[COORDINATE 0022] Minos Labyrinth 2
# Minos_Labyrinth_2nd_Floor_1:
薄暗い石造りの通路を歩きながら、俺はフェリスから迷宮の講義を受けていた。
地下二階へ降りてからも何度か魔物との戦闘はあったが、俺たちは危なげなく勝利を重ねている。
「……あそこの床。一箇所、色が違うのはわかるか?」
前を歩いていたフェリスが立ち止まり、前方を指差す。彼女の動きに合わせて、水色の髪がさらりと肩から滑り落ちた。
暗くてよく見えないので、俺はフェリスが示した場所へ灯火の魔法をかける。
ぼんやりと宙に浮かんだ青白い光球が、通路の先を円形に照らし出した。
「おお、確かに。言われてみれば、色が違うな」
ふと隣を見ると、フェリスが空中に浮かんだ灯火を無言で見つめていた。
彼女の瑠璃色の瞳が、青白い魔法の光を映して、宝石のように静かに煌めいている。
「おい。……そんな魔法の話は聞いていないぞ」
はて。……ああ、そういえば説明していなかったかもしれない。
「ああ、ごめんごめん。明かりを出すくらい、よくある魔法だしさ。端折ってた」
フェリスは精悍な眉根を深く寄せた。
「……無詠唱で明かりを灯すような魔法が、よくあってたまるか。……他にはないだろうな?」
俺は腕を組み、しばし考える。
「うーん。多分ない」
フェリスは均整の取れた美しい顔に疑念を浮かべたまま、じとっとした目で俺を見る。
「……本当だろうな? アルス、お前は抱いていた印象より……雑だ」
小さく息を吐いた彼女は、話を戻した。
「……まあいい。あの色違いの部分、あれが罠だ。迷宮は、その特性に沿った罠を出現させる。
俗説では、主の傾向が反映される……と言われている。……が、私は違うと思っている」
フェリスは、迷宮の話になると少し饒舌になるらしい。ユーリと似たところがあるな。
「ん? どういうこと?」
「……例えば、この迷宮の主は、確実にミノタウロスの上位個体だろう。しかし……。ああ、あったな。……ちなみに、これが解除用の仕掛けだ」
フェリスは壁に近づき、何やら細長い小道具を隙間に差し込んで、かちゃかちゃと弄り始めた。
俺としては、迷宮考察よりも罠の見つけ方や、今やっている解除の手順を教えてほしいのだが。
まあ、それは自分に都合がよすぎるか。迷宮考察だって何の役に立つかわからない。きちんと聞いておこう。
彼女は真剣な顔で作業している。細くすらりとした指が、繊細な手つきで迷宮の罠を分解していく。
やがて、壁の中からかちりと硬質な小さな音がした。
直後、先ほどの色違いの床がある位置を挟むように、通路の両壁から鋭い返しのついた金属の槍が、空気を裂く音とともに勢いよく突き出た。
なるほど。あの床を踏むと、鉄槍が容赦なく串刺しにしてくるのか。
俺でなければ死亡確定だ。いや、回復魔法があっても頭に刺さったら即死だ。
しかし、ルナリアは耐えるだろう。ふふふ。
「……何故、ミノタウロスの迷宮で仕掛け槍なんだ? ……なんというか……美しくないだろう?」
「えーと。この迷宮に出る罠なら、通路を壁で塞いで強制的に分断するとか、そういう近接戦向きのもののほうが自然だ……ってことか?」
先を行くフェリスの後ろを、俺は落とし穴を避けながら進む。
歩きながら相槌を打つと、フェリスは振り返り、その精悍な顔立ちに嬉しそうな微笑を浮かべた。
「……ん。ちゃんと聞いているな。そういうことだ」
「なるほどな。たとえば、リビングツリーの迷宮なのに、床や壁から炎が噴き出す罠がある、みたいな違和感か?」
フェリスはこくりと頷く。
「そうだ。そこまで整合性のない組み合わせは見たことがないが、……近いものはあった。そもそも、この迷宮も少しちぐはぐだ」
フェリスはぴたりと立ち止まり、手で俺を制した。長く尖った耳をわずかに動かしたあと、左手を地面につける。
「……アルス。私に速度上昇を。言っておくが、階位は上げるなよ」
俺は左手をフェリスにかざし、速度上昇をかける。……念のため、物理耐性向上も追加でかけておこう。
フェリスの体が淡く光り、やがてその光は粒子となって消えていった。
「……っ! んっ……くっ、二個はいら……ぁんっ……、二個はいらん!」
