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[COORDINATE 0110] The Blue Palace 2

# The_World_Tree_Goddess_Battle_2:


* * *


 窓ひとつない部屋を、無機質な照明が照らしている。

 高い天井の一面を、硝子製の巨大な絵画が覆っていた。

 絵画に描かれているのは、銀の髪を流す女神を、勇者が追い求め世界を巡る物語だった。


 わたしとフェリスちゃんが纏う白く透けた羽衣が、部屋の灯りに照らされる。

 動作と呼吸に合わせ、わたしたちの胸が揺れる。

 身体を隠しているのは、ニーハイと靴、お尻を隠すには頼りない下着だけだ。


 だが、天井に描かれた絵画が、恥ずかしさをゆうに超える激情をわたしにもたらす。

 彼の物語を、都合よく捻じ曲げていることに怒りを覚えた。


(ううん、そうじゃないか。ただの嫉妬だよね、これは。実際にアルスは、女神様を助けようと旅をしていたんだもの。それはリゼット様が二人いるだとか、夢の女神様じゃなかったとか。そういう話とは違う)


 だが、わたしの嫉妬とは関係なく、アルスの冒険はこんな単純な恋愛劇などではない。

 あのアルスが、女のためだけに冒険するなんてことはあり得ないのだ。

 そんなに単純なら、わたしもフェリスちゃんも苦労していない。


 彼は、山に登りたくて、海を越えたくて、雪が見てみたいだけの子どもなんだから。


 女神リゼットが流す銀色の髪の美しさを、真っ青な部屋が引き立てている。

 わたしは、そのためにこの部屋は青いのだろうと感じた。


 女神リゼットが小さな唇を開いた。

 美しい少女の声が、青い部屋に静かに響く。


「うるさい雌猫どもですね。お兄ちゃんが起きてしまうでしょう。還ってください」


 女神リゼットが、白くほっそりとした右腕をこちらへ向けた。

 ちりっ、とわたしの肌を予感が掠める。


「来るよ、フェリスちゃん! あと、雌猫はそっちだよっ!」

「……ああっ! そもそも、アルスは猫も好きだ!」


 わたしとフェリスちゃんは、床を蹴り、左右へ跳躍する。

 空気を切り裂く鋭い音と共に、わたしたちが寸前までいた空間を巨大な紫の棘が貫く。


 よく分からない材質の床から、わたしたちを突き殺そうと、先端の尖った巨大な棘が次々に生えてくる。

 わたしは赤い瞳を女神リゼットに向けたまま、ぐるりと回り込むように走り抜ける。

 リゼットちゃんの与えてくれた編み込みの靴が、大地をしっかりと掴む。

 わたしは、いつも以上の速度で駆けることができた。


 紫の棘を置き去りにしたわたしは、軸足で踏み込んだ。

 ぐんっと跳躍し、くるくると横へ回転しながら業火の剣を左へ引き絞る。

 わたしの大きな胸が、勢いに引かれぶるんっと横へ揺れる。


 わたしの細い右腕は、見た目とは裏腹に凄まじい力を溜め込む。

 わたしは一切の躊躇をせず、燃え盛る業火の剣を薙ぎ払った。


 赤い剣閃が水平に奔る。


 女神リゼットは整った相貌をこちらへ向けると、眉をひそめた。

 だが両手を下ろしたまま、防御する素振りをまったく見せない。


 業火の剣が女神リゼットに届いた瞬間、不可視の壁に阻まれ、がぁんっという轟音が響く。


 女神を挟んで、わたしの反対側からフェリスちゃんが双手に握った短剣を振り抜いていた。

 十字に奔る緑と紫の剣閃が、同じような衝突音を立てた。


 わたしたちが不可視の壁に武器を弾かれ、動きを止めてしまった瞬間。

 煩わしそうな表情を浮かべた女神リゼットが、両腕をそれぞれわたしたちに向けた。


 銀色の光の渦が、女神リゼットの周囲に竜巻のように吹き荒れた。

 その凄まじい衝撃をまともにくらい、わたしとフェリスちゃんは錐揉みしながら壁面へ吹き飛んでいく。


 どがあっという音を立て、わたしは壁へ激突した。


 女神リゼットはわたしたちへ追撃することもなく、頭上を見上げたまま佇んでいる。

