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[COORDINATE 0096] Behemoth Battle 1

# The_Mountainous_Monster:


 俺は光る手綱から手を離し、腕を組んで思案していた。


(なんで、怖くないんだろう。とんでもない高さを飛んでいるんだけどな)


 光の粒を後方へ舞い散らせながら、天駆けるルクス。

 相当な高度を飛翔しているはずなのだが、不思議と俺は恐怖をほとんど感じていない。


 ルクスは俺の思い描く通りに飛んでくれていた。

 感覚としては、ほとんど自分が飛んでいるのと大差ない。

 なんとなく、俺はそのおかげで恐怖を抱かずに済んでいるのかもしれないと考えた。


「まあ、なんにせよ、ありがとうなルクス。おかげで景色も楽しめてるよ」

「ピイ!」


 俺はルクスの返事に笑みを浮かべながら、彼の首筋を撫でてやる。

 それから、視線を眼下に広がるソプクウ平原へと向けた。


 雄大な平原は、霞がかっていて色彩が淡く、その中に点在する村々が見えた。

 平地の中でも低い場所を縫うように走る街道は、ゆるやかな曲線を描いてどこまでも伸びていた。


 顔を上げると地平線が視界に入る。

 それは、心なしか丸みを帯びているような気がした。


 そのごくわずかに弧を描く空と地上の境界は、左右どちらを見ても森林に覆われていた。

 森林の中から、光の柱が空の彼方まで伸びている。


(……大森林ってあんなに大きいのか)


 空を駆けるルクスの高さは、相当なものだ。

 だから、まだ遥か向こうにあるはずの大森林が見え始めていたのだが、その全貌はまったく見えない。


 俺は後ろを振り返った。


 初めに飛び立った山脈は、すでに地平の向こうへ消えかけている。

 南の方の地平線はうっすらと青みを帯びていた。

 いや、あれは海だろうから水平線か。


 俺は再び大森林へ目を向けた。

 左右どちらにも、地平線をなぞるように大森林が続き、端がない。


(もしかして、俺たち人間の住んでいる平地より、大森林の方が遥かに大きいのでは)


 俺はありえる話だと思った。

 同時に、こんなときだというのに、わくわくした気持ちが込み上げてくる。


 俺は騎獣を授かった際、少しだけ思ったことがあった。


 空を自在に飛べるようになったら、冒険がつまらなくなってしまうのではないかと考えたのだ。


 ……とんでもない。


 世界は思っているよりも、もっともっと広大だった。

 ましてや、今俺が見ている大地の他にも、大陸があるというのだ。


(心配しすぎだったな。いや、これもまた思い上がりってやつかね)


 女神様を助けたら、ブルーとブラウンと一緒に、ルクスには馬車でも引いてもらうかと思っていた。

 けど、その必要もなさそうだ。

 ルクスに馬車を引けって言ったら、めちゃくちゃ怒りそう。


 少し可笑しくなって、笑みを漏らしていると、近くにフェリスが騎獣を寄せてきた。

 そちらへ顔を向けると、緑の疾風を纏う騎獣に乗ったフェリスが、何かを伝えようとしていた。


「……! ………っ!」

「何言ってるか、全然分かんないよ。降りるか?」


 こちらが聞こえないのだから、当然俺の声も向こうには届いていなかった。

 そうか、魔法で風を制御しているからだ。

 暴風の中で会話は出来ないものな。


 フェリスの凛とした目元には、焦りの色が浮かんでいた。


 とりあえず、俺は彼女ににっこり笑いかけてみる。

 彼女は、瑠璃色の瞳をこちらに向けたまま、少し頬を上気させた。


 フェリスは、頭を振って表情を正すと、騎獣を華麗に操り、俺の頭上へ回り込む。


――そして、ルクスに騎乗する俺めがけておもむろに飛び降りた。


 え!? えええええ?