フェリスは内股になって身をよじり、甘く震える息を吐き出した。
抗議するように振り返った彼女の肩から、水色の髪がはらりと背中へ流れ落ちる。
瑠璃色の瞳に潤みを宿したまま、彼女はその凛とした目元を細めて俺を見た。
「……お前。こっそり私に変なもの、入れてないだろうな」
「支援魔法をかけただけだよ!」
なんだよ、変なものって。失礼な。
フェリスは大きくため息をつき、今度は床の低い位置をかちゃかちゃと弄る。ぱかりと小さな窓が開いた。
「……まあいい。そこで少しだけ……待っていろ。すぐに戻る」
彼女はそう言うと、水色の髪をなびかせて風のように走り、少し進んだところで何かを避けるように大きく跳躍する。
……まさか。俺はオーガ戦を思い出していた。
――少しして、巨体が石の床を踏み荒らす音が聞こえてくる。
通路の角から、フェリスが飛び出してきた。彼女は後ろを振り向き、弩を撃ったあと身を翻し、こちらへ走ってくる。
俺を視界に入れると、不敵な笑みを浮かべ、今度は縦に回転しながら跳んできた。
外套が宙をはためき、深緑のニーハイに包まれた彼女の太ももが露出する。
滞空時間が長く、浅緑のワンピースの裾までめくれ上がる。あわや下着が見える、というところで、彼女は素早く体勢を戻して着地した。
さすがにこの状況では、俺も彼女や敵から視線を外すわけにはいかない。
……顔が熱を帯びる。おい、エルフ族は人族に性的に見られるのが嫌いとか言ってたのは誰だ。
「……どうした、アルス。顔が赤いぞ?」
「……迷宮攻略が楽しくて興奮しているだけだ」
無理のある強がりを口にする。
直後、フェリスを追いかけてきたと思われる十体近いミノタウロスの群れが、通路の角に現れた。
「……ん。意外と慌てないな。……ああ、そうか。……お前は似たようなことをやっていそうだ」
「まあ……。地上で似たようなことをやったよ。罠はルナリアだった」
フェリスはさっきの仕掛けのところへ歩いていき、しゃがみ込む。
「……それはまた、魔物に同情したくなる罠だな」
先頭のミノタウロスが、さっきフェリスが跳んで避けたあたりへ差しかかったところで、フェリスは仕掛けを押し込む。
ぱかりと地面が奈落の口を開けた。
先頭のミノタウロスはそのまま穴に落ち、断末魔を上げる。
続く集団も後ろから来るミノタウロスに押され、折り重なるように落ちていく。
全部落ちたところで、フェリスは穴へ向かって小石を二、三個投げる。
それから床に、すっと左手をつく。
「……問題はなさそうだ」
フェリスは立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。
「アルス、明かりをこの穴の上に出してくれ」
俺は左手をかざし、ミノタウロスの落ちていった穴の上に魔法の明かりを灯す。
「たしかに、これはちぐはぐだな。近接戦が強いんだから、鉄格子で閉じ込めるような罠にすればいいのに。少なくとも落とし穴は、噛み合っていないと思う」
フェリスは目を細め、弩を一発撃ち込んだ。穴の底で低く途切れた絶命の声がした。
どうやら一体、生き残っていたらしい。
「……そうだ。私は、主と迷宮の意思は……別物だと思っている」
フェリスはワンピースの裾の埃を払いながら立ち上がる。
瑠璃色の瞳でこちらを見据え、薄い唇に意地悪な笑みを浮かべた。
「……ところで、アルス。私の下着は見えたか?」
おい。エルフ族は性的に見られるのを嫌がるとか、絶対に嘘だろ。
# Minos_Labyrinth_2nd_Floor_2:
俺の支援魔法を受けたフェリスが、風を切り裂くように迷宮の暗がりを駆ける。
奥へ進むにつれ、後衛に弓を持ったコボルトが混じり始め、大量の矢がフェリスへと迫る。
フェリスは、ほとんどの矢を目視でかわす。だが、数本は彼女の身を捉えかけた。
それでも、それらはあらかじめ張っておいた防御結界に阻まれ、乾いた音を立てて地面に落ちた。
接敵を繰り返すうち、集団に黒毛のミノタウロスが混じり始める。
それすらも、彼女が外套を翻して数度跳躍するたび、敵は首から、足から、あるいは心臓から血を噴き出して絶命していく。
流れるような双剣の舞を後ろから見守るだけで、俺は一度も腰の武器を抜くことなく、あっさりと地下二階の階段前までたどり着いていた。