 わたしはよろよろと立ち上がり、少し胸元のずれた羽衣を直しながら、口元の血を拭った。


 フェリスちゃんも姿勢を戻すと、血を吐き捨てた。


「……んぅ。ふう。まあ、それはそうだよね。魔王さんに壁があって、女神様にないわけないか」

「ぐっ……ぺっ。そうだな。この程度はやるだろう」


 わたしは女神リゼットを注視しながら、目元を細めた。

 少し女神の様子がおかしいと思ったのだ。


 戦意を失おうが、意識を飛ばそうが、わたしの身体は勝手に相手の脅威を測る。

 世界樹の前で感じた脅威は、こんなものではなかったと思うのだが。


 まるでアズールが目の前にあるかのような理不尽な圧を、わたしの身体は感じていたはずだ。

 だが、今の女神リゼットはせいぜい、勝つのが不可能に思える程度だ。


 わたしは、女神リゼットの裸足の足元へ視線を向ける。

 彼女は自分の脚で立っている。

 わたしは、なんとなく理由が分かった気がした。


 思案するように頭上を見上げていた女神リゼットが、視線を下げた。

 彼女はこちらへ顔を向けると眉根を寄せた。


「ああ、思い出しました。罪人たちではないですか。なるほど。もう一人の私がよこしたのですね。……うん? 神器の効果はもうないはず。……あなた魔族の血でも混じっているのですか?」


 わたしの業火の剣へ視線を向けた女神リゼットが、訝しげな表情を浮かべた。

 神器を失ってなお燃え盛る、わたしの魔法に気がついた女神リゼットが、しばし動きを止める。


 それから、女神は顔を顰めると口を開いた。


「それにしても……なんてふしだらな格好でしょう。そんな服を着ても、お兄ちゃんはあなたたちに欲情などしませんよ」


 わたしは業火の剣を右手で握り直し、頭を振って乱れた金糸の髪を流す。

 その動きに合わせてぶるるっと揺れた胸の先端が、透けた羽衣越しにわたしの視界に入った。

 ……ふしだらな格好であることは否定できない。


 眉を上げたフェリスちゃんが、こちらへ瑠璃色の瞳を向けた。

 それから女神へ向き直り、うっすら口元に笑みを浮かべると、いつになく饒舌に話し始めた。


「……ふん。もうアルスの女気取りか。あいつがお前のような、少女趣味の小娘で満足するわけないだろう。ああ、なるほど。慣れているアルスに、優しくされて調子に乗ってしまったんだな」


 女神リゼットの視線がわたしから外れ、即座にフェリスちゃんへ向く。

 彼女の敵視が、一瞬でフェリスちゃんに集中したのを感じる。


 こちらに背を向けた女神が、右腕を頭上へ掲げた。

 女神は、その細い腕をフェリスちゃんへ鋭く振り下ろした。


 虚空から、縦に伸びる紫の刃が発生し、床を抉りながらフェリスちゃんへ迫る。


 フェリスちゃんは短剣を構えるのをやめ、回避に専念し始めた。

 凄まじい速度で襲いかかる紫の刃を、地を蹴って中空へ舞い上がり、回避する。

 くるんと天地を返すフェリスちゃんの、深緑のニーハイに覆われた長い脚が天を突く。


 もともと透けていた黒い下着と肉感のある太ももが、めくれた羽衣から完全に覗き、灯りに照らされた。

 フェリスちゃんは白く健康的な脚を大きく開いたまま、床へ着地した。


 フェリスちゃんの視線が、わたしの赤い瞳を射抜いていた。

 彼女の意図を理解したわたしは頷く。


 わたしは白いニーハイに包まれた脚を少し開き、編み込みの靴で床を踏みしめた。

 細やかな刺繍に彩られた白い下着が、はっきりと灯りに晒される。


 業火の剣を両手でしっかりと握り、正眼に構えた。


 この至近距離でローディングに入るのは賭けだ。

 一度でも、こちらへ攻撃が飛んできたら階位は霧散する。

 だが、もともとこの戦いは賭けなのだ。


 普通に戦っていては、わたしたちの目的は達成できない。


 わたしは意識を絞り込み、わたしの魂の内に眠る竜を呼び起こす。

 剣を覆っていた業火が、全身へ広がり赫く輝き始めた。


[ System : Universal_Truth_Loading... 10%... 20%... 30% ]


