[COORDINATE 0059] City of Ilmenau
# Holy_Knights_in_Battle:
人類圏を遥かに上回る広さを持ち、大陸の半分以上を占めるとも言われる大森林。
俺たちは今、その大森林にほど近い大都市イルメナウの郊外で野営していた。
間近で見る大森林には、葉を生い茂らせた巨大な樹木が隙間なく立ち並んでいた。
降り注ぐ陽光を奪い合うように枝葉は幾重にも絡み合い、森の内部は真昼であってもなお薄暗い。
森全体から立ちのぼる魔力は、魔界の名にふさわしい異様な濃さを帯びていた。
そんな重厚で、圧倒的な生命力に満ちた大森林を間近に望む丘の上に、俺たちは野営地を張っていた。
俺は木製の椅子に腰掛けて、街を防衛する聖騎士団の戦いを眺めていた。
聖騎士団が対峙しているのは、巨大を誇る上級魔物のマンティコアだ。
獅子のような体躯に蛇の尾を持ち、牙には猛毒を備えた強敵である。
街に着いた当初、俺は上級魔物の襲撃と聞いて、防衛に加わろうとしていた。
だが、ほどなくしてその必要がないと知り、今ではこうしてのんびり見物している。
ルナリアが金糸の髪を揺らしながら、茶を手渡してくれた。
「はい。アルス」
「ああ、ありがとう」
フェリスが、水色の髪を手で押さえながら、茶菓子を出してくれた。
「……ん」
「お、焼き菓子か。凄いな。作ったのか?」
ぽりぽりと齧り始めた俺に、フェリスが微笑みながら頷いた。
俺は、彼女たちにまるで幼児のように世話を焼かれながら、引き続き聖騎士団の戦いを眺めていた。
激しい戦闘音が、ここまで響いてくる。
巨大な魔物の剛腕が大地を抉り、魔法が大気を焼いていた。
聖騎士の振るう鋼の刃が、魔物の硬質な皮膚に阻まれる金属音が響く。
詠唱を終えた聖騎士が、やや前に出て先制の一撃を加えているのが見えた。
マンティコアに多少の傷を与えたようだが、致命傷には至っていない。
魔物の鋭い反撃を受け、その魔法使いの聖騎士は跳ぶように後退した。
俺はお菓子を食べながら言った。
「練度はヴァレリオン国軍の方が高いな」
「うん。連携があまりうまくいってないね。でも、ほら――」
一人の聖騎士が、跳び上がるように剣を振りかざし、マンティコアの振り下ろされた巨大な腕を斬りつける。
魔物は、たまらず怯んで後退した。
「個々の力量は高いよ」
「……恐らく、軍の仕組みが違うな。……魔法使いの地位が高いんだろう」
「ぽりぽり。じゃあ、王国もこんな感じなのかね。セルナ統領って凄いんだな」
「……だから、アルス。食べながら喋るなと、言ってるだろう」
呆れたような目で俺を見るフェリスに、にこっと笑いかけた。
小さく息を吐いて、彼女が言った。
「……私はルナリアのように、誤魔化されないぞ。ほら」
そう言いながら、布で口元を拭ってくれた。
薄い唇には、少し笑みが浮かんでいた。
俺は再び聖騎士団の戦いに注視する。
怯んで後退していたマンティコアへ、赤い外套の聖騎士が走り込み、鋭く何かを投擲した。
投擲された何か――硝子の瓶がマンティコアに直撃し、青白く光り輝く液体が、魔物に降り注いだ。
直後、マンティコアからじゅうじゅうと焼けるような煙が立ち上る。
魔物は苦悶の咆哮を上げ、その動きが目に見えて鈍くなった。
赤い外套の十三騎聖の号令を受け、魔法使いたちが雷や炎の魔法を放った。
続いて、十数人の聖騎士がマンティコアの巨体へ、次々と鋼の刃を振るった。
断末魔を上げ、魔物は大地へ崩れ落ちた。
聖騎士団の完全な勝利を見て、俺は茶を飲みながら言った。
「今のが月聖水か。すごい効果だな」
「そうだね。あ、フェリスちゃんご飯の準備? 手伝うよ」
ルナリアとフェリスは、聖騎士団にあまり興味がないらしく昼食の準備を始めた。
俺は、どうやってこんな大森林のすぐ近くにある都市を維持しているのか、不思議に思っていた。
魔族は大森林から出ないのが定説だが、魔物はその限りではないし、上級魔物ともなれば防衛は容易ではない。
