異変が起きた。


 空中に散ったスープの雫が、吸い寄せられるようにオタマへ集まり始めたのだ。白い湯気が渦を巻き、黄金色の光を帯びていく。


「うわっ……何これ!?」


 ミキ自身も驚いていた。


 だが、オタマを握る手は離さない。


 スープが集まるにつれ、湯気が勢いを増す。冷めかけていたはずの醤油豚骨が、まるで寸胴で炊き直したかのように熱を取り戻していた。


「ミキ! そのまま叩き込め!」

「はいっ!」


 ミキがオタマを大きく振りかぶる。


「大将特製、熱々スープ……特盛りっ!」


 黄金色の湯気が、渦を巻いて放たれた。


 狙われた僧が、慌てて札を広げる。何枚もの札が重なり、眼前に白い障壁を作り出した。


「そのような汁物で、我らの法が破れるものか!」


 次の瞬間、黄金色の湯気が障壁に激突した。


 ぼんっ!


 青白い炎が噴き上がった。


 障壁を形作っていた札が次々と燃え尽き、爆ぜた法力の衝撃が僧を後方へ吹き飛ばす。


「ぐあっ!」


 僧が地面を転がった。


 その光景に、もう一人が一瞬だけ目を奪われる。


 俺は、その隙を逃さなかった。


 踏み込み、包丁を走らせる。


 頭の中に、またあの音が響いた。


 トントントントン。


 葱を刻む、いつもの手さばき。


 僧が繰り出す札を、一枚、また一枚と断ち切っていく。


 最後に狙ったのは、僧が右手に握りしめていた札束だった。


「おらっ!」


 白刃が走り、札束が細切れになって舞った。


「ば、馬鹿な……!」


 僧の腕から、法力の光が消えた。自らの術を支えていた札を失い、その反動で膝が折れる。


 俺は包丁を構え直し、距離を取った。


 追撃はしない。


 もう、あいつに戦う力は残っていなかった。


◆


 二人の僧が、地に膝をついた。


 俺は肩で息をした。たった二人相手に汗だくで、右腕は重く、肩の傷もじくじくと痛んでいる。


 しかもスープは、もう一滴も残っていない。


「はあ……はあ……勝った、のか」

「大将、肩から血が出てます」

「お前もな。……すまん。庇いきれなかった」

「おあいこです」


 ミキは裂かれた二の腕を押さえ、それでも笑った。


 俺はひとまず包丁を消し、鞄から手拭いを取り出した。傷は浅い。だが、ミキの白い腕に血が滲んでいるのを見ると、胸の奥が嫌な具合に重くなった。


 手拭いを巻いていると、膝をついた僧の一人が、荒い息の合間に口を開いた。


「……愚かな。お前がラーメンを蘇らせるほど、封印は緩む。我らは、世界を守るために……」


 俺は手を止めた。


「世界を守るために、俺のラーメンを消したってのか」

「そうだ。我らは千年の封を守ってきた。あれが解かれれば、この国は……」


 僧はそこで口を閉ざした。


「あれって何だよ。何が封じられてるんだ」


 答えはなかった。


 俺が詰め寄ろうとすると、僧は残った力を振り絞って立ち上がった。


「我らは所詮、下働きの物見にすぎぬ。貴様らを始末するために遣わされたが、真の番人ではない」

「真の番人?」

「水戸の楔を守る者は、我らなどとは比べものにならぬ。せいぜい、己の浅はかさを悔いるがよい」


 僧はよろめく相棒を助け起こし、二人で木立の奥へ消えていった。


 追うつもりはなかった。


 俺たちも、立っているだけで精一杯だ。


「……世界を守る、か」


 あいつらは命令に従って、俺たちを殺しに来た。だからといって、正義の味方とは思えない。


 だが、封印を守らなければ世界が滅ぶという言葉まで、嘘だと決めつけていいのだろうか。


 朱舜水も、高野山の奥に何かが封じられていると言っていた。


 ラーメンを取り戻すほど、その封印が緩む。


 もし本当なら、俺たちは何を取り戻そうとしているんだ?


「大将?」


 ミキに呼ばれ、俺は顔を上げた。


「……いや、なんでもねえ」


 答えなんか、今は出せない。


 それでも、ひとつだけ譲れないことがあった。


 世界を守ると言いながら、何百万という人間の大切な記憶を奪い、何万という店から商売を取り上げる。


 そんなやり方を、俺は認めるわけにはいかなかった。


◆


 ミキの傷の手当てを終えると、今度は彼女が俺の肩に手拭いを巻いてくれた。


「大将、包丁の使い方、分かったんですね」

「ああ。剣の真似をしようとしたのが間違いだった。俺は料理人だからな」

「私のオタマも、すごかったですよね!」

「そうだな。まさかスープを集められるとは思わなかった」

「それに、熱々になりましたよ! あれ、絶対おいしくなってました!」

「お前なあ……戦ってる最中に味の心配かよ」

「だって、もったいないじゃないですか!」


 俺は思わず笑った。


 確かに、もったいなかった。


 上野から持ってきた最後のスープを、全部使っちまったんだからな。


「……でもまあ、悪くなかった」

「でしょ?」

「ああ。俺が作ったもんを、お前がちゃんと使ってくれた。これなら、二人でやっていけそうだ」

「当然です。私、大将の相棒ですから!」


 ミキが得意げに胸を張った。


 俺は手拭いの結び目を確かめ、立ち上がった。


「ミキ。まずは水戸に戻るぞ」

「楔を探すんですね?」

「それもある。だが、その前にやることがある」

「なんです?」

「ラーメンの材料を集めるんだよ。スープも麺も具も、全部な」


 あの朱舜水が見せてくれた、三百年以上前の一杯。


 蓮根の粉を練り込んだ麺に、五辛の香り。俺が三十年作ってきた醤油豚骨とは、まるで違う料理だった。


 だが、あれを食ったときの感覚は、今でも舌に残っている。


「水戸の一杯を、作るんですか?」

「ああ。ただ昔の料理を真似するんじゃねえ。あの味を手掛かりに、俺の腕で一杯を作る」


 僧を倒すだけじゃ、ラーメンは戻らない。


 土地の味を蘇らせてこそ、楔が砕ける。


 そのために必要なのは、剣の腕でも法力でもなく、三十年間磨いてきた俺の料理だ。


「だったら、私も手伝います!」

「当然だ。お前は味見係だからな」

「そこは相棒って言ってくださいよ!」


 ミキの抗議を聞きながら、俺は山道を下り始めた。


 まずは傷の手当てを済ませ、材料を揃える。それから水戸の街で、失われた一杯を作る。


 関東を縛る楔と、その番人がどこにいるのかは、まだ分からない。


 だが、目指すものは決まった。


 坊主どもがどれだけ邪魔をしようと、俺は旨いラーメンを作ってやる。

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