[COORDINATE 0056] City of Lonneburg
# Underground_Garden_Dungeon:
壮麗な景色が眼前に広がり、周囲からは涼やかな水流の音が響いている。
その広大な空間には、草木の生えない土の地面が一面に広がっていた。
その地面を分断するように、幾筋もの澄んだ小川が流れていた。
その川面と地面はほとんど同じ高さで、わずかに波立つだけで、突き刺さるように冷たい水が俺の足を濡らした。
天井は、異様なほど高い。
地中深くにいるはずなのに、そこには淡く青い偽りの空が広がっていた。
雲のような白い靄まで浮かんでいる。
さらに奥には、巨大な断崖がそびえ立っていた。
その壁面には様々な樹木が幾重にも絡み合うように生い茂り、まるで森そのものが垂直にそびえているようだった。
遥か遠方では、飛行型の魔物がゆるやかに旋回している。
――俺たちは今、Sランク級迷宮『地下庭園』へ足を踏み入れていた。
聖都へ向かう途中、ガストンさんに教えられた支部のある街に立ち寄った。
そこで、俺たちは半ば泣きつかれるような形で迷宮攻略を依頼されたのだ。
ここを起点に魔物の氾濫が発生しているとのことで、上層だけでもいいから魔物を間引いてほしいという内容だ。
本来、教国では迷宮の魔物の間引きは聖騎士の管轄で、商会が関わることではない。
だが、とある理由で放置されており、商会としては困っているらしい。
どうやら、聖騎士団は人手不足に陥っているとのことだった。
大森林から襲い来る魔物が異常に増えており、防衛のためにその大半が駆り出されているのだという。
商会の支店長によると、先日の光の柱以降、そうした異変が相次いでいるようだ。
ガストン商会の頼みだ。俺はもちろん快諾した。
しかし、聖騎士教会は許可を出し渋った。
彼らにも彼らなりの矜持があるからだろう。
だが、迷宮から溢れた魔物が近隣の街道へ現れ始めたと聞いた途端、態度を急変させた。
彼らだって街の住人だ。
矜持よりも人命のほうが大事なのは、同じだった。
――そうして迷宮攻略を開始し、俺たちはいま地下二階まで進んでいた。
ゆっくりとフェリスが先頭を進む。
その後ろに俺が続き、ルナリアが隣を歩く。
フェリスは、ときおり地面に左手をつき周囲を確認しながら慎重に進んでいく。
俺は周囲に視線を向けながら、この迷宮の道中を振り返っていた。
ここまでの道中だけでも、この迷宮がいやらしい構造をしていることは十分理解できていた。
賢者の迷宮とは比べものにならない。
あの迷宮は、やはりどこか理性的だったと再認識した。
景観は美しく、それでいてどこか歪んでいる。
そして、迷宮の悪意がこもった罠が突然襲いかかる。
フェリスの探索技能がなければ、ルナリアがいても一階すら攻略できなかっただろう。
この迷宮は青空に照らされていて、とても明るい。
前を歩くフェリスの透き通るような水色の髪が淡く輝いていた。
フェリスの長い耳がぴくりと動いた。
彼女は、水色の髪をさらりと揺らしながらしゃがみ込み、左手を地面についた。
「……ん。ルナリア、アルスを抱えて飛んでくれ。……それと、私が今から小石を投げる。そこに魔法を撃ってくれ」
「うん。任せて」
「また飛ぶのか……」
ルナリアが、しゃっと鞘走りの音を響かせ、銀の剣を抜き放った。
そして、アストライアの剣を頭上へ掲げた。
右手の薬指にはめたルビーの指輪が、やわらかく光を返した。
「――わたしはルナリア・アストライア! わたしはアルスの剣! 我が心身は所有者たるアルスの為に在る! 彼の望みを叶えるため、我が身を竜と化せ!」
魔力がルナリアの願いを叶え、彼女の周囲で赤い光を放った。
ルナリアが俺のそばに来て、腰に手を回し、左腕で抱きかかえた。
彼女の薄布一枚に隔てられたふくらみが俺に密着し、むにゅりと形を変えた。
ルナリアがとんっと跳び上がり、そのまま飛翔して中空で静止した。
フェリスは、飛び上がった俺たちを確認すると、その辺りに落ちていた小石を拾い上げ、前方へ投げつけた。
かんっ、と乾いた音が響く。
「――ファイアランス!」