その防衛を支えている秘策が、どうやら、この月聖水らしい。
やはり、先日の老人は教皇猊下だったようで、月聖水は猊下が魔法で製作している超高純度の聖水だそうだ。
月聖水は、魔物を大幅に弱体化させ、魔族にすら効果があるらしい。
門番に聞いたところによると、大森林近隣の都市には月聖水が防衛用に配備されているとのことだった。
ちなみに、門番の兵士たちとは、野営生活の合間に酒を分けたりして、かなり仲良くなっていた。
俺は茶を飲みきって立ち上がった。
ルナリアとフェリスが昼食の準備を始めているのが見えた。
教国の薄暗い曇り空の下でも、彼女たちの髪のつややかさは変わらない。
ウェーブがかった金糸の髪と、真っ直ぐな水色の髪がそこだけ別世界のように輝いていた。
「フェリスちゃん、鶏肉ってこれくらいでいい?」
「……ん。もう少し薄く切ってくれ。……もう少しだぞ」
彼女たちは、俺に食事の準備と後片付けを手伝わせてくれない。
なので、待っている間、鍛錬でもすることにした。
馬車の中から黒壇の木剣を取り出す。
星切を腰帯から外し、脱いだ神官服と一緒に馬車の中に置いた。
冷気が身体に突き刺さる。だが、ものの数分で汗だくになるだろう。
俺は両手で木剣を握り上段に構えた。
型をなぞるように、ゆっくりと振り下ろす。
ルナリアの袈裟斬りを思い浮かべ、動きを丁寧に意識しながら鍛錬を始めた。
徐々に鍛錬に集中し始め、あっという間に時間が過ぎていた。
いい匂いが周囲に漂ってきた。
「アルス、そろそろできるよ。はい、どうぞ」
「ありがとう」
俺は、ルナリアから綺麗な布を受け取って汗を拭き取る。
布を洗濯用の箱に放り投げてから、星切を腰帯に差し、神官服を羽織った。
「いい匂いだな」
「……ん。昼なので簡単なものだが。鶏肉と根野菜の炒め物だ」
フェリスが涼やかな表情で答えた。
俺たちは各々の椅子に座って食事を始めた。
塩気の利いた味付けで、パンがよく進む。
俺がもきゅもきゅと鶏肉を頬張っていると、フェリスが口を開いた。
「……しかし、なかなか収穫がないな」
「そもそも、大森林の奥地なんて誰も知らないよなあ」
今、俺たちが滞在しているイルメナウの街はかなり大きな街だ。
大森林から流れる支流のうちのひとつがこの街を通り抜けていた。
この支流を利用して、大森林内の要塞で伐採された木材が街へ運ばれてくる。
イルメナウは、大森林産の木材を加工する一大都市なのだ。
人口も多い。
なので、俺たちは数日の間、賢者の迷宮の手がかりがないか街の中で聞き込みや調べ物をしていた。
だが、いまのところ何の成果もない。
まず、酒場にあまり人がいないから情報を得ることができない。
良くも悪くも教国の人たちは洗練されていて、酒場で管を巻くような文化がなさそうだった。
ギルドのようなものもないし、当然書籍なんてものは一般には流通していない。
聖騎士ならば様々な情報を持っているだろうが、勇者候補を蹴った以上、協力を仰ぐことはできない。
どうにも、この国は職業ごとの区分けが明確で、必要のない情報を得ようとする欲求が薄いように感じた。
ルナリアがパンを咀嚼し、口元を布で上品に拭ってから言った。
彼女の赤い瞳が俺に向いた。
「やっぱり、わたしが奥地まで飛んで見てこようか?」
「いや、飛行型の魔族にでも出会ったら危ない。一人で行くのは駄目だ」
俺はパンに鶏肉を挟み、即席のサンドイッチを作りながら答えた。
すでに食事を終えているフェリスが、ルナリアの方を向いて言った。
彼女の水色の髪がさらりと肩から流れ落ちた。
「……なあ、ルナリア。……私を抱えて、どのくらいまで上昇できる?」
「フェリスちゃん一人なら、中央教会の五倍くらいの高さまでは飛べるよ」
フェリスが細い人差し指を真上へ向ける。
「……一度、ここの上空から観察してみるか」
「なるほど、いい案だな。お前たちの視力なら、ここからでも何か見つかるかもしれない」
ルナリアがお茶を淹れながら言った。