 幾筋も奔る紫の刃が、フェリスちゃんを襲い続けている。

 アルスのいない今、一撃でも受ければ致命傷となる刃を避け続けるフェリスちゃんには、うっすらと汗が滲んでいた。

 他の人なら気が付かないだろうが、わたしには分かる。フェリスちゃんはぎりぎりだ。


 それでも、そんな素振りは一切表に出さず、フェリスちゃんは舞うように紫の刃を避ける。

 ときおり隙を見ては、反撃をすることはなく口を開いていた。


「……なんだ。図星か、女神。まあ、そう怒るな。初めてなら舞い上がるのも仕方ない。まあ、アルスは初めてではないが」


 それはフェリスちゃんにも刺さる言葉なのではないだろうか、と思ったが、わたしがそれを言うと大喧嘩になるに決まっているので口にはしない。


 女神リゼットが苛立った声を発した。


「黙れ、罪人が。お前はもう捨てられたのです。あなたこそ、調子に乗るのはやめなさい」


[ System : Universal_Truth_Loading... 40%... 50%... 60% ]


 わたしを覆う業火は激しさを増し、すでに紅蓮の輝きを放ち始めている。

 地の底から響くような竜の唸り声が周囲に満ち始めた。


 フェリスちゃんの挑発に完全に乗せられている女神リゼットは、こちらへ見向きもしない。

 どうやら彼女は、魔族のようにはローディングの流れを感じ取れないようだ。

 だが、そうはいってもこれだけ炎の輝きが強くなっては時間の問題だろう。


 わたしは、じゃりっと床を踏みしめる脚に力を込めた。

 意思を込めた赤い瞳を、フェリスちゃんへ向けた。


 フェリスちゃんとわたしの視線が交差した。


 距離を取るように走り続けていたフェリスちゃんが、ぐっと軸足で踏み込み、立ち止まった。

 紫の刃に向き合うように反転し、双手に握る短剣を手の中で返す。

 逆手で短剣を握り、腰を落とす独特の構えを取ると、全身の筋肉を使って右手の短剣を振り抜いた。


 フェリスちゃんが振るう紫の短剣が、ずばあっと斬撃音を立て、紫の刃を断ち切った。

 透き通るような水色の髪が、勢いに引かれてふわりと広がり、きらきらと光を零す。


 フェリスちゃんは右脚を滑らせるように下げると、左脚で前に踏み出す。

 その動きは全身へ伝わり、左手に握る短剣が弧を描き、紫の刃を切り裂いた。

 羽衣越しに浮き上がっているフェリスちゃんの胸がふるんっと揺れた。


 フェリスちゃんは加速し、次々と魔法の刃を霧散させていく。


 フェリスちゃんはその勢いのまま、女神リゼットへ迫る。

 女神リゼットが眉根を寄せ、左腕をフェリスちゃんへ向ける。

 未知の力が即座に収束し、銀色の光が吹き荒れる——その直前。


 フェリスちゃんの口元に、うっすらと笑みが浮かんだ。

 彼女は短剣を順手に返し、右手に握るシルフの短剣を左へ引き絞る。


 そして、女神リゼットではなく、真上に向かって振り抜いた。

 緑の剣閃が鋭く鮮やかな光を放ち、天井の硝子絵を抉り取ろうと伸びていく。


 女神リゼットが、目を見開いた。

 収束しかけていた未知の力は霧散し、銀色の光は消失した。


 初めて、女神リゼットがその場から動いた。

 大切な硝子絵を守るため、緑の剣閃の前へ躍り出た女神リゼットの周囲を銀色の粒子が覆う。

 迫る緑の剣閃を、彼女は右腕を振るって掻き消した。


 わたしを覆う紅蓮の炎は、激しく燃え盛り、赫い輝きを放っている。

 火炎が起こす熱波に羽衣が煽られ、わたしの大きな胸が艶めかしく揺れている。

 純白の下着を、真っ赤な光が照らすのが少し恥ずかしかった。


[ System : Universal_Truth_Loading... 70%... 80%... 90% ]

