第94話 蒼穹保管庫
記憶は残る。
本や記録としてではない。
誰かを待ち続ける場所として。
蒼穹保管庫。
その名が響いた瞬間、空洞を漂う蒼い光が静かに動き始めた。
流れるのではない。
呼吸している。
玲司は無意識に胸へ触れた。
蒼い紋様が温かい。
鼓動と同じ速さで光っている。
一拍。
沈黙。
一拍。
今度は空白の間にも、小さな音が混じっていた。
誰かが歩く足音だった。
◇
「聞こえる?」
玲司が尋ねる。
アヤは頷いた。
「今は私にも。」
管理体だけは何も答えない。
彼は蒼い光を見つめたまま立ち尽くしていた。
「ここへ来るのは二度目だ。」
その言葉に玲司が振り向く。
「覚えてるのか?」
「覚えていない。」
管理体は静かに笑った。
「身体だけが覚えている。」
その笑みには恐怖が混じっていた。
◇
空洞の中央へ進む。
床は鏡のように滑らかだった。
水ではない。
石でもない。
覗き込む。
自分が映る。
しかし一瞬だけ、映る人物が違った。
白衣。
濡れた袖。
血のついた手。
榊悠真だった。
玲司は息を呑む。
瞬きをする。
鏡には自分しか映っていない。
「また見えた。」
アヤが小さく呟く。
彼女も見ていた。
◇
空洞の中心に一本の柱が立っている。
透明な結晶。
内部で蒼い粒子が渦を巻いていた。
近づく。
粒子が速度を変える。
歓迎している。
そんな気配だった。
柱の根元。
小さな金属板が埋め込まれている。
錆びている。
だが文字だけは鮮明だった。
PROJECT ASTRAEA
玲司は指でなぞる。
その瞬間、視界が白く染まった。
◇
研究室。
白い壁。
赤い警告灯。
榊悠真が息を切らしている。
「間に合え。」
彼の隣に水城澪。
澪の腕には幼い少女が抱かれていた。
眠っている。
少女の胸元に、蒼い光が宿っている。
「この子だけは。」
澪が震える声で言う。
悠真は頷いた。
「記憶を全部背負わせる。」
「それしか未来が残らない。」
玲司は叫ぶ。
「待って!」
誰にも届かない。
映像だから。
そう思った。
しかし。
悠真だけが振り返った。
玲司を見る。
まっすぐに。
「ようやく来たな。」
玲司の呼吸が止まる。
映像の中の悠真は微笑んだ。
「約束を忘れるな。」
世界が砕けた。
◇
現実へ戻る。
玲司は結晶柱へ手をついたまま震えていた。
アヤが支える。
「何を見たの?」
玲司は答えられない。
いや。
言葉にできない。
喉まで出かかった記憶が、空白へ落ちていく。
ただ一つだけ残った。
「ASTRAEA。」
管理体がゆっくり顔を上げる。
その名を聞いた瞬間、彼の瞳が蒼く染まった。
「封印名。」
低い声だった。
「その名前を知る者は——」
最後まで言えなかった。
施設全体が震えた。
蒼穹保管庫の天井。
無数の蒼い光が一斉に消える。
闇。
完全な闇。
その暗闇の中で。
誰かが拍手をした。
一度。
また一度。
ゆっくりと。
歓迎するように。
第94話「蒼穹保管庫」を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は榊悠真と水城澪が守ろうとした「PROJECT ASTRAEA」という新たな伏線を描きました。
重要なのは、玲司が過去を見たのではなく、過去の悠真が玲司を認識したことです。
そして最後の拍手。
まだ姿を見せない存在は、玲司たちがここへ辿り着くことを最初から知っていたのかもしれません。
次話では、蒼穹保管庫に響いた拍手の主が、初めて“声”として物語へ干渉を始めます。
引き続き『HYDRA CHRYSALIS ―REBIRTH―』をよろしくお願いします。