ルナリアが俺を抱きかかえたまま、左手を突き出して炎の槍を放った。
魔法が巻き起こした風で、金糸のような髪が後ろへさらりと流れる。
こぼれる光をそのまま編み込んだように、波打つ髪が一瞬きらめいた。
炎の槍が轟音とともに、フェリスが示した箇所を正確に撃ち抜いた。
その瞬間、地面の中で何かが動く音がした。
ずがん、という音とともに、魔法が撃ち込まれた箇所に真四角の穴が開いた。
樹木の生い茂る壁面から流れ出ている小川の水量が、わずかに増えた気がした。
すぐに、水が爆ぜる音とともに、凄まじい勢いで濁流が発生する。
フェリスが地面を踏み砕くように跳び、足元が円状に陥没した。
彼女は中空で腰のシルフの短剣を抜き放ち、詠唱した。
「……私はフェリス! 私はアルスの翼! 私は彼のすべてを赦し肯定する為に在る! 彼の望みを叶えるため、我が身を風の妖精と化せ!」
掲げたフェリスの右手で、薬指のサファイアの指輪が迷宮の灯りを受けてきらりと輝いた。
フェリスは緑の風を纏い、その場からかき消えた。
彼女は、二回ほど瞬間移動して空間の壁へ達する。
緑の短剣を壁へ突き刺し、片腕だけで身体をそこへ固定させた。
俺たちの下を濁流がごうごうと流れ、その圧倒的な水量がすべて先ほど開いた大穴へ流れていく。
何体かの魔物がその水流に飲まれ、罠に喰われていくのが見えた。
やがて奔流は収まり、四角く開いた穴だけが残された。
小川の水位はなおも下がり続けている。
開いたままの穴へ、すべての水が流れ込んでいるせいだった。
ルナリアが俺を気遣うようにゆっくりと下降し、俺を丁寧に降ろす。
フェリスが壁を蹴って跳び上がり、俺たちのもとへ瞬間移動してきた。
「おお……あんなのに巻き込まれたら、俺なんか、その時点で凍死だ」
「……ん。これこそ迷宮だ」
フェリスの声音は、心なしか少し楽しそうだった。
いまの動きで、上空を旋回していた魔物がこちらを視認していた。
様子を伺うように中空で静止した後、こちらへ向かって高度を落としながら迫ってきていた。
グリフォンが三体。
今の二人なら、正面からでも余裕を持って勝てるだろう。
だが、上級魔物との戦闘は久しぶりだ。
きっちりと、丁寧にいくべきだろう。
俺は気を引き締め、二人の背中へ手を伸ばし、速度上昇の支援魔法を展開した。
淡く白い光が彼女たちを包み込み、粒子となって消えていく。
「ルナリア、飛行魔法を使って、二体を地面へ叩き落としてくれ。フェリス、一体いけるか?」
「あ……っ、ん……ぁん。う、うん。行ってくるね」
「……っ。……んっ! ……ああ、任せろ」
[ System : Lunaria Reason_Gauge -10 ]
[ System : Ferris Reason_Gauge -5 ]
ルナリアが銀の剣を右下へ流すように構えたまま、前へ駆け出す。
そのすぐ後ろから、フェリスが左手の短剣を引き抜き、ルナリアの後ろに続く。
次の瞬間、上空のグリフォンたちが一斉に風の刃を放つ。
三体同時。合計九つ。鋭い風の刃が、彼女たちを切り裂くように殺到した。
ルナリアの握る銀の剣が、ごうっと紅蓮の炎を纏う。
彼女は大地を強く踏み込み、速度を乗せた炎の剣を右へ薙ぎ払った。さらに加速して身体を横へ鋭く回す。
ルナリアの白いミニスカートが花のように広がり、肉感のある太ももが覗く。
赤い弧を描く剣閃が、二重に奔った。
迫ってきた風の刃は、その炎の剣にまとめて断ち割られ、空中で霧散する。
その背後から、フェリスが鋭く跳躍した。華奢な身体を縦に回転し彼女の青い外套がばさりと翻った。
グリフォンは、遥か上空を飛翔している。
地に縛られた人間が、届くはずがないとでも言いたげに、猛禽の顔に冷たい嘲りを浮かべていた。
フェリスの美しい目元が細められ、口元に薄い笑みが浮かんだ。
彼女の周囲に、鮮やかな緑の疾風が吹いた。
フェリスはそこからかき消えた。
グリフォンの眼前につむじ風が巻き起こり、フェリスが現れた。
異変に気がついたグリフォンが頭上を見上げようとした。
だが、それよりも早くフェリスが中空で縦に回転した。
外套とともにワンピースの裾が持ち上がり、深緑のニーハイに包まれた脚が、すらりと伸びる。