フェリスは血振りを終えた短剣を鞘にしまい、乱れた水色の髪を細い指でかき上げながら振り返る。
「……ん。この階段の先が最下層だ。……十中八九、降りた先の部屋に主がいる。ここで一度、休息を挟む」
俺は頷き、持参した敷物を石の床に広げて、鍋で湯を沸かし始めた。
フェリスは俺の向かいに腰を下ろすと、長い脚を折りたたんでくつろいだ姿勢になり、手慣れた様子で道具と武器の点検を始めた。
そのたびに、ぴったりとした深緑の靴下に包まれた彼女の脚のラインが、ちらりと視界をかすめる。
俺はそれをちらっと見てから、腰を下ろす。
湯が沸くのを待ちながら、ここまでの道中でずっと頭の片隅に引っかかっていたことを口にする。
「なあ。俺って、ルナリアに寄生してる疑惑を晴らすために、迷宮に潜らされてるんだったよな?」
俺の声を聞いて、フェリスの長く尖った耳がぴくりと動く。
短剣の刃を布で拭っていたフェリスは、手を止めてわずかに視線を上げた。少し考えるような間を置いてから、彼女は俺を見て、薄く楽しげに微笑んだ。
「……そうだったな。忘れていた」
忘れるなよ。お前は俺に巻き込まれただけだったろ。なんでちょっと楽しそうなんだ。
「結局、俺はフェリスに寄生してないか? 道中何もしてないぞ」
フェリスはすぐには答えず、手元の短剣へ視線を落としたまま、静かに考え込んでいる。
「お湯が湧いた。茶を淹れてくれ」
「へいへい。それくらいはやりますよ」
俺は携帯用の茶葉を二つの木杯に入れ、熱い湯を注いでから、片方をフェリスへ手渡す。
彼女は目線だけこちらへうつし、片手で杯を受け取る。整備していた武器を一旦置いてからこちらを向く。
俺は自分の分も淹れて、ふうふうと息を吹きかけながら口をつける。
温かな茶が喉を通り、張り詰めていた体の緊張をじんわりとほどいていく。
フェリスも上品な所作でひと口喉を潤してから、静かに口を開いた。
「……まず、お前が何もしていない、というのは誤りだ。寄生などとんでもない。そういう無意味な自虐はやめろ」
射抜くような瑠璃色の瞳で、真っ直ぐに言われ俺は言葉に詰まる。
フェリスは自分の言葉が足りなかったと思ったのだろう。
精悍な眉根を寄せ、真剣な顔でさらに考え込み、一生懸命に言葉を紡いでくれる。
「おそらく、お前は……なんだ。自分の魔法が、神か何かに与えられたもので、……あー、自分の力じゃない、と感じているのか。……違うな。
……難しいな。苦労しないと、誇れないと思っている。……これも、違うな」
フェリスの一生懸命に伝えてくれた言葉に、俺は嬉しくなり彼女に微笑んだ。
そうだな。少し気負いすぎていたのかもしれない。
「いや、ありがとう。言いたいことはわかったよ。そうだな、ちょっとよくない態度だった。ごめん」
フェリスの凛とした目元がふっと和らぎ、優しく包み込むような笑みを浮かべた。
薄暗い迷宮の中で、彼女のその綺麗で穏やかな表情を見ると、思わず心臓が少しだけ跳ねた。
「……まあ、本題はそこではないな。彼女とは駄目なのに、何故私となら、認められるのか。……そういうことだな?」
俺は少し肩の力を抜き、茶をすすりながら頷く。
「そうそう。いくら俺の支援魔法があるとはいえ、もともとフェリスは強い。時間さえかければ、一人でもこの迷宮を攻略できるんじゃないのか?」
フェリスは杯を持ったまま苦笑した。
「……まだ、そんなことを。……まあいい。一人では無理だ。だが、確かに、私と同格がもう三人いれば、……ぎりぎり踏破できる」
俺は首をひねる。
「え? そんなにいるか? 道中、楽勝だったじゃないか」
「……それは、お前の支援魔法が……異常だからだ。……しつこいぞ」
少しフェリスが不機嫌になる。俺が自分を過小評価すると怒るらしい。お姉ちゃんか。
そして彼女は少しの間、湯気の立つ水面を見つめて悩んだあと、その美しい瑠璃色の瞳にかすかな悲哀と諦めの色を乗せて、柔らかな唇を開いた。
「……それは、私がエルフ族だからだ。……私が同行していても、すべてお前の手柄なんだ。アルス」
俺はまだ、彼女の語る内容の意味が理解できない。だから間の抜けた返事をしてしまう。
「なんで?」
フェリスはわずかに眉根を上げ、呆れたように俺を見つめる。
