第9話:絶体絶命(ヒロイン視点)
(失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した……!)
露木島小鈴は逃げていた。
背後に迫りくる脅威から。
背後では無数の脚が岩盤をカサカサと叩く音がしている。
振り返らなくても分かる。
ギガントセンチピード――深層に棲む、甲殻と毒牙を持つ巨大な蟲だ。
どうして、こんなことになったのか?
小鈴にはとある夢があった。
それはダンジョンの深層に自らの足で降り立ち、攻略することだった。
中学卒業後、両親に頼み込み、一年制の探索者育成専門校――通称「ダンジョン塾」に通わせてもらった。
卒業すれば第2級ライセンスを取得できる。
結果で恩を返すつもりだった小鈴は、卒業後すぐ、同じ塾出身の仲間たちとパーティを組んだ。
最初は表層で鍛えよう。
パーティリーダーはそう言った。
小鈴もそれはもっともと思った。
授業で何度か習ったとはいえ実戦経験に乏しい自分たちが、最初から深層に挑むのが無謀なことは彼女も理解していたのである。
しかしリーダーは半年経っても中層以降に降りようとしなかった。
彼は表層で強めの魔物が出るスポットをあらかじめメモしておき、そこを周回し、ドロップアイテムをゲットするという「作業」に固執し始めたのだ。
小鈴には我慢ならなかった。
断じて、これは「探索」ではない。
だがリーダーに逆らったところで「じゃあ、抜ければ?」と言われてしまうだけだろう。
それは困る。
人付き合いがあまり得意でない小鈴にとって、新たなパーティを探すのは難しい。今のパーティは奇跡的に、同じ塾の出という共通点から形成されたものだった。
その上、彼女のジョブは魔法職である。
詠唱が必要な都合上、これは前衛となる戦士職がいなければ成立しえない職業だ。ソロ攻略は不可能に近い。
ゆえに小鈴は葛藤していた。
このままパーティに留まり続け探索という名の作業に勤しむか……
あるいは、いっそパーティを抜けてゼロから再スタートするか……
彼女は迷い続けていた。
結局、答えが出ないまま小鈴は今日もダンジョンに潜った。
そうして例の崩落に巻き込まれてしまったわけである。
(この状況はまずいです)
小鈴は岩陰に隠れると、そこで気配を殺した。
非常用闘気の発動には成功した。
おかげで体は無事で済んだ。
だがリーダーとの確執もあり、皆から距離を置いて探索していた彼女はひとりはぐれてしまっていたのだ。
周囲に満ちる魔素濃度からして、明らかにここは深層だ。
果たして、そんな危険な場所で、孤立した魔法職に何ができるだろう?
(とりあえず、みんなを探さなくてはなりません)
そう考えた矢先のこと。
背後から聞こえた物音により、ふわふわとした毛が生えた小鈴の〝獣耳〟がピクリと動いた。
振り返ると、そこに「蟲」がいた。
撒いたと思ったギガントセンチピードがいつの間にか背後に迫っていたのだ。
小鈴はすぐに杖を構えた。
そして詠唱を開始する。
「深層に出でし精霊たちよ。我に炎熱の加護を与えん。我が真名は小鈴。魔の繰手。汝らを使役する者なり。灼きつくせ【上級炎球】!」
小鈴が抱えた杖の先から火球は発射された。
虫系のモンスターは炎に弱い。
ゆえに彼女の魔法によって危機は脱せられるはずだった。
が、しかし、敵は一瞬、嫌がるように体をくねらせる動きを見せただけで、そこから炎上しなかった。
魔法耐性!? それとも純粋な硬さ!?
なぜ効かなかったのかはわからない。
だが、1つだけわかることがある。
2発目を撃つ余裕はない。
撃てたとしてもそれは効かない。
つまり完全に詰みである。
そう思った時、小鈴の喉は本来の意思とは関係なしに甲高い悲鳴を発したのだった。
(ああ、わたし、死ぬんだ、ここで……っ)
小鈴は直感でそう悟った。
大ムカデの巨大な顎が迫る。
あんなものに噛まれれば一巻の終わりだ。
しかも、ただ死ぬだけではない。
毒によりドロドロに溶かされて苦しみながら死ぬのだろう。
そう思った時、涙が流れた。
そして、こんなことを思ってしまう。
ああ、誰か……誰でもいい!
誰でもいいからわたしを助けて!
無論ダンジョンの深層でそのような奇跡が起こるはずもない。
意識が無限に引き延ばされてスローモションになる世界の中で、小鈴は最後の瞬間に思わずぎゅっと目を閉じる。
その時だった。
聞き覚えのない男性の声が辺り一帯に響き渡った。
「【煉獄葬送炎熱波】」
果たして、それは魔力を大量に消費する大魔法である。
そんな規格外の攻撃がギガントセンチピードに直撃した。
ムカデは鳴き声を上げる器官を持たない。
だが、もしそういう器官があれば、そいつは地面の上で悲鳴を上げてのたうち回ったに違いない。
そのことを小鈴が認識したのは、黒焦げになったギガントセンチピードが、死んだモンスター特有の黒煙に変わった時だった。
彼女はゆっくり目を開けた。
何が起きたのかわからなかった。
ただ、わかるのは、目の前に30代前半ぐらいの男性がいて、どうやら彼の魔法によって敵が倒されたということだった。
「大丈夫かい?」
そう言いながら、男性は小鈴の下に歩んでくる。
思わず後退りしてしまった。
その男性が怖かったわけではない。
ただ脳味噌がいまだに危機モードにあり、無意識にそうしてしまったのだ。
「おっと、ごめん。急に近付かれたらびっくりするよね」
「あ、あなたは……?」
「元勇者」
「え?」
「と、いうのは、まあ冗談で、しがない新米の探索者だよ」
男性はぽりぽりと頬を掻きながら、照れくさそうにそう言った。
小鈴は自分の心臓がドキドキと強く脈打つのを感じた。
それが恐怖の余韻なのか、安堵なのか、それとも別の何かなのか……
その感情の正体は自分でもよくわからなかった。