その美しい踵が凄まじい速度で、グリフォンへ振り下ろされた。
フェリスの踵がグリフォンの眉間を穿ち、魔物は身体を硬直させた。
さらに、彼女は蹴りの反動をそのまま利用し、さらに上へ跳ね上がった。
シルフの短剣とグラディオの短剣が、迷宮の光を鮮やかに跳ね返した。
独楽のように回転しながら、緑と紫、二色の剣閃を奔らせる。
グリフォンを切り刻みつつも、速度は落とさない。
フェリスの回転する斬撃に押されるように、グリフォンは空中で姿勢を崩した。
翼を乱し、そのまま地面へと叩き落とされる。
フェリスは鋭く着地し、双手の短剣を逆手に返した。
大地を踏み込み、グリフォンへ更なる連撃を放っていく。
仲間が叩き落とされたことで、残る二体が明確に警戒を強めた。
距離を取り、高度を上げ始める。
ルナリアが、その飛翔するグリフォンたちを赤い瞳で真っ直ぐに見据えた。
空の光を受けた彼女の瞳は、まるで磨かれた宝石のように輝いている。
全身を覆っていた魔法の赤光が、ひときわ強く明滅した。
次の瞬間、ルナリアの脚が地を蹴った。
跳躍の力を加えた、飛行魔法は、彼女を一筋の赤い閃光に変えた。
ルナリアが、グリフォンを上回る速度で一気に天高く舞い上がる。
飛翔するグリフォンの更に上空を奪い取った彼女は、そのまま左手を魔物へ向けた。
「――ファイアブラスト!!」
手のひらから放たれた範囲魔法が、広範囲の空気を焼き尽くしながらグリフォンへ襲いかかる。
爆炎に呑まれた魔物が空中でもがく。
その燃え盛る標的へ向かって、ルナリアは凄まじい勢いで肉薄した。
中空で銀の剣を左へ引き絞る。
溜められた力を解放し、紅蓮を纏う銀の剣を右へ振り抜いた。
空間を裂くような斬撃音とともに、赤い剣閃が二体のグリフォンを叩き斬った。
血飛沫を上げながら、錐揉みして巨体が落下していく。
大地を震わせる轟音を立てて、ふたつの巨体が地面に叩きつけられた。
ウェーブがかった金糸の髪をなびかせながら、真っ直ぐに地に向かってルナリアが飛翔した。
中空で魔法を解除して、前転しながら着地した。
強烈な踏み込みで、地を砕きルナリアは落下したグリフォンへ一気に迫った。
二体の魔物が体勢を立て直し、大魔法の詠唱に入る。
「I, a nameless seeker of freedom...」
だが、一体目は間に合わない。
ルナリアがくるりと身体を回し、銀の剣を右上へ振り抜いた。
業火を纏った剣が奔り、グリフォンの首が赤い血を撒き散らして宙を舞う。
「I, a nameless seeker of freedom unbound, manifest the absolute blade that rends all in my path.」
「Blade of Unbound Freedom !!」
しかし、残った一体の大魔法は完成した。
風魔法とは違う、すべてを切断することのみを願った魔力の刃が、ルナリアへ向かって放たれる。
ルナリアは、アストライアの剣を上段へ掲げた。
紅蓮の炎が、さらに激しさを増して燃え上がる。
迫り来る、青白く光る魔力の刃を、彼女は真正面から斬った。
凄まじい力がぶつかり合い、衝撃波が巻き起こる。
濃紺のバトルドレスは彼女の豊かな胸元を押さえきれず、ぶるんと揺れた。
ルナリアの魂は、グリフォンの願いを凌駕し、大魔法を完全に両断した。
真っ二つに裂かれた刃が左右へ逸れて消えていく。
呆然としたグリフォンの眼前へ、ルナリアが跳んだ。
彼女の赤い瞳には戦意の高揚も、万能感への陶酔も宿っていない。
ただ、一本の剣として眼前の敵を斬る。
振り上げた業火を纏う剣が、そのまま真っ直ぐ振り下ろされた。
巨体が縦に断たれ、グリフォンはその場に崩れ落ちた。
一方、フェリスに叩き落とされたグリフォンが、執拗に彼女へ襲いかかっている。
巨大な爪を振り下ろし、鋭いくちばしで彼女を穿とうとしていた。
フェリスは舞うようにして、その攻撃をすべて外していく。
その動きに合わせて、透き通るような水色の髪が光の粒を零しながら流れる。
回避するたびに、逆手に握られた短剣がグリフォンの身体を刻んでいく。