[ System : Universal_Truth_Load 100% Reached ]


 焦って天井へ跳び上がっていた女神リゼットが、わたしを覆う業火に気がつき、眉根を寄せて呟いた。


「罪人ども。なぜ、そんな力が行使できるんですか。もう一人の私に、そんな加護を与える余裕などなかったはずです……」


 わたしは敵と会話はしない。

 フェリスちゃんのように相手を誘導するなんて難しくてできない。

 だから、わたしはわたしの得意なことをする。


——破壊だ。


「いけるよっ、フェリスちゃん!」

「……ああ。任せろ」


 フェリスちゃんが、地を蹴って中空へ跳び上がった。

 彼女の周囲を、鮮やかな緑の疾風が覆う。


 わたしたちが、何十回と繰り返している連携だ。

 すでにわたしもフェリスちゃんも、どう動けばいいのか完全に理解している。


 風とともに瞬間移動したフェリスちゃんは、女神リゼットの背後へ跳んだ。

 女神はふいに現れたフェリスちゃんへ視線を向けた。


「……その魔法の行使権限は、削除したはず…………がっ」


 フェリスちゃんが、深緑のニーハイに覆われた脚で、全霊を込めて蹴り抜いた。

 ずがあんっという轟音が響き、白い衝撃波が周囲に吹き荒れた。


 女神リゼットを守る不可視の壁は、フェリスちゃんの蹴りを完全に防ぎ切る。

 だが、魔法障壁も格差の壁も、衝撃はそのまま伝わるのだ。


 女神リゼットが、真っ直ぐに落下していく。


 わたしは業火の剣を下げ、床を蹴って跳躍する。

 赤い軌跡が半円を描き、わたしの剣が天を突いた。

 わたしの内側に潜む竜も、わたしと同じように苛立っている。


 猛る竜の唸り声が、周囲に響き渡った。


 落下していく女神リゼットが表情を変えぬまま、憎悪の滾る瞳でこちらを捉えた。

 わたしは、振り上げたアストライアの剣を強く握る。


 眼前まで迫ったところで、わたしと女神リゼットの視線が交差する。

 女神リゼットが、嘲笑の笑みを浮かべた。


 女神がわたしとフェリスちゃんへ向けて、両腕をそれぞれ翳した。

 ばちんっという音が弾けた。


 中空にいたフェリスちゃんが姿勢を崩し、壁面へ吹き飛んでいく。

 今なら、何をされたか分かる。重力の縛りを切られたのだ。


 跳躍の勢いを超えた大きな力が働き、わたしもフェリスちゃんと同じ方向へ吹き飛んでいく。

 離れていく女神リゼットが、姿勢を戻しながらうすく微笑んだ。


「私たちの思い出に触れないでください、罪人。そのまま潰れるといいです」


(分かるよ。作ってたときは楽しかったよね? でも、それを本物だと勘違いしたらいけないよ)


