[COORDINATE 0020] Conditions for Descent
# Leave_to_Descend:
迷宮へ挑む準備の中で、最も大変だったのは、当然ながら猛烈な拒否反応を示すルナリアの説得だった。
フェリスさんと俺が二人きりになるから、という話ではない。
単純に俺の身が心配なことと、彼女が俺を心配しながら待機していなければならないという心理的な重圧が理由だろう。
気持ちは痛いほどわかる。ルナリアが俺と離れて迷宮へ行くなら、俺だって同じ心境になるはずだ。
……いや、俺はそれを許さないな。
というわけで打開策として俺は、何でもひとつ言うことを聞く券でも渡し、納得させようと最初は考えた。
しかし、作っている途中で、これは俺の身に危険が及びすぎるし、何より不誠実だと思い直してやめた。
最終的にどうすれば納得してくれるのか、ルナリア自身に問うことにした。
その結果、彼女からの提案で、直接の戦闘訓練を受けることになった。
彼女が納得できるだけの自衛力を身につければ、迷宮行きを許可してくれるらしい。
ルナリアから戦闘訓練を受けるのは、実はこれが初めてだ。
――しかし彼女は、致命的なまでに教えるのが下手だった。
普段から使っている宿屋の裏庭では手狭なので、郊外の平原で俺たちは組手をしている。
「ほらアルス、今のはわたしが斬りかかった時に左脇が空いてたんだから、距離を取る前にそこへ打ち込まないと!」
汗ひとつかいていないルナリアは、ひらりと後方へ跳躍し、俺にそう指摘する。
彼女の呼吸に合わせて、バトルドレスの胸元の柔らかなふくらみが、落ちる影とともに穏やかに上下していた。
俺は全身に汗をにじませ、肩で息をしながら文句を言った。
「ぜぇ、はぁ……っ。今の、どこに、隙があったんだよ……! そもそもお前の剣筋自体、まったく見えなかったわ!」
――翌日。
ルナリアが限界まで手加減しても、俺は剣筋すら見えなかった。これでは訓練にならない。
そこで、暇そうなマルクさんを捕まえてきて、組手の相手をしてもらうことにした。
「いくっすよ、アルスの兄貴!」
「おう、来いよ、マルクさん!」
さすが本職だ。マルクさんの踏み込みは鋭い。
俺がどうにか木剣で受け流そうとした、その時。
外から見ていたルナリアが、真剣な声で身振り手振りを交えながら指示を飛ばしてくる。
「今だよ、アルス! そこで跳躍して、空中で横回転して攻撃を躱してから、上段に構えて打ち下ろして!」
「……」
俺はマルクさんの木剣をギリギリで弾き返し、距離を取りながらルナリアの方を向いた。
「ルナリア」
「えっ、なに? まだ横回転してないよ?」
不思議そうに小首をこてんと傾ける相棒に、俺は呆れ果てて息を吐き出す。
赤い瞳が陽光できらめいていて、宝石みたいだな。
「……普通の人間は、なにもない空中で横回転なんかできないんだよ」
マルクさんも木剣を肩に担ぎながら、困ったように苦笑している。
ルナリアは「えっ、できないの……?」と本気で驚いた顔をして、ぶつぶつと何かを考え込み始めた。
「……そうかぁ。一気に難しいことを、言い過ぎたらだめだよね。うんうん。
やっぱり基礎体力をつけて、まずは宿屋の二階くらいまで跳べるようになってから……」
彼女に悪気はない。むしろ、俺を死なせないために一生懸命だ。
天才ゆえ、というやつだろう。その姿を茶化そうとは微塵も思わない。
しかし……俺は意を決して、残酷な真実を口にした。
「ルナリア、お前、教えるのが下手すぎる」
「えぇっ!?」
俺の指摘に、ルナリアはひどくショックを受けていた。
肩を落とし、しょんぼりとしているその姿は小動物のようで可愛いが、訓練内容は虎だ。
――そして、何の進展もないまま迎えた、迷宮探索前日。
俺は諦めて、何でもひとつ言うことを聞く券を渡すことにした。
# Trust_Before_Steel:
俺とフェリスさんは、迷宮の薄暗い入り口前で、最終の打ち合わせをしていた。
Bランク級の迷宮攻略に二人だけで挑むことは、彼女にとっても命懸けの行為だ。
まず前提として、俺は彼女に隠し事をするべきではない。これはお互いの命を守るために、とても大事なことだ。
「フェリスさん、中に入る前に、お互いの能力についてちゃんと話しておこう」
フェリスさんは分厚い外套を羽織ったまま、手元の罠解除道具を点検しつつ、深く被ったフードの奥から真剣な目でこちらを見返した。