 フェリスの真っ青な外套とワンピースの裾が、ばさばさと風に煽られる。


 翻るどころではない。


 腰まで捲れ上がった、浅緑のワンピースの裾から、肉感のある太ももの白い肌があらわになる。

 ここ最近、見慣れ始めてしまった黒い透け感のあるレース状の下着と、ときおり覗くへそまでが視界に入った。


 フェリスは、そのまま身を捻るようにして、ルクスに着地した。

 俺の正面に降りた彼女は、密着するほどの距離で、身体の甘い匂いが鼻腔をかすめる。


 間近で見るフェリスの左右均整な相貌は、やはり美しかった。


 ルクスが展開している騎乗補助の魔法は、俺にしかかかっていない。

 彼女は自分の体幹の力だけで、そこに踏みとどまっていた。


「……馬鹿! 下着を見ていないで前を見ろ! ……んっ、くっ。さすがに厳しいな。アルス、遠眼鏡を……使え!」

「わ、わかった」


 フェリスは俺にそれだけ伝えると、再び飛び降り、空へ躍り出た。

 くるくると回転しながら落下していくフェリスの下へ、緑の騎獣が回り込み、彼女をすくい上げた。


 俺は遠眼鏡を鞄から取り出しながら、彼女たちの様子を窺う。

 フェリスは緑の風を靡かせながら、赤い騎獣を駆るルナリアの方へ飛んでいく。


 彼女たちは謎の手信号でやり取りし始めた。


 ……なんだ、あれ。

 俺は聞いてないぞ。

 最近、二人でなんかやっていると思ってたんだ。


 いや、それはどうでもいい。


 俺は前方に広がる草原へ、目を向けた。

 遥か向こうに大きな都市が見える。

 そして、そのさらに先。


 遠すぎて点にしかみえない赤黒い影が、動いていた。

 俺は遠眼鏡をそちらに向けて覗き込む。


 硝子の板を通して、その先の景色が大きく視界に入った。


 それは、いつか大森林の奥地に見えた巨大な河馬の魔物だった。

 いや、硝子越しに見るそいつは、巨大なんて言葉では表せない。

 近くにある街と大差ない大きさだ。


 まさに山のような巨躯の魔物は、赤黒い体躯に炎を纏い、竜を一呑みにしそうなあぎとを開いて火炎の魔法を放っている。


 遠眼鏡が伝えてくれた、正確な魔物の姿。

 それを見た俺は、あの時、遠目には巨大な河馬だとしか感じなかった魔物が、どういう存在であるか理解した。


――ベヒーモス。


 俺が昔、養成学校の書籍で読んだおとぎ話の魔物がそこにいた。


 街を守るため、ベヒーモスと向かい合うように布陣する聖騎士団が手前に見えた。


 百人は下らないだろう聖騎士たちが、魔法を駆使してなんとかベヒーモスの攻撃に耐えている。

 だが、あんな上級だとか中級だとかいう、区切りを無意味にするような化物を相手に、対抗し続けるのは厳しいのではないか。


 俺は遠眼鏡を鞄に仕舞いながら、声を上げた。


「ルクス! 助けるぞ! 飛ばせ!」

「ピイイ!!」


 騎獣で飛んでいけば、俺たちは迂回して世界樹へ向かうこともできるだろう。

 だが、見てしまったら無視はできない。


 ユーリの言った言葉を俺は思い返す。

 俺が戦いから逃れられないというのは、こういうことか。

 彼の言うとおりになっている自分が少し悔しく、そして誇らしかった。



# The_Mythic_Beast:


 加速したルクスの速度は凄まじく、あっという間に目視でも戦況が見え始めた。


 あまりにも巨大なベヒーモスに対して、剣や槍はもちろん、弓も役目を果たせていない。

 防御系や結界系の魔法で辛うじて戦線を維持できているが、攻撃に転じられるような状況ではなさそうだ。


