09――一路東京へ
「和歌山って……どこでしたっけ?」
私の言葉に小首を傾げる美桜さん。その言葉に思わず座っていたガードレールから落っこちそうになったけど、なんとかこらえた。
でも確かに関東圏に住んでいると、関西にある府や県の位置なんてパッとは浮かばないのかもしれない。私も東北の方はちょっと記憶があやふやで、左右に位置する県を互い違いに覚えていたりしそうだ。
『大阪府の南にある県ですよ』と伝えると、彼女はパンと両手を軽く叩いた。
「あ、みかんと梅が有名なところですね」
「そうですね」
一般的な名産だとそのふたつが有名だろう。みかんは毎年箱で母が送ってくれていたから、職場に持っていってお裾分けしていたことを思い出す。さすがにひと箱を私ひとりで食べ切るなんてできないし、実際に半分ぐらい余って腐らせてしまったこともあったっけ。
「私の家が建っているところって、昔は漁に携わる人たちが住んでいたみたいで」
「あれ、すぐそばに海があるんですか?」
「海は少し離れたところにあるんですよ、昔は漁村がもう少し奥まったところにあったらしいです。魚を大阪の堺の方へ運ぶ人たちが、漁村まで入って来にくかったみたいですよ。それを解消するために街道が通っている場所に住宅を作って、人の流れが滞らないようにしたそうです」
昔ご近所に住んでいたご年配の方に話してもらったことを、そのまま彼女に伝えた。私も聞きかじった話なので詳細はわからないし、そもそも江戸時代とかそれ以前の話みたいなので真偽も不明だしここで話を止める。
するとちょうどよくタクシーが私たちの前に停車して、後部座席のドアが開いた。
「お嬢さんたち、こんな時間に何やってるの? まさか、家出とかじゃないだろうね」
地面に置いていた段ボールを両手で抱えながら後部座席に乗り込んだ私を見て、運転手は振り向きながら疑わしげな表情で言った。ここで見た目が子どもの私が普段の調子でベラベラと話すと、余計に怪しまれるのは目に見えている。
そのあたりは出発前に美桜さんとしっかり打ち合わせをして、私たちは親戚に急な不幸があったのでこれから姉妹で向かうところなのだという設定を決めていた。
少したどたどしいところはあったが、美桜さんが頑張って説明してくれたおかげで運転手は曖昧に頷いてからタクシーを走らせはじめた。無言の車内で時々ルームミラー越しに、こちらを観察する運転手の視線に耐えること1時間程度。バイパスを通ったのと夜中で道がガラガラだったこともあって、スムーズに目的の駅前に到着した。美桜さんにあらかじめ渡していたマネーカードでタッチして支払いを済ませると、ちらりと私たちを見た運転手が『このカードは誰の?』と聞いてきた。
さっきは美桜さんに頑張ってもらったし、私も頑張ろう。精一杯子どもっぽい笑顔をにっこりと浮かべてから、私は『お父さんのです、これで支払いなさいって言われました!』と元気よく言った。
小学生な外見+笑顔は効果があったのか、私たちが下りると運転手はモゴモゴ言いながら走り去っていった。タクシーのリアを見ながら美桜さんが『なんか感じ悪いですね~』と不満げに呟いたのを聞いて、思わず『未成年な私たちを心配してくれたんでしょう。口調がつっけんどんだったのは、多分ストレスが溜まっているんでしょうね』と運転手をフォローする発言をしてしまった。
社会人として色々と苦い経験をしたアラフォーおじさんとしては、どちらかというと彼の立場を考えて同情してしまう。
「トールさんはああいう冷たい対応をされて、腹が立たないんですか?」
「お客さん相手の商売だから、イライラすることもあるんでしょう。ただ子供相手だからって、あからさまにそれをぶつけてくるのはマイナス点ですが」
中身が成人男性だとわかっていても、外見が自分より幼い私が平然としているのを見て美桜さんも落ち着いたのだろう。苦笑を浮かべながら『トールさん、優しいなぁ』と小声で呟いたのが聞こえた。
別に優しい訳ではないんだけどね。ただストレスを感じながら働くという似たような経験をしているから、彼の精神的な負荷が想像できるだけで。
美桜さんはこれから社会に出て、こういう経験を積んでいくんだろうなぁと思うと……なんだか複雑な感情がわいてくる。
「…………なんでそんなかわいそうな子を見るような目をしてるんです?」
「ううん、なんでもないです」
訝しげな表情を浮かべながらそんなことを聞いてきた美桜さんに、私は努めて平静を装って返した。まだ高校生なんだし、学生のうちは社会の闇深さなんて知らずに楽しく過ごしてほしい。
なんだか微妙な雰囲気になってしまった空気を振り払うように、ふたりで駅前にあるコンビニの店内に入った。面倒くさそうに挨拶する店員さんに、両手に抱えた段ボールをレジの上に載せて荷物送付の手続きをお願いする。
「美桜さんは朝ごはんと飲み物を、何か適当に持ってきてもらえますか?」
「わかりました、パンがいいですか? それともおにぎり?」
