[COORDINATE 0057] Arrival at the Holy City
# Reporting_Our_Arrival:
俺たちの馬車は、ロンネブルクを発ち、ボレアリス平原の街道を南西へ進んでいた。
迷宮の依頼を受けた際、俺は支部長に、できるだけ早く聖都へ着きたいと伝えていた。
そのおかげで、支部長があらかじめ物資や食材を用意してくれており、俺たちはすぐに出立できた。
十三騎聖レオンと邂逅した翌日には、こうしてもう旅を再開している。
おかげで俺は、寄り道を咎められずに済んだ。
……いや、落ち着いて考えてみれば、俺たちは人助けをしていたのだ。あのレオンという人物が、それを咎めるとも思えなかったが。
俺は御者をするルナリアの隣に座り、周囲の景色へ目を向けた。
聖都を擁するボレアリス平原は、どこまでも続く緩やかな平地だった。
ところどころに小高い丘や細い川はあるものの、それ以外は見渡す限り平原が広がっている。
遥か遠方には、地平線の向こうへ隠れつつあるフレイヤ山脈の尾根が、小さく見えた。
景色の変化らしい変化はない。
俺の冒険心を満たすような、劇的な自然の移り変わりもなかった。
だからこそ、女神様はこの土地に最初の国を築かせたのかもしれない。
もっとも、実際にそう指示したのは、あの魔法で見た賢者たちなのだろうけど。
俺は頭の後ろで腕を組みながら、隣のルナリアに言った。
「そろそろ、聖都につくかな」
「うん。もう少しだよ。でも、あまり他の馬車が見えてこないね」
ルナリアのとても豊かな双丘が、馬車の揺れに合わせてたゆんと揺れていた。
俺はそれをちらちら見ながら、ルナリアの言葉について考えていた。
そういえば、景色にばかり気を取られていたが、他の馬車とほとんどすれ違っていない。
王国でも共和国でもそうだったが、国の中央に近づくにつれて、街道には行商の馬車や旅人の姿が増えていた。
だが、そろそろ聖都が見えてきてもおかしくない距離だというのに、そうした気配はまるで感じられなかった。
「そうだな。年の瀬だからか? 教国では、女神祭のあとは年明けまで移動しない、とかあるのかな?」
「うーん。そんな決まりごと、聞いたことないよ」
大森林で起きているという異変と、何か関係があるのかもしれない。
聖騎士がそちらへ大勢動員されているせいで、街道の安全が十分に保てていない可能性もあった。
ときおり魔物と遭遇したが、彼女たちのおかげで平地の魔物に脅威を感じることはなかった。
――そうして、数日の間のんびりと街道を進んだ。
今日は、珍しく晴れ渡る青空が広がっていた。
俺たちの馬車が、ごとごとと小高い丘を登っていく。
やがて、丘の向こうの景色が少しずつ見えてきた。
……もどかしい。
いよいよ我慢できなくなった俺は、坂を登る途中で馬車から飛び降りた。
俺は二人に手を上げて短く告げると、神官服を翻して走り出した。
「わるい、ちょっと先に見に行くわ!」
「もうっ、しょうがないんだから」
「……可愛いな」
二人の声は、もう俺に届いていなかった。
俺は一目散に丘を駆け上がる。
一刻も早く、この丘を登りきって、その向こうの景色を見たかった。
俺は、途中で息を切らしつつも、なんとか全速力で丘を駆け上がった。
荒い呼吸のまま、どうにか顔を上げる。
「はぁ……っ、はぁ……」
下から穏やかな風が吹き抜け、熱を持った髪を撫でていく。
そして俺は――思わず息を呑んだ。
真っ先に、遥か遠くに霞む世界樹へ目を奪われた。
あまりにも遠く、うっすらとしか見えない。
それなのに、しばらく視線はその世界樹に引き寄せられたまま、目が離せなかった。
賢者の迷宮で見た魔法の光景も、夢の少女のことも、この瞬間には関係なかった。
俺は、強烈に思った。
あそこへ行きたい。
少し落ち着いてくると、視野が広がった。
世界樹へ行きたいという俺の想いを拒むかのように、広大な大森林が地平線の彼方まで続いている。