「……そうだな。承知した。では、まず私からだ。……今回の迷宮攻略は、報酬が発生しない。よってグリフォンの時のような大掛かりな罠は、よほど必死の状況でなければ使わない。あれは高いんだ」
俺は、フェリスさんが紡ぐそのしっかりとした言葉の響きに、密かに感動していた。
綺麗で涼やかな声だな。澄んだ水音みたいだ。
いや、違う。今はそんなふうに感心している場合じゃない。まずは、自分の魔法能力を伝えておくべきだ。
「一緒に来てくれるだけで、ありがたいと思ってる。罠の件に異論はない。
……ただ、最初に俺の魔法能力を伝えておきたかった。少し突飛に聞こえるかもしれないが、全部真面目な話だ」
フェリスさんは少し眉をひそめ、すぐに真剣な顔つきへ切り替えて頷く。
「……わかった。聞こう」
彼女の真摯な態度に安心し、俺は一気に言葉を紡いだ。
「まず、俺は魔法の行使に神器がいらない。この腰の刀は星切って言うんだけど、これは神器を偽装するためのダミーなんだ。あ、ダミーとは言っても、俺にとっては大事な贈り物で、宝物なんだけどな。あと、俺は回復魔法が使える。即死さえしていなければどんな怪我も治せるし、特定の病気以外なら、毒も呪いも二日酔いも全て瞬時に治療できる。それから、溜めを挟むことで魔法の階位を一段階ずつ上げられる。これを俺はローディングって呼んでるんだけど、魔力を溜めているとかじゃなくて、どこか外から何かを持ってきている感触があるんだよな。だからローディング。最大まで上げた防御結界なら上位魔物の大魔法も一回なら耐える自信があるし、支援魔法に回せば、フェリスさんの攻撃に上位魔物を独力で倒すだけの機動力と攻撃力を付与できると思う。まあ、最大まで貯めるのは時間がかかるから戦闘中に行うのは現実的じゃないんだけどね」
「うーん、こんなもんかな? うん。概ね、俺が秘密にしていた能力はこんなところだ」
息継ぎもそこそこに一気にまくしたて、フェリスさんをちらっと見ると。
彼女は、ぽかんと美しい唇を開けたまま、石像のように完全に固まっていた。
……そうだな。一気に言うのは良くなかったな。
俺は反省し、ひとつひとつ、大事なことだけをかいつまんで、実演も交えながら説明し直すことにした。
――――――――――――――――――――――
「というわけで、ほら。こうやって魔法で傷がすぐに治るんだ」
俺はグラディオの短剣で、自分の腕を浅く切り裂いた。血が滲むが、魔法をかけると光と共に一瞬で傷口が塞がる。
「……え? 今の魔法……?」
フェリスさんの口調が、もはや原型をとどめていない。
俺は短剣を鞘に収めつつ、事もなげに答える。
「ああ。腕がちぎれようが、足が複雑骨折しようが、瞬時に治せる。
だけど、当然ながら死者を生き返らせることはできない。運悪く即死したら治せないんだ。
だから、どうせ治るからといって、相手の動きを止めるために、わざと攻撃を受けてから、反撃するような戦い方はしないでほしい」
フェリスさんは深く眉をひそめて言う。
「……そんな馬鹿な戦い方はしない」
……俺は馬鹿らしい。仕方ないじゃないかそれ以外方法がなかったんだ。
フェリスさんは未知を無理やり飲み込むような胡乱げな顔をしたあと、ふと何かに思い当たったように続ける。
「……そうか。あのグリフォン戦で、私を庇って大怪我を負ったあいつが、一命を取り留めたのは、……お前の魔法か」
俺はその時を思い出して頷く。
「ああ、回復魔法は秘密にしててさ。道中、黙ってて悪かったよ。多分これって、かなり珍しいよな?」
フェリスさんは呆れと感嘆の入り混じった声を出した。
「珍しいどころではない。……露見したら、お前を巡って戦争が起きるだろうさ。なのに、あの時回復魔法を使ったのか。……本当に、ありがとう」
最後の方、彼女の瞳に少しだけ潤みが宿ったのを見ないふりをして、俺はひらひらと手を振りながら答える。
「いやいや。旅は道連れだ。目の前で助けられる命を無視できるような図太い精神力はないよ」
フェリスさんは、しばらく俺を無言で見た後、柔らかな微笑を浮かべて話す。
「お前の……その意味不明な魔法の話はわかった。……本当なら凄まじい能力の数々だ。お前の支援があれば、二人での第二級迷宮の攻略も容易いだろう」
俺は素直に驚いて答える。
「容易いのか……。スカウトって凄いんだな。いや、俺とルナリアはBランク級、ああ、同盟国だと第二級だっけ? 実は一度も踏破したことなくてさ」
フェリスさんがピクリと眉根を寄せる。
「……一度もない? お前のその魔法能力と、彼女の戦闘能力でか? ……お前、彼女以外とパーティーを組んだことは何回あるんだ?