 俺は騎獣を寄せてきたルナリアとフェリスに視線を向け、まずルナリアを手招きする。

 ルナリアが旋回するように騎獣を急上昇させ、舞うように身を捻りながら空へ躍り出た。


 見上げると、白いスカートを花のように開きながらルナリアがこちらへ降りてくる。

 俺の意識は、細やかな刺繍の入った真っ白な下着に惹き寄せられる。

 白いニーハイとの間に覗く太ももの肌が、眩く陽光に晒された。


 とすんと軽やかにルクスへ着地したルナリアの金糸の髪が、陽光を返してきらきらと輝く。

 体温を感じるほどの距離に降り立った彼女の、石鹸の匂いがふわりと鼻腔を掠める。

 俺は、ルナリアに左手を向け、支援魔法をかけつつ口を開いた。


「支援魔法は速度上昇だ。ルナリア、フェリスと二人で時間を稼げるか?」


「あんっ……。んぅ……、う、うん。炎の魔法はぁ……ぁんっ! 炎の魔法は、もうわたしには効かないからねっ。任せてよ」


 甘い吐息を漏らしながら、ルナリアが胸を張って答えた。

 薄布一枚に覆われた大きな胸がそれに合わせてぶるんと揺れる。


 炎が効かないとは、一体どういうことなんだろうか。

 俺は、ルナリアの言葉の意味を図りかねていたが、彼女のにこりとした笑みを見て考えるのをやめた。

 こいつが言うなら大丈夫だ。


「よし、任せた。フェリスにも支援魔法をかけたら、俺は一度聖騎士団の状況を確認したあと、ローディングに入る」


「うんっ。早くしないと、わたしたちだけで倒しちゃうかもねっ!」


 ルナリアは美しい相貌に笑みを浮かべると、とんっと跳躍し、空へ躍り出た。

 金糸の髪を靡かせたルナリアは、彼女に付き従う赤い騎獣に飛び乗る。

 残火を迸らせる騎獣が加速し、戦場へ飛び立った。


 一直線に飛翔していくルナリアを見送っていると、ふわりと清涼な匂いがした。

 上空で待っていたらしきフェリスが、俺の眼前に着地した。


「……わ、私はルナリアのように、この状態で、支援魔法を受け止めるのは無理だぞ。……くっ」


 俺はフェリスの腰に右腕を回し、抱きかかえるようにして固定する。

 ぐっと身体を密着させると、俺は彼女に笑みを向けた。


「いつもと逆だな。大丈夫だ、俺が支える」

「……ん。なら、もっと強く抱きしめろ」


 密着したフェリスの体温が俺の身体に伝わる。


「へいへい。速度上昇でいいな」

「……ああ。……んぅ! ……くっ。……あんっ」


 すっと斜めに走る眉を少し寄せ、声を堪えるフェリスがより強く密着した。

 浅緑の布に覆われた胸が逃げ場をなくして、ふにゅりと歪む。

 ワンピース越しに、彼女の胸元、そのふくらみの先端の硬さが伝わった。


 フェリスはしばらく息を整えると、目元を細めて俺に微笑みかけ、そのまま飛び降りた。

 彼女は緑の騎獣に乗ると、風を切りルナリアの後を追い、飛翔していく。


 俺は小さく息を吐いた。

 二人の色香に少しやられた気がしたのだ。


 意識を切り替え、表情を正すと、改めて光の手綱を握り、ルクスへ声をかける。


「よし、俺たちも行くぞ」

「ピイピイ! ピイ!」


 彼女たちに支援魔法をかけるため、速度を落としていたルクスが再び凄まじい勢いで加速する。

 速度が上がるにつれ、視界の端がぼやけていく。


——戦場に変化が起き始めていた。


 ベヒーモスが巨大な前脚を三度振り下ろし、聖騎士が数人がかりで展開していると思われる結界魔法を叩き割った。

 山のような魔物が咆哮を上げる。

 