「ねえ、アルス。遠眼鏡があったよね。あれをフェリスちゃんに使ってもらおうよ」
「……そんなものを、持っていたのか」
俺はルナリアから受け取った茶に口をつけてから、言った。
「ああ、だいぶ前に買ったんだ。俺が遠眼鏡を使うより、ルナリアの裸眼のほうが遥かに遠くまで見渡せたから、荷物の奥に突っ込んだままだ。
けど、そうだな。フェリスが使えば効果的かもしれない」
「……ものは試しだ。やってみよう」
# Aerial_Reconnaissance:
食事を終えた彼女たちは、一息ついてから準備を始めた。
ルナリアが、俺にする時と同じように、フェリスの細い腰を左腕で抱きかかえる。
フェリスの方が背が低いから、彼女は少し背伸びするようにして右腕をルナリアの首に回した。
向かい合って密着した二人の身体の、柔らかな胸が押しつぶし合うように重なり、むにゅりと歪む。
二人の美しい相貌と相まって、その光景はやけに濃い色気を孕んでおり、俺は思わず視線を逸らした。
「フェリスちゃん、しっかり掴まっててね」
「……ああ。私に遠慮しないで、高度を上げていい」
ルナリアはフェリスに頷くと、アストライアの剣を腰から抜き放った。
頭上へ掲げられた銀の刀身が、陽光をきらりと跳ね返す。
「――わたしはルナリア・アストライア! わたしはアルスの剣! 我が心身は所有者たるアルスの為に在る! 彼の望みを叶えるため、我が身を竜と化せ!」
眩く赤い光がルナリアの全身を包み込んでいく。
魔力が微かな風を起こし、ウェーブがかった金糸の髪が肩の上でふわりと揺れた。
「いくよ」
「……ああ」
ルナリアが、とんっと軽く地面を蹴って跳び上がる。
中空で、赤い光が一気に輝きを増し、二人の身体が重力から切り離された。
二人の身体はぐんっと加速して空へ舞い上がった。
彼女たちのスカートとワンピースの裾がはためき、それを真下から見上げていた俺はぽつりと言った。
「白と黒か」
ぐんぐん高度を上げていく二人は、すぐに小さな赤い光点にしか見えなくなった。
やがて二人は一定の高度で静止し、そこから少しずつ位置を変えながら観察を始めた。
俺はそれを確認すると、テーブルのところへ戻り、残っていた茶を木杯に注いで口をつけた。
甘えてくるブルーとブラウンのたてがみを撫でながら、ふと思った。
そういえば、ルナリアの飛行魔法って一体どれくらい持続するんだろうか。
待ってる間、暇だな。
暇つぶしに愛馬たちのブラッシングをしていると、ほどなくして上空に二人が戻ってきたようだった。
見上げると、彼女たちはスカートを押さえるようにして静止していた。
遥か上空から、フェリスが飛び降りた。
彼女は勢いを殺すように、くるくると縦に回転しながら着地した。
慣性に引かれて鮮やかな青の外套が捲れ、太ももが陽光を弾いて艶めく。
続いてルナリアも魔法を解除し、スカートを押さえながら真っ直ぐに落下する。
中空でくるりと回り、そのまま地に降り立った。
なぜ、こいつらはあんな高度から着地できるんだ……。
「ただいま。大森林ってやっぱり凄いね。木に遮られて地面は全然見えないのに、飛行型だけでもすごい数の魔物がいたよ」
「……しかし、予想より奥地まで見えたな」
俺は、せめて茶くらい淹れようと思って湯を沸かし始めた。
「目ぼしい地形はあったか?」
「……ダイアナ峡谷ほど印象的なものは、そう多くない。……だが、いくつかはあった」
こぽこぽと沸いた湯で茶を淹れた。
俺は茶を木杯に注いで二人に渡す。
彼女たちは茶を飲みながら、上空から見えたものを順に話してくれた。
当然ながら、最も目を引くのは世界樹だ。
だが、高度を上げても、位置を変えても、ここから見た時と大きさも距離感もあまり変わらなかったという。
まるで、夜空に浮かぶアズールのようだ。
相当に遠いのだろうか。
俺は遠目に霞がかって見える世界樹に視線を向けた。
ただそこにあるだけで、それは圧倒的な神秘と存在感を放っていた。