追い詰められ、血を流し続けたグリフォンの動きが荒くなる。
焦りと怒りから、その攻撃は目に見えて雑になっていた。
フェリスは地を蹴り、中空へ跳び上がる。
順手に短剣を返し、目の前で腕を交差した。
膝を突き出すようにして、獲物へ迫る。
青い外套が翻り、その下から覗いた浅緑のワンピースが引っ張られ、尻を包む下着の線が浮かんだ。
迫りくる死を感じ取ったグリフォンが、大魔法の詠唱を始めた。
「I, a nameless seeker of freedom...」
その瞬間、フェリスが薄く笑う。
横からごうっと轟音が走った。
炎の槍が一直線に飛来し、グリフォンの頭部を撃ち抜いた。
ルナリアが魔法を放っていた。
大魔法の詠唱がそこで止まる。
よろけたグリフォンの首筋に、緑と紫の剣閃が十字に奔った。
首筋を深く切り裂かれ、血飛沫を撒き散らしながら、最後のグリフォンが崩れ落ちる。
フェリスがくるりと前転して、軽やかに着地した。
グリフォンは、俺たちが出会ったときに、皆で力を合わせてようやく一体を倒した魔物だ。だが今では、少女たちは返り血すらほとんど浴びずに圧倒していた。
俺は、少し傷を負っているフェリスの側へ寄り、手をかざして回復魔法をかけた。
「大したもんだな。二人とも、お疲れ様。しかし、どんどん俺が寄生になっていくな」
「……まったく。……そういう事を言うな。……まあ今日は許してやろう」
そう言って、フェリスは右手にはめた指輪をそっと撫でた。
まだ、奥には数体の飛行型の魔物が旋回しているのが見えた。
俺たちは、油断することなく進み、魔物たちを屠っていった。
やがて、樹木が垂直に生い茂る壁面まで辿り着いた。
そこには、はじめは泉のようになっていたであろう丸い凹みがあった。
罠の影響で水位が下がったそこには、下へ続く坂道が見えた。
俺の隣で、穴を覗き込んだルナリアが口を開いた。
「ねえ、あの坂の下に戸があるよ」
俺は左手を星切にかけながら答えた。
「地下三階か。主かな?」
「……おそらくそうだろう。どうする?」
少し思案を巡らせた。
ここは、Sランク迷宮だ。
主には完全な状態で挑むべきだな。
「そうだな。いつも通りにいこう。休憩して、最大階位のローディングで支援魔法をかけてから降りよう」
俺たちは短く休憩を挟み、準備を万端にしてから地下三階へ降りた。
その先で、迷宮の主と対面した。
主はヒュドラだった。
上級の中でもかなり厄介な魔物だ。
高い近接能力と高度な水魔法を駆使し、高い知能を持っている。
更には、八本の巨大な首が縦横無尽に襲いかかってくる上に、その首は倍の数で再生するのだ。
ただ、首を落とした後、切り落とした直後の傷跡を炎で焼けば再生は止まる。
言うまでもなく、この魔物にとってルナリアは最悪の相手だ。
ヒュドラの首は一度も再生することはなく、ただただ強い上級魔物として討伐された。
# Leon_Wolfgang:
聖都を含む十三の都市には、それぞれ聖騎士教会が置かれている。
俺たちが今滞在しているロンネブルクも、その十三都市のひとつだ。
各都市の聖騎士教会では、騎聖が筆頭を務め、その下に聖騎士団が属している。
言ってみれば、軍事を専門とする教会だ。
魔物からの防衛や迷宮氾濫への対処は、各街の教会を通じて最寄りの聖騎士教会へ要請され、そこから派兵が行われる。
俺は、この街のガストン商会の支部へ、『地下庭園』の攻略完了と主の討伐を報告しにきていた。
ついでにドロップ品も換金してもらい、支部長と少し雑談をしていた。
支部長が、感激したように礼を言ってくれた。
「勇者様がた、ありがとうございます。本当に助かりました。このままでは物流が停止するところでした。どうやら、いまだ聖騎士の派兵が行われていないらしく……」
「まだ候補ですよ。相当、大森林のほうがまずいんでしょうか」
この街の聖騎士は、街の防衛に必要な最低限だけが残されていた。
残りは大森林の異常事態の対処へ派兵されたままだそうだ。
たしかに、Sランク迷宮の制圧ともなれば数十人は必要だろう。
ルナリアとフェリスは百人力なのだ。
「教皇猊下も出陣される可能性があるそうです。何事もなければいいのですが」