右を見ても左を見ても、その果てまで大森林が埋め尽くしていた。
あそこは、強大な魔族や魔物が跋扈する魔界だ。
それを知っていてなお、俺には雄大で素晴らしいものに見えた。
そして最後に、聖都が目に入った。
美しく荘厳な大教会が、街の中心にそびえ立っている。
そこから四方へ向かって、一直線に街道が伸びていた。
周囲を囲む城壁は、陽光を受けて白く輝いている。
整然と築かれたその姿には、王都とはまた違う、信仰と秩序の力が感じられた。
俺は腕を組んで、その光景を眺めた。
聖都は美しい。
王都に比べても遜色のない、人間の力強さを感じる街であることは間違いない。
――けれど、俺の心をずっと強く引いたのは、世界樹とその周囲に広がる大森林のほうだった。
三大国を旅して、一番変わったのは、冒険に対する俺の好みかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
やがて、俺のいる場所へルナリアとフェリスが歩いてきた。
馬車は街道の脇に止めたようだ。
「もうっ。こういうのは一緒に見るものでしょう。先に走り出しちゃうなんて、子どもみたいなんだから」
「……そう言いつつ、走り出すアルスをにこにこ見ていたじゃないか」
俺は彼女たちのほうへ振り返り、頭をかきながら謝った。
「ごめんごめん。道中があまりにも退屈だったからさ。すごいぞ、早くこっちに来いよ」
「わあ、凄いね。うわあ、あれが世界樹なんだ。ひと目で分かるね」
「……まさか、私があれを見る日が来るとは、思わなかったよ」
金と水色の髪が風に流れ、きらきらと輝いていた。
俺は違う意味で美しい二人にしばし見とれたあと、再び大森林へ視線を戻した。
そこで、俺は少し違和感を覚えた。
「なあ、なんか大森林のあそこ、あの奥の方で木が動いてない?」
「……ん? どこだ? ……ああ、あそこか。確かに何か動いている。……とてつもない大きさだぞ」
ルナリアが一歩前へ出て、風に金糸の髪をなびかせながら、遥かな地平の先へ目を凝らした。
宝石のような赤い瞳が、それを捉えたようだった。
「えっと、とっても大きい……なんだろう。大きな口の……河馬? かなあ。大きな魔物だねえ」
「……ルナリア、お前はあそこまで視界が届くのか」
俺は腕を組んだまま、それを見つめていた。
やがて、大森林の向こうで揺れていた木々が、すっと静まった。
「地平線の向こうに行っちゃったね」
ルナリアがこちらへ振り向いて言った。
いきなり、とんでもないものを見てしまったな。
とはいえ、俺が見たいのは、ああいうびっくり生物じゃない。
……雪だ。俺は雪が見たいんだ。
# A_Comfortable_Campsite:
俺たちは聖都へ辿り着いた。
だが、俺は宿が取れるかどうかを確認する気にもならなかった。
ここは教国の首都で、女神教の中核都市だ。
どうせ宿泊を拒否されるのは目に見えていた。
そこで、聖都に滞在している間はこの丘で野営することに決めた。
景色も、結構気に入っていた。
なだらかに盛り上がった草地の上は見晴らしがよく、風も心地いい。
大森林と世界樹もよく見えた。
目の前に美しく白い荘厳な都市があるのに、あえて野営をする感じも少し楽しい。
普段の野営と違って、物資の補給はいくらでもできる。
そのうえで、外で寝泊まりするのも悪くないかもしれない。
いつもなら、街道からもう少し離れた場所で野営するが、今回は問題ないだろう。
やはり、人や馬車の行き来がほとんどなかったからだ。
俺は野営の準備を始めている二人へ声をかけた。
「じゃあ、ちょっと到着したことを聖騎士に伝えてくるよ」
ブラウンとブルーを誘導していたフェリスが、ちらりとこちらを見る。
それから瑠璃色の瞳を、すっとルナリアへ向けた。
「……ん。ルナリア、私は野営地の準備をしておく」
「はーい。じゃあ、わたしが行ってくるね」