養成学校時代の話じゃないぞ。プロになってからだ」
俺は何か説明しきっていないことがないかな? と別のことを考えていたので、特に深く考えず答える。
「ん? あー、そういや依頼を一人で達成したことはあるけど、パーティー自体は、ルナリア以外とは一回も組んだことがないな」
フェリスさんは少し間をおいたあと、こめかみを押さえて大きくため息を吐いた。
「……お前は普段、指揮をやっているな? 旅の道中での指示出しや、状況把握は見事だった。
しかし今回の迷宮探索の指揮は私がやる。……問題ないな?」
俺は二つ返事で了承する。
「ああ、もちろんだ。先輩の言うことはしっかり聞くよ」
フェリスさんは少し思案したあと、言う。
「よし。では私の能力も話しておこう。……とはいえ、私はごく普通のスカウトだ。お前ほど長くはならない」
もちろんフェリスさんの能力も聞かないといけない。
だけど俺には、それより先に気になることがあって言葉を遮った。
「あ、その前にさ。迷宮内じゃ緊急性のある場面だってあるだろう?
だから俺のことは、呼び捨てでいいから、名前で呼んでくれよ。
俺もフェリスって呼ぶからさ」
女の子をいきなり呼び捨てにするのは少し照れるな。
いや、フードで隠れているから女の子なのか妙齢の女性なのかはわからないけど。
フェリスさんは、その分厚い外套のフードの奥で、今までで一番驚いた顔をした。
それは俺の魔法能力を聞いた時の、意味不明なものを突きつけられた表情とはまた違う、純粋な驚愕だった。
「……お前は……王国人だったな? 出身は……ああ、そうだ。辺境の漁村だったか……。いや、それにしても……」
フェリスさんは何かを納得したように呟き、そして哀れむような目を向けてくる。
「……ああ、そうか。お前は今まで、友達や恋人がいなかったんだな? ……勉強もまともにしていないと見える」
何故かいきなり、めちゃくちゃ失礼なことを言われた。
「友達はいたし、勉強は好きだったわ!」
恋人がいたことはない。
フェリスさんは少しきょとんとした後、ふきだすように笑った。とても軽やかで、鈴を転がすような笑い声だった。
「あははは! ……そうなのか。そうかそうか」
「……わかった。アルス。一緒にこの迷宮を踏破しよう」
そう言うと、彼女は深く被っていた外套のフードを後ろへ下ろした。
そこに現れたのは、十代後半ほどに見える少女だった。
腰のあたりまである真っ直ぐな髪が、さらりとこぼれ落ちる。
透き通るような、水色の髪だった。
その柔らかな髪の隙間からは、彼女がエルフ族であることを証明する、長く尖った耳がぴんと上を向いて伸びている。
顔立ちは、造物主が定規で測って作ったかのように左右均整で、息を呑むほどに美しい。
その瑠璃色の瞳は、鋭さの奥にどこか静かな深みを宿していた。
意志の強さを感じさせる目元と、きゅっと結ばれた薄い唇が、彼女の凛とした雰囲気を際立たせていた。
まさに妖精だな、と。
迷宮の入り口の薄暗がりで微笑むその美しい姿を見て、俺は素直にそう思った。
# COORDINATE 0020 END