「え、教皇様って教国の指導者ですよね? 前線に出るんですか?」
支部長が、部下に指示を出しながら答えた。
「ええ。ルードリヒ猊下は、教国最強の聖騎士であり、絶大な力を持った魔法使いでもあります。若い頃には、魔族にひとりで打ち勝ったこともあるそうです」
「はえー。すごいですね」
たしか、事前に読んだ資料ではかなりの高齢だったはずだ。
それでもなお前線に立つのだから、本当に別格なのだろう。
少し聖都に行くのが楽しみになってきた。
見定めるとか言っていたし、謁見か何かはあるだろう。
俺は出かけようとし、ふと思い立ち支部長へ伝えた。
「あ、そうだ。ちょうど昼食に出かけようと思っていたので、ついでに聖騎士教会に迷宮の件を伝えておきます。あちらも気にしているでしょうしね」
「おお、ありがとうございます。正式な連絡は後ほどこちらからも行いますが、早めに一報を入れておけば、あちらも安心されるでしょう。なにせ三人でSランク迷宮踏破ですからね。いまだ本当に可能なのか、疑っていると思いますよ」
俺は、ルナリアとフェリスを連れて、食事がてら聖騎士教会へ向かうことにした。
星切に左手をかけながら、俺はのんびりと街を歩く。
相変わらず肩が触れ合うような距離にいるルナリアが、ふと口を開いた。
「お腹すいたね。今日は何を食べようか」
「うーん。あんまり美味い店がないんだよな」
深くフードを被ったフェリスが答えた。
「……食材だけ買っていくか? ……商会で厨房を借りて、私が作ろう」
「いいね、そうしようか。フェリスの作る飯のほうが美味いしな。じゃあ教会への報告は俺が行っておくから、食材の方は任せた。先に帰って準備しておいてくれ」
それを聞いたフェリスが、口元に薄く笑みを浮かべた。
「……ん。わかった」
すると、ルナリアが眉をひそめて何か言いかけた。
「最近、気がついたんだけど、アルスってもしかして……」
「……ルナリア、気づくのが遅いぞ。……お前は何年一緒にいるんだ」
「仲間を褒めただけだ。そういう言い方はやめなさい。じゃあ、後でな」
俺は頭の後ろで腕を組みながら、聖騎士教会へ向かって歩き出した。
女神祭の日はよく晴れていたのに、ここ最近はずっと曇り空だな、と思った。
辿り着いた聖騎士教会の重厚な木戸を開け、俺は中へ入った。
街の中央に建つ教会は、外から見ても十分立派だったが、中へ入るとさらに華やかだった。
白い石造りの広間は隅々まで磨き上げられていて、差し込む光が床の上へ淡く広がっている。
ちょうど司祭さんが祈りを捧げているところだった。
俺はそれが終わるのを、静かに待つことにした。
自然と、視線が祭壇へ向く。
祭壇の奥には、様々な色の細工が施された透明な板が幾重にも並んでいた。
俺はこの国に来て初めて知ったのだが、あの透明な板は硝子と呼ぶらしい。
共和国で見た透明な杯も、あれと同じ硝子だったのだ。
この国では教会の祭壇でしか見かけないし、王国での冒険者生活で目にしたことはなかった。
それが共和国では、高級店とはいえ飲食店で当たり前のように使われていた。
セルナ統領はああ言っていたが、俺にはあの国が他国に滅ぼされるようにはとても思えなかった。
その硝子細工は、おそらくリゼット様を模したものなのだろう。
世界樹を背に立つ、銀髪の女神の姿に見えた。
……本物は、もっとおっぱいが大きい。
司祭さんがお祈りを終え振り返った。
俺に気がついたようで、聖職者らしいにこやかな笑顔を浮かべた。
「これはこれは、アルス様。本日はどのようなご用件でございますか?」
「こんにちは。いえ、地下庭園の件なのですが、無事に踏破しました。主も討伐しましたので、しばらくは魔物の発生もないと思います」
司祭さんは、心底驚いたように目を見開いた。
「な、なんと。もう、ですか? しかも、主の討伐までなされたのですか」
「ええ。まあ、信じられないのも無理はないと思います。後日、正式に商会から迷宮氾濫の対処完了の連絡が入るはずですが、ひとまず報告だけでもと思いまして。心配だったでしょうし」
胸の前で印を切り、司祭さんが俺に礼を述べた。