返事をしたルナリアの赤い瞳が、昼の陽光を受けて宝石みたいにきらりと光った。
俺は星切に左手をかけながら、軽く抗議した。
「すぐ戻るから、一人で大丈夫だよ」
「……駄目だ」
フェリスに即、却下された。
俺は腕を組んで、小さく息を吐いた。
とはいえ、聖都に入るのは初めてだし、心配するのも仕方ないか。
フェリスが、瑠璃色の瞳をこちらに向けて言った。
「……ついでに、調味料を買ってきてくれ」
俺はフェリスに頷くと、馬車の荷台へ向かった。
いくらかの金と身分証明書を鞄へ入れ、丘を下って聖都の門へ向かう。
すぐに、追いかけてきたルナリアが俺の隣に並んだ。
肩が触れ合いそうな距離を歩く彼女から、甘い匂いがふわりと漂ってくる。
白く美しい城壁に、ひときわ大きな見張り台がそびえている。
その間に設けられた巨大な門へ、俺たちは歩みを進めた。
日中だというのに、やはり人の出入りは少ない。
それでも何人かは、街に入るための審査待ちで列を作っていた。
俺はその列に加わり、順番を待った。
「アルスです。勇者候補として来訪しました。聖都到着の連絡をお願いします」
「はぁ……」
気の抜けた返事をする兵士に、俺は苦笑しながら身分証明書を軽く示した。
しばらく身分証を確認していた兵士は、途中で態度を一変させ、姿勢を正して言った。
「はっ。アルス様、少々お待ちください! すぐに上へ報告いたします!」
そう言うと、彼は同僚に声をかけ、一目散に詰め所へ入った。
しばらくして、詰め所から別の兵士が街の中へ駆けていくのが見えた。
それにしても、今日はいい天気だ。
肌寒い季節だが、穏やかな陽光が差しているだけでずいぶん暖かく感じる。
俺は列を外れ、対応を待つあいだ、交代で応対に来た兵士と雑談していた。
「――じゃあ、この馬車の行き来の少なさも、大森林の影響なんですか」
「はい。普段であれば国営の行商がもっと頻繁に往来するのですが、今は物資の大半が大森林方面へ優先的に回されています」
思っていた以上に、大森林の状況はよくないのかもしれない。
「じゃあ、北側の門は賑わっているんですね」
「それでも、平時に比べればかなり少ないです。やはり街道の安全が十分に保たれておらず、物流そのものが滞っているようでして」
やはり、物流にも影響が出ているのか。
だとすると、辺境の都市は大変だろう。
ここまで教国で訪れた街は、どこも配給にかなり依存していた。
ガストン商会には気にかけるよう伝えておいたが、ハンナさんの孤児院は大丈夫だろうか。
やがて、城門の奥から白銀の鎧を纏った騎士が歩いてくるのが見えた。
胸元と肩には、世界樹と女神を象った黄金の装飾。聖騎士だ。
彼は俺の前で立ち止まり、まず俺とルナリアへ視線を走らせた。
一歩引いて控えるルナリアをひと目見てから、聖騎士は俺へ向き直る。
そうして印を結び、口を開いた。
「勇者候補アルス殿であるな。聖都へよく来られた。失礼だが、身分証明書を拝見してもよいだろうか」
「はい。こちらです」
俺が差し出した、ユーリとセルナ統領による身分証明が記された羊皮紙を、聖騎士は丁寧に確認した。
書面を丸め直して俺へ返し、少しだけ表情を和らげて続ける。
「確かに確認した。貴殿の到着を、猊下は大変心待ちにしておられた。すぐに十三騎聖へ本件を報告する。追って連絡を入れるので、宿泊先を教えていただきたい」
「宿には泊まりません。野営をする予定ですので、連絡はそちらまでお願いします」
俺の返答が予想外だったのだろう。
聖騎士は、訝しげに答えた。
「……野営か?」
「はい」
聖騎士は言葉を選びながら、話を続けた。
「失礼ながら、もし金銭的な問題であれば、こちらで負担するが」
「いや、いらないです。街道沿いのあの丘の上に野営地を張る予定なので、連絡はそこまでお願いします」
聖騎士は少し考え込んでから、俺の指差した丘のほうへ視線を向けた。