「うーん、おにぎりですかね」
私が言うと、美桜さんは『りょ!』と敬礼してから米飯ケースの方に向かった。その間に店員さんは適当な感じに段ボールのサイズをメジャーで測って、金額を教えてくれた。『明後日には着きますんで』との言葉に頷きながら、お金を払う。
どれくらいの期間を東京で過ごすのかはわからないけど、できればコレで滞在費ぐらいは賄えればいいなと思っている。ちなみに段ボールの中身は通常サイズのスライムの魔石で、買取店が査定して事前に登録している銀行口座に振り込んでくれるから、余計なやり取りがなくてありがたい。
ちなみにあの巨大スライムの魔石は、実家の押入れ奥に置いてきた。あの大きさだとどこから持ってきたのかとか、出どころを聞かれて問題になりそうだからだ。
滞在中ずっとホテルに泊まるとなれば、懐に結構なダメージがありそうだ。できれば探索者のための手頃なお値段の宿泊施設とか、そういうところがあればいいんだけど。格安のビジネスホテルなんかもいいかもね。
コンビニを出て駅に向かうと、乗る予定の始発が来るまであと30分ぐらい時間があったので、ホームのベンチで朝食を食べた。美桜さんが選んでくれたのは、オーソドックスなサケのおにぎりとお茶だった。
子供の体になってからというもの、以前と比べるとそんなに量は食べられなくなったため、これでちょうど腹八分目ぐらいだ。今日はあまり寝ていないので、お腹いっぱいになると睡魔に負けて眠り込んでしまいそうだから、これぐらいでちょうどいい。
「……星がたくさん見えますね、キレイです」
「東京では地上の灯りが強くて、強く光る星しか見えないですもんね」
「そもそも空を見上げることも稀ですからね、みんな忙しなくしてますから」
ついこの間まで関東にいた身としては、彼女の言葉にはうなづくしかない。私自身もセカセカと働いて、足元ばかり見ていた人間のひとりだからだ。田舎に戻ってきて精神的にゆとりを感じているということは、私には都会の生活は向いていなかったのかもしれない。
そんな雑談をしながら朝食を終えると、あっという間に時間が過ぎたのか始発電車がホームに入ってきた。私たち以外誰も乗っていない車内を見て、美桜さんが『東京だと考えられない光景ですね』と驚いていたのが印象的だった。
東京でも始発駅から乗ればガラガラの車両に乗ることはできるだろうけど、あっという間に席が埋まって通路も立っている人間で塞がれるもんね。
ここは快速も停まる駅なのだが、早朝なので各駅停車の普通電車しか運行されていない。のんびりと走る電車に揺られて、新幹線に乗るために一路大阪を目指す。早起きしていたから途中でお互いに寄りかかりながらうたた寝したりもしたけど、身長が違うので美桜さんは若干寝にくそうだったのがなんだか申し訳ない。
別の電車に乗り換える頃には乗客も増えてきて、大阪に近づくにつれてさらに車内が賑やかになっていく。
3度目に乗り換えた電車は席がすべて埋まっており、隅っこにふたりで身を寄せ合って立っていた。大阪駅に着く頃には探索でレベルアップした私でも、若干の疲労を感じるぐらいにはくたびれていた。
おそらく肉体よりも精神的な疲労の方が、たくさん積み重なっていたのかもしれない。大阪から新大阪までは一駅なので、あっという間だったのが救いだった。
「この移動時間を考えると、転移トラップも使い方次第ですよね。誰か望むところに瞬間移動できるシステムとか作ってくれないかな?」
「美桜さんが発動を認識してから、あの大きなスライムの前に送られるまでって、一瞬のできごとだったんですか?」
「私の記憶の限りだとそうですね。ただあの場所に転移した瞬間に攻撃されて気を失ったので、もしかしたら記憶が飛んでいるだけかもしれないですけど」
苦笑しながら私の質問に答えてくれる美桜さん。確かに東京と和歌山の間を一瞬で移動できると仮定すれば、新しい移動システムを作る意義はあるかもしれない。
ただ転移した後はどこに現れるのか、そこに魔物はいないのか。利用者の安全をしっかりと確保できるかどうかなどを考えると、実現するのがものすごく大変そうなのは容易に想像がつく。ダンジョンが見つかってからこれまで過ぎてきた年月でもまだそういった装置が作られていないことを考えると、実用化される日はかなり遠い気がする。
ふたりでゆっくり座りたいので指定席券を買って、新幹線に乗り込んだ。さっきまで乗っていた在来線と違って、こっちは速いし静かだし天国に思える。
ふたり掛けの席だから移動する際に誰かが自分たちの前を通ることもなく、2時間30分の移動時間のほとんどをふたりともぐっすりと眠って過ごした。先に目が覚めた美桜さんに起こされて、あくびを噛み潰しながらホームに下りる。
こうして夜中からはじまった自宅脱出は成功し、私たちは無事に東京の地に下り立つことができたのだった。
※マネーカードはお金をチャージして使うプリペイドカードみたいなものだと思ってください。