「正直に申せば、少し疑っておりました。ですが、あなたがたは本物の勇者のようだ。ありがとうございます。このお礼は、何とすればよいでしょうか」
じゃあ、エルフ族を締め出すのをやめろと言いかけたが、口には出さなかった。
この人が悪人というわけではない。
「いえいえ。礼金は商会からいただいています。ああ、そうだ。でしたら、葡萄酒を何本かいただけますか。このあと聖都へ向かうんですが、途中で数日野営することになると思うんです。寒さを紛らわせたくて」
「ええ、ええ。もちろんですとも。良い品を見繕って、本日中にガストン商会のほうへお届けいたします」
そんなふうに会話をしていると、教会の戸が開いた音が聞こえた。
そちらへ振り向くと、ひとりの若者が入ってきていた。
美麗な白銀の鎧には金の装飾が施され、赤い外套を羽織っている。
聖騎士だ。
しかも、赤い外套ということは……騎聖じゃないか。
俺は司祭に会釈をして、すっとその聖騎士へ道を譲った。
若い聖騎士が、一度だけ俺へ視線を向けた。
俺も彼に会釈を返し、何食わぬ顔で教会を後にする。
伝令には、まっすぐ聖都へ来いと言われていたからな。
俺が勇者候補だとばれたら、文句を言われるかもしれない。
背後から、まだ若い騎聖の声が聞こえてきた。
「今戻った。司祭、待たせてすまない。迷宮氾濫の件は聞いている。私の隊だけ先に急ぎ戻した。第十三騎士団の本隊もまもなく帰還する。合流次第、対処に入る」
ああ、勇者候補の件ではないのか。
少し安心しつつ、聖都へ向かう足を少しだけ早めようかと思った。
そうして中央通りを抜け、商会へ向かった。
ルナリアとフェリスが用意してくれているだろう昼食のことを考えながら歩いていると、後ろから誰かが追ってくる足音が近づいてきた。
「そこの神官、少し待て」
知らないふりをしたいが、とはいえ、周囲には俺しかいない。
そもそも、この国で冒険者用の神官服を着ている人など他にみたことがない。
「はい。俺ですか?」
俺は振り返ると、先ほどの聖騎士教会ですれ違った若い聖騎士が立っていた。
年の頃は俺と同じくらいだろうか。
この年齢で、十三騎聖とは相当に優秀なのだろう。
市民にはあまりいない、綺麗な黒髪を少し短めに切りそろえている。
騎士とは思えないような、整った相貌だが、その精悍な目元は鋭く、それでいて正義感に溢れていた。
セルナ統領のような圧倒的な英雄の空気は感じないが、その立ち振舞いには一流の戦士としての存在感があった。
あれ? 寄り道がばれたかな?
「貴公が、迷宮の氾濫を沈めてくれたという王国の冒険者か」
「ああ、はい。そうです」
彼は印を切り俺に頭を下げた。
え? 十三騎聖ってことは、この街の首長なんじゃないのか。
礼のあと上げた顔はやはり目鼻立ちが整っており、目を引く容姿をしていた。
「私は十三騎聖の末席を預かる、レオン・ヴォルフガングだ。我々の不手際を補ってもらったこと、感謝する。本来なら我々が果たすべき市民の安全確保まで代わってもらったそうだな。重ねて礼を言う」
「いえいえ、冒険者が助け合うのは当然のことです。それは女神教徒であっても、そうでなくても変わりませんよ」
彼はその涼やかな表情に、わずかな笑みを浮かべて続けた。
「そうか。貴殿は相当な実力者なのであろう。それに奢ることのない、素晴らしい考えだ。名を聞かせて欲しい」
あれ? この人司祭さんから、俺の名前聞いてないのか。
結構、行動派なんだな。
「いえ、名乗るほどではありません。申し訳ありませんが、昼の訓練の時間ですので、これで失礼します」
昼飯を食べるだけなんだけどね。
勇者候補が寄り道しているとばれたら、やっぱり怒られるかもしれないので隠しておいた。
どうせ、そのうちばれるだろうけど。
「そ、そうか。とにかく礼を伝えたかったのだ。時間を取らせて悪かった」
俺は頭を下げて一礼すると、すっと商会へ戻った。
初めて出会った十三騎聖は、想像していた人物像とは少し違っていた。
若手だからか、腰の低い実直な人物だった。
それはそれとして、明日にはこの街を発とうと、心の中で固く決めた。
# COORDINATE 0056 END