その動きに合わせて、肩へ流れるきれいな水色の髪が淡く光を返した。
「……アルス、お前きちんと勉強はしてきたのか? やっぱり友達がいなかったのか?」
俺は木杯のお茶をぐいっと飲み干し、少し溜めを作ってから答える。
「友達はいたわ! 勉強も好きだったわ!」
彼女は透き通るような水色の髪を揺らし、笑いながら答えた。彼女の髪がさらりと後ろへ流れる。
「ははは。……冗談だ。……しかし、王国でも種族教育はされると思うが? 冒険者の養成学校にいたんだろう?」
俺は空になった杯を置き、まだ少し不貞腐れながら答える。
「種族教育? あったっけかな? ううむ。ルナリアに聞けばわかると思う」
「……なんで自分でわからないんだ。……お前、少したるんでいるぞ。まあいい。では私が簡単に教えてやる」
彼女の優しげだった目元が、静かで感情を抑えたものに変わる。
「まず……共和国の免状は、特定のものを除いて……エルフ族と獣族は取得できない。市民権はあるんだが……だから、エルフ族単独で商売はできない」
彼女は静かな手つきでもう一杯お茶を淹れて俺に手渡し、そのあと自分の分を淹れる。
木杯の中の茶に口をつけ、その杯を見たまま続ける。
「……同様に、迷宮探索も人族抜きでは行えない。……いや、行うこと自体はできるが、免状がないからな。違法行為だし、踏破しても報酬は出ない」
「当然私も免状はない。……よって、お前と迷宮を攻略した場合。機関の指示を受けている、お前の手柄であり、……私はお前の付属品、ということだ」
ひどく残酷なことを、彼女は湯気の立つ杯を見つめながら淡々と言っている。
しかし俺は、まだその内容の本当の意味は理解できていなかった。
「そういえば差別されてるとか何とか。なんでなんだ? フェリス以外のエルフ族が極悪人なのか?」
フェリスはその鋭い目つきを、さらに険しくした。怜悧な瞳が俺を見つめる。
「……むろん、悪人のエルフ族もいるだろう。だが……同郷のやつらは、皆いいやつらだ。次に同族を侮辱したら許さん。
私を除いたことと、お前がアルスであることに免じて、一度だけ聞き流す」
彼女の返事を聞き、俺は自分の吐いた軽率な言葉に気がつく。
今のはいけない。俺もじいちゃんを馬鹿にされたら、そいつを許せない。
「……ごめんなさい。考えが足りていなかった」
フェリスは目元を緩め、少し意地悪そうに、にやりと笑った。
「……今回はいい。そうだな。反省しているなら、……私にもあれをよこせ。何でもひとつ言うことを聞く券だ」
「えぇぇ……。いや、はい。……わかりました」
不満げな俺の返答に小さく笑みをこぼしてから、フェリスはさらに続けた。
「……理由は私も知らない。女神に人だと認められていないそうだ。……この間の酒場は、人族以外利用不可だったらしい。
そういう店は多々ある。宿もな。……まあ、良いところは駄目なんだ」
寂しげに伏せられた長い睫毛を見て、俺もちゃんと考えようとする。
だが、女神がどうとか、人と認められないだとか、正直よくわからない。考えたところで、今の俺に理解できるとも思えなかった。
だからひとまずそれは脇に置いて、これからのルナリアとフェリスとの旅に思考を向ける。
「うーん。じゃあ首都ヴァレリオンまでの道中は、安宿と自炊か。……宿はいいけど、俺は焼き魚しか作れないぞ。
ああ、でも安い店なら入れるのか?」
不安げに尋ねると、フェリスは少し目を細め、柔らかく眉尻を下げた。
その左右均整の顔はどこまでも美しく、瑠璃色の瞳はきらきらと輝いていて……そして、お姉ちゃんみたいだった。
「……任せておけ。私は料理がうまい」
彼女は残っていたお茶を飲み干すと、肩にかかる水色の髪をさらりとこぼしながら、しなやかな首を回して軽く体をほぐす。
立ち上がり、外套の裾を整えてから、静謐な空気のまま俺に向き直った。
「いくぞ、アルス。主を倒して、私たちで迷宮踏破だ」
続いて俺も立ち上がる。彼女の涼やかで綺麗な横顔に向けて言う。
「なあ、フェリス。俺、ひとつ思いついたんだけど。ここでローディングした支援魔法をかけていかないか? 最大階位でさ」
フェリスは即座に答える。
「嫌だ」
# COORDINATE 0022 END