……それなのに、あれほど存在感があるのか。
ルナリアが茶を飲んで喉を潤して続けた。
彼女のぷるんとした唇が、濡れて光を跳ね返す。
「あ、あとそう。川の本流が見えたよ。凄く大きい滝があったね」
「……ああ。だが、かなり遠い。川を使えばいけそうだが……」
そう言ったフェリスに、ルナリアが答えた。
「川沿いに教国の要塞みたいなものがあったから、鉢合わせるかも。こっそり行くのは難しそうだよ」
「そもそも、俺たち船なんか持ってないしな」
ルナリアが茶を飲んで喉を潤し、話を続けた。
「……あとは巨大な窪地があった。……そこだけ、植生がまばらだった」
「あそこ、真ん中に何かあったよね」
フェリスは、透き通るような美しい水色の髪を、耳にかけて茶を飲んだ。
長いその髪が光を零すように流れた。
「……ん。そうだな。どこか違和感のあるものだった。……ううむ。アルス、お前が一度見てみるべきだ」
「えぇ……。めちゃくちゃ嫌だなあ。まあ仕方ないか。ルナリア優しくしてね」
茶を吹き出しかけたルナリアが言った。
「いつも、優しく飛んでるでしょ。あそこなら、そこまで高く飛ばなくても視界が通るから、大丈夫だよ」
「はーい。じゃあフェリス、遠眼鏡を貸してくれ」
俺はフェリスから遠眼鏡を受け取り、勇気を振り絞る。
とは言え、ゆっくりと真っ直ぐ上昇するだけなら我慢できるだろう。
どうも、速度を乗せて乱高下するのが致命的に恐怖心を煽るらしい。
いや、怖いんだけどね。
俺は、ルナリアの左腕に抱きしめられて、天高く飛翔した。
彼女の胸の柔らかさと、そこから漂う甘い身体の匂いが、俺の精神安定の要だ。
下を見るよりよっぽどましなので、俺は遠方へ視線を向けた。
遥か遠くに、俺を呼ぶ女神様のいるらしき世界樹が見えた。
霞がかって見えるその偉大な世界樹の手前には、巨大な河が大地を断ち割るように横たわっていた。
その大河の源には、膨大な水量をそのまま叩きつけるような、途方もない横幅の滝があった。
俺は、涙をこらえながらルナリアが示す方角を確かめる。
……本当だ。
どこまでも広がる大森林の中、一箇所だけ緑が途切れている場所が小さく見えた。
川以外で緑色でないのは、あそこだけだ。
俺はそこを遠眼鏡で覗き込んだ。
遠眼鏡の狭い視界に、窪地の景色が映った。
少し歪んだ円形は、なにか巨大なものでも墜落したような跡地だった。
街がひとつ収まりそうなほど大きな窪地の中央に、鈍く光る巨大な白い筒があった。
雨風に晒されたせいで土汚れが付着しているようだが、それでもなお美しい。わずかに走る継ぎ目は、気味が悪いくらい直線的だ。その姿から、俺は賢者の迷宮の最深部を連想した。
なるほど。
フェリスが俺にも見てみろと言った理由がわかった。
鉄……じゃないな。あの賢者の迷宮の最深部と同じように、よく分からない素材だ。
表面には、文様のようなものが走っている。
いや、違う。あれは文様ではない。文字だ。
賢者の迷宮の光景で、あれと同じような形のものを見た。
あれは文字だったはずだ。
だが、読めないな……。
いや、一部理解できるぞ。
「数字だ。ルナリア、あの数字が見えるか」
「え? あ、本当だ。えっと……024かな?」
――それからしばらく観察を続け、俺が頷いたのを見て、ルナリアはゆっくりと丁寧に下降した。
茶を飲みながら、俺たち三人は顔を寄せ合って話し合った。
正直に言えば、迷宮がある地形だと俺には思えなかった。
俺の想像する賢者マクスウェルなら、あそこに迷宮を造らない。
だが、あの文字。
あれは、賢者に連なる何かであるのは間違いない。
行く価値はあるだろう。
そう話す俺に二人の異論はなく、力強く頷いてくれた。
俺たちは、翌日の早朝に野営地を撤収した。
愛馬と馬車を、街外れの牧場に高額な金を払って、しばらく預けることにした。
物資を補給し武具の手入れをした。
そして、俺たちは大森林へ足を踏み入れた。
# COORDINATE 0059 END