「ヴォアアアア!!」


 凄まじい轟音が響き渡り、大地が揺れる。

 ベヒーモスの河馬めいた頭部に宿る、邪悪さを煮詰めたような真紅の瞳が、ぎょろりと動いた気がした。


 ベヒーモスの規格外の体躯から伸びる脚は、それだけで巨人の全身ほどもある。

 魔物がその巨大な前脚をゆっくりと振り上げた。


 いや、あれはあまりにも大きすぎるから、ゆっくりに見えるだけだ。

 ベヒーモスが目の前の、矮小な人間を叩き潰そうと前脚を振り下ろす。


 空気をうち震わせる轟音を立てて魔物の脚が聖騎士団へ迫る。


——その瞬間。


 ぎりぎりで間に合ったルナリアとフェリスが、上空で騎獣から飛び降りた。

 彼女たちの美しい髪が、降下の逆風に激しく靡き光を零す。


 彼女たちの騎獣は、赤と緑の粒子へ変化し、それぞれの腕輪へと還っていく。

 その光の流れる様子は、空に散った星屑が二人の腕へ帰っていくようだった。


 ワンピースの裾を激しくはためかせるフェリスが、中空で短剣を抜き放つ。

 陽光を返して緑と紫の光を放つ二本の短剣を、順手で握り、胸元で十字に引き絞る。


 透き通るような水色の髪が、後ろへさらりと流れた。


「……私のアルスの前で、そんなことはさせない」


 フェリスが鋭く振り抜いた短剣の剣閃が、伸びる。

 光のように奔った二筋の剣閃が、迫り来るベヒーモスの前脚を斬り裂く。


「ヴ、ヴォアアア!?」


 妖精のように可憐な少女が放った斬撃が、巨大な魔物の一撃を斬り飛ばした。


 痛撃を受け、ベヒーモスがたたらを踏む。

 巨大な顔に憤怒を浮かべ、濁りきった殺意をフェリスに向けた。

 ベヒーモスがのそりと姿勢を戻し、凄まじい大きさのあぎとを開いた。


 火炎を纏う、黒き魔物ベヒーモス。

 その願いを叶えるため、膨大な魔力が収束する。

 竜の息吹のような業火が、フェリスとその後ろにいる聖騎士団へ襲いかかった。


 とんっと軽やかに地を蹴り、ルナリアがフェリスの前に躍り出た。

 彼女は銀の剣を右下へ下ろしたまま、その息吹を鋭く見据えた。

 火炎が巻き起こす風が、毛先がウェーブがかったルナリアの金糸の髪を靡かせる。


 迫り来る炎が、ルナリアの整った相貌へ淡い影を落とす。


 華奢な肩から伸びる左腕を、ルナリアはゆっくりと掲げた。

 小さな手のひらを広げ、潤いのある唇を開いた彼女が、告げる。


「火炎よ! わたしに従え!」


——火炎の息吹が、静止した。


 俺は、これまでルナリアのとんでもないところをたくさん見てきた。

 そんな俺ですら、その光景には絶句するしかなかった。


 ルナリアが軸足で強く踏み込み、掲げた左手を横へ払う。

 火炎の息吹はすべて向きを変え、術者であるはずのベヒーモスへ襲いかかった。


 自らの炎に焼かれた魔物が、絶叫を上げ、愕然とした表情を浮かべる。


 ルクスに騎乗したまま、俺はしばし唖然としてしまう。


(えぇぇ……、なんなのあれ。火炎が効かないってそういうこと?)


 ベヒーモスは魔法を使うのをやめ、巨体を活かした攻撃に切り替えた。

 ルナリアは銀の剣に業火を纏わせ、それに応戦する。

 フェリスがルナリアを補佐するように短剣を振るう。


 彼女たちの、あまりにも凄まじい速度に、後方に控える聖騎士団は手出しできない。

 そもそも彼らは、急激に変化したこの事態も飲み込めていないだろう。


 俺は舞うように戦い続ける彼女たちを見て、頬を叩いて表情を正した。


(あいつらは、俺の言葉を信じて戦っているんだ)


 呆けている場合ではない。

 俺は、視線を聖騎士団の方へ向けた。


(……ん? あの十三騎聖はレオンじゃないか?)


「ルクス、あそこへ降りてくれ」

「ピイイ!」


 ルクスが、光の粒を大地へ舞い散らせながら降下する。

 地に近づいた羽ばたく翼が、草原の草木を揺らした。


 俺はルクスから飛び降りると、彼に視線を向けた。


「ありがとう、ルクス。一旦戻れ」

「ピイ!」


 ルクスが淡い光に包まれ、白く輝く粒子に変わる。

 その粒子は流れるように、左腕にはまった金の腕輪へ還っていった。


 俺は腕輪に改めて感謝を伝えると、見覚えのある騎聖に声をかけた。


「十三騎聖レオン! 覚えているか! 俺だ、アルスだ! 仲間が時間を稼いでいる。重症者はいるか」


「……え? あ、ああ! 貴殿は……アルス殿か! では、あの時の炎の女神は貴殿の仲間だったのか……」


 ……はて?