そのまま、思案している聖騎士に俺は言った。
「野営が好きなんです。気にしないでください」
「……そ、そうか。では、近日中に連絡を入れる」
聖騎士は姿勢を正し、改めてそう答えた。
ひとまずは納得したのだろうか。
それと、街へ入る許可も取っておかなければならない。
俺は聖都の中へ視線を向けて言った。
「街で買い物しても大丈夫ですか? 調味料を買いたくて」
「無論、自由に出入りしてもらって構わない。おい、アルス殿を案内しろ」
兵士が一歩前へ出ようとしたので、俺は手を振ってそれを制した。
「いえいえ。街の探索も楽しいですから、気にしないでください。場所だけ教えてもらえますか」
「そうか。門を入って中央通りを進むといい。食品店が並ぶ通りがある」
礼を言って、俺は聖都の門をくぐった。
初めは世界樹や大森林に圧倒されて、聖都そのものへの感動は薄かった。
だが、やはり街は中へ入ると違うなと思った。
ここからでも見える荘厳な白亜の教会は、神秘的な雰囲気を湛えている。
そこへ伸びる真っ直ぐな通りには、白く美しい石畳が整然と敷かれ、左右には剪定された街路樹が等間隔に並んでいた。
人々は皆、姿勢よく静かに歩いている。街の喧騒といった感じはないが、それでもやはり大都市ならではの活気は感じられた。
……しかし。
「やっぱり人が少ないな」
「そうだね。でも王都もこれくらいだったかも」
確かに、共和国の人の多さに慣れたせいもあるのかもしれない。
俺はそう思いながら中央通りを進み、目的の通りで調味料を買ってフェリスのもとへ戻った。
丘へ戻ると、立派な野営地が出来上がっていた。
雨を弾くための布が、馬車の天板から地面に差された支えへ向かって張られている。
その下には、木製の組み立て式の机と椅子が並べられていた。
さらに、穴の空いた鉄製の四角い箱には薪がくべられ、炎が周囲の空気を温めていた。
すべて、ガストン商会ロンネブルク支部の支部長が贈ってくれたものだ。
上級冒険者に向けた、商会の新商品らしい。
フェリスは木製の椅子に腰掛け、優雅に書籍を読んでいた。
「……ん。早かったな」
「ああ、教国はどの街も構造がわかりやすいからな。……しかし、豪勢な野営になったな」
ルナリアが、茶を淹れるための道具を荷台から出しながら続けた。
「もうここに住めそうだね」
「ほんとにな。おお、天幕の下に入ると、さらに温かいぞ」
「……それはよかった。椅子の組み立てだけ、少し手こずった」
俺はブルーとブラウンのところへ行き、たてがみを撫でてやる。
今日は俺たちが野営することを理解しているのか、二頭ともどこか嬉しそうに見えた。
「しばらくは一緒に寝泊まりだ。よろしくな」
「ぶるるん」
愛馬と会話する俺を、ルナリアが目元を細めて見ていた。
やがて日が暮れ、フェリスが作ってくれた夕食を三人で食べた。
買ってきた香草のおかげで、岩魚の塩焼きはいつも以上に美味しく感じた。
食後は、葡萄酒を少しだけ飲みながら雑談をした。
今日の話題は、教国の賢者の迷宮がどこにあるのか、その予想だった。
「俺は大森林の中だと思うんだよな」
「うーん。それが一番ありそうだよね。それ以外なら、大教会の地下とかかな?」
「……賢者の性格からして、私は特異な地形にあると思う」
俺は話をしながら、ときおり二人の横顔を眺めた。
揺らめく炎の光が作る彼女たちの陰影は、どこか幻想的だった。
夜も更けてきたので、二人が後片付けを始めた。
いつも通り俺は後片付けに参加させてもらえず、丘の草地に座り込んで世界樹を見ていた。
世界樹と周囲の大森林の影が、星空に溶け込んでいた。
俺は、自分の魂が世界樹に強く惹かれているのを感じていた。
静かにその風景を見ていると、不意に声がした。
「世界樹を見るのは、初めてかね」
俺は驚いて、そちらを向いた。
――そこには、ひとりの老人が立っていた。
# COORDINATE 0057 END