 火炎の女神と言えば、ルナリアだろう。

 だが、今の戦いのことを言っている感じではない。


 とはいえ、俺は彼と共に戦ったことはないはずだが。

 まあ、知らない間にルナリアが彼を助けたのかもしれないな。


 俺は、レオンにどう説明したものか思案しながら後方へ視線を向けた。

 聖騎士団の隊列の中央付近、豪奢な外套を羽織った老騎士が倒れているのが見えた。

 傍らの聖騎士が、厳しい表情を浮かべながら彼を支えている。


「じいちゃん! ……じゃない。猊下!」


 俺は、自分でも気がつかないうちに、あの夜に一度会っただけの教皇をじいちゃんに重ねていたようだった。


 少し恥ずかしく思いながら、急いでそこへ走り寄る。

 教皇を支える聖騎士にも、見覚えがある気がした。


 俺が近づくと、血に濡れた腹を押さえながら、教皇がこちらに顔を向けた。

 彼は目を見開き、口元に薄く笑みを浮かべた。


「……ははは。……窮地に現れた英雄が誰かと思えば。あの時の少年とは……美しい奇跡だ。名は……アルス君だったか。……ぐふっ」


「喋ってはなりません、猊下! 貴殿は……あの時の、勇者候補か。助力は感謝する。……だが、猊下は話せるような状態ではない。下がれ」


 教皇を支えているのは、以前、勇者候補の件で面談した老騎士だった。

 名前はなんだったか……。


「……ぐっ。……はぁはぁ。……ヴァルター、よい。いずれにせよ、私はもう助からん。……これまで、私もよく頑張ったろう。最後に、憧れの勇者と話をさせろ」


「ルードリヒ……。分かった。……儂が行くまで、趣味の釣りでもして待ってろ」


 俺は、静かに教皇の側に歩み寄った。

 ちらりと彼の傷口に視線を向ける。

 どう見ても致命傷だ。


 教皇だというのに、あの魔物と最前線で戦っていたのか。

 彼の武力がなければ、食い止めることができなかったのかもしれない。


「……アルス君、その美しい隼は、女神様に授かったのかね」

「はい。そうです。今度一緒に貰いに行きましょう」


 俺の言葉を受け、教皇が優しい笑みを浮かべた。


「……それはいい案だ。……君のような若者とならあのふざけた真実にも、耐えられるかもしれん。……君には、もう少し早く生まれてきて欲しかったものだ」


 俺は屈み込んで、教皇の右手を両手で握る。

 真っ直ぐに彼を見ながら答えた。


「そしたら、ルナリアと出会えていないですからね。勇者にはなれませんでした。……えっと、ヴァルターさん。今から魔法を使いますけど、攻撃じゃないので、俺のこと襲わないでくださいよ」


 突然魔法を行使した俺に聖騎士が激昂したら困る。

 いきなり、熟練の十三騎聖に斬り掛かられでもしたら即死しそうだ。


 なので、俺は先に伝えておく。


 言葉の意味を飲み込めず、きょとんとする老人二人をよそに、俺は回復魔法を使った。


 教皇の腹に開いた穴。致命傷になりかけていたそこを、優しい光が包み込む。

 白く光る粒子が、みるみるうちに彼の傷を癒していった。


「よし、回復魔法を使いました。これでもう大丈夫です。ヴァルターさん、他に重傷者はいますか。あ、魔法のことは秘密にしておいてくださいね」


「え? お、おお? ……はあ?」


 傷が治った当人はすぐに事態を飲み込んだのだろう。

 教皇はすっと立ち上がり、自分の身体をぺたぺた触って確かめている。


 強面に似合わない涙を流していたヴァルターさんは、口を開けたまま固まっていた。


 後方では、絶えず轟音が響いている。

 俺がそちらへ視線を向けると、ルナリアとフェリスがベヒーモスと熾烈な戦いを繰り広げていた。

 

 神話の獣と美しい少女たちが戦う様は、おとぎ話のようだ。

 だが、あれは神話の獣ではないし、戦っているのは俺の大事な女の子たちだ。


 急がなければ。


 俺は、教皇とヴァルターさんの方へ向き直り、表情を正す。

 少しだけそれらしい顔を作り、声を上げた。


「聞け、ヴァルター! 俺は、女神に任命されし勇者アルス! 怪我人を回復してやるっつってんだ。早くしろ!」


「はっ。……あ、ああ! 承知した、勇者殿! 重篤者はあちらに集まっている。今、案内する」


 ヴァルターさんが、隊列の後方へ下げられていた重症者のもとへ俺を案内してくれた。

 俺は回復魔法を使い、順番に彼らを癒しながら口を開く。


「ヴァルターさん、月聖水はまだ残ってますか」

「……急に敬語に戻られると気持ち悪いぞ、勇者殿。月聖水はまだ数本は残っている。だが、あの巨体だ。火炎の魔法もあって、射程が足りない」


 俺は状況を整理し、この後の戦いを組み立てた。

 なるほど。


 俺は重症者を治療し終えたことを確認すると、ヴァルターさんへ顔を向けた。

 思い描く戦いの流れが実現できるかどうか、ひとつだけ気にかかることがあった。


「ちょっと支援魔法をかけますね。いきなりその状態で戦えますか?」


 俺はそう告げるとヴァルターさんに左手をかざして支援魔法をかけた。

 淡い光が彼を包み、速度を引き上げると、粒子となって消えていく。

 

「な、なんだ!? 貴殿、さきほどから詠唱もせずぽんぽんと魔法を使っているが……」

「女神様の奇跡です。ちゃんと内緒にしておいてくださいよ。で、どうですか?」


 胡乱げに俺に視線を向けていたヴァルターさんだが、小さく息を吐き、開けた場所へ少し移動する。


 もう一度、ちらりとこちらを見た後、腰に佩いた豪奢な装飾の剣を抜き放つ。

 彼が剣を水平に構え、一太刀振り抜いた。

 少し眉根を寄せた後、軸足を踏み込み横薙ぎに剣を振るう。

 そのまま手の中で剣を返して左上へ剣閃を奔らせた。


 空を切り裂いた一閃が一瞬だけ真空を生み、どんっと音を立てる。


「す、すごいですね。ヴァルターさん、初めて俺の支援魔法を受けてそれだけ動ける人はあまりいないですよ」


「すごいのはお前だ。まあ、勇者に褒められるのは悪い気はせんが……。とんでもない強化幅だな。これは速度の上昇か。……なるほど。貴殿の確認したいことは分かった。そうだな、十三騎聖の面々ならいきなり実戦も可能だ。儂らにやってほしいことは、時間稼ぎだな?」


 俺は戦場へ視線を向けながら、ヴァルターさんに答える。

 やはりこの人は、凄いな。


「はい。俺が合図したら全力で時間を稼いでください。速度と魔法攻撃力、上げるのはどっちがいいと思いますか?」

「任せろ。属性を選べるのか……無茶苦茶だな。魔法攻撃力だ」


 俺とヴァルターさんは、教皇のいる本隊のもとへ駆け寄りながら、戦いの流れをすり合わせた。


 ヴァルターさんが教皇へ話を通し、俺の前に選抜された十三騎聖が並ぶ。

 その中には、レオンもいた。

 俺を見る彼の瞳に、憧れが浮かび始めていた。


 教皇も参戦しようとしていたが、それは俺とヴァルターさんで止めた。

 回復魔法は疲労を癒せないのだ。

 死にかけていた彼が参戦するのは危ない。


 俺は十三騎聖に支援魔法をかけ終えると、ヴァルターさんから月聖水を数本預かった。


「では、ヴァルターさん、手筈通りにお願いします」

「任せろ。なあ、敬語はやめてくれんか。お前は、本物の勇者だろう」


 俺はヴァルターさんに顔を向け、にっと笑いかけた。


「俺を不合格にしたのはヴァルターさんじゃないですか。諦めてください」

「お前が、洗礼を受けないのが悪い」


 しばらく視線を交わした後、俺とヴァルターさんはどちらからともなく笑みを零した。

 じゃあ、そろそろ神話の獣を狩るか。


 俺は、轟音の鳴り響く戦場へ向かって歩き始めた。



# COORDINATE 0096 END

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