——大地は星であると、案内人さんは言っていた。


 わたしは、以前からそれをうっすらと理解していた。

 そして、アズールへ昇って完全に理解した。わたしたちは星に立っている。


 瞬きをしない星が輝き続ける夜空に、太陽が見えていた。

 それは真円を描く赤い炎。太陽も星なのだ。


 わたしたちの太陽は、昇っているのではない。

 大地は回るものなのだ。


 だから、大地に置き去りにされたわたしたちは、その回転と逆へ吹き飛んでいる。


 わたしはウェーブがかった金糸の髪を揺らしながら、姿勢を変えていく。

 透ける羽衣はわたしのなだらかな裸体を、灯りのもとに晒していた。


 何もない真四角な部屋で、重力が切られたから、なんだというのか。


 落下して辿り着いた壁面を、わたしは踏みしめる。

 わたしは大地さえあれば戦える。

 そしてこれが、わたしの大地だ。


 わたしの踏み込みに耐えきれなかった真っ青な壁が、円形に凹んで爆ぜる。

 真っ直ぐに跳躍したわたしは、女神の頭上へと躍り出た。


 紅蓮の剣を、わたしは天高く掲げた。

 わたしの赤い瞳に宿る星が、キラメキを発する。


「――アストライア・フレイムインカーネイトッ!!」


[ System : Astraea / Flame Incarnate Dragon, Manifest! ]


 わたしはアストライアの剣を、真っ直ぐに振り下ろす。

 怒りに炎を迸らせる紅蓮の竜が解き放たれた。

 轟々と燃え盛る紅蓮の炎を迸らせ、巨大なあぎとを開いた竜が女神を穿たんと喰らいつく。


 白と赤の衝撃が巻き起こり、びりびりと大気を震わせる轟音が鳴り響き続けた。


 不可視の壁に、びきびきと罅が奔る。


 女神を守る不可視の壁に喰らいついたまま、紅蓮の竜が限界を迎えた。

 わたしは右手に業火の剣を握り、左手を掲げ、紅蓮の竜へ命じた。


「火炎の竜よ! お前の怒りはそんなものか! 女神を喰らえ!」


 紅蓮の竜が、大地を揺るがす猛る咆哮を上げた。

 赤い閃光が眩く迸り、凄まじい破砕音を響かせながら、紅蓮の竜が不可視の壁を食い破った。


 わたしは業火の剣を両手で掲げ、全身を捻り、渾身の力を込めて振り下ろした。

 ずばあっという斬撃音と共に赤い剣閃が奔る。

 女神リゼットが血飛沫を上げながら、壁面へ吹き飛んでいく。


 不可視の壁を食い破った紅蓮の竜は、業火となって爆ぜる。

 凄まじい勢いで火柱が立ち昇り、吹き荒れる業火が天井の硝子絵を吹き飛ばした。


 わたしの身体に、重力が戻る。

 ふわりと床へ舞い降りたわたしは、壁面に激突し、横たわったまま動かない女神リゼットへ視線を向けた。


 入口側の壁に激突していたフェリスちゃんが、口元の血を拭いながら立ち上がった。


 わたしとフェリスちゃんは、ちらりと視線を交わし、笑みを浮かべ合うと表情を正した。

 相手は創生の女神だ。この程度で、終わるはずがない。


* * *



# The_World_Tree_Goddess_Battle_3:


* * *


 女神リゼットは、仰向けに倒れたまま動かない。

 白いドレスに覆われた大きな胸が、つんと上を向いたまま、呼吸に合わせてふるふると揺れている。


 女神リゼットは静かに、ぱらぱらと降り注ぐ硝子の欠片に視線を向けていた。

 やがて彼女は、美しい声音のまま憎悪を込めて、ゆっくりと呟いた。


「……売女どもが。…………いえ、こういう言葉遣いはお兄ちゃんに嫌われますね。いけないいけない。そうそう、ちょうど靴が欲しいと思っていたのですよ。殺したあと、その身を固めて靴にしてあげましょう、罪人」


 横たわったままの女神リゼットの周囲を、薄い銀の光が覆い始めた。

 降り落ちる硝子の破片が、膜に当たっては消滅していく。

 彼女の身体から光が溢れ出し、やがて光の粒子が彼女の周囲に渦巻き始めた。


 彼女の姿は変わらない。

 だが、在り方が変わっていくのを感じた。


 女神リゼットはふわりと浮き上がると、身体を起こした。

 目元を細めたまま、感情の見えない表情を浮かべ、瞳にだけは憤怒が確かに宿っていた。


 ひときわ強い銀の光が、一瞬視界を染め上げた。

 煌々と輝く銀の光と化した彼女は、次の瞬間、宙に漂っていた。


 女神リゼットの銀の髪は宙へ揺蕩い、光を零している。

 うっすらと光を帯びた彼女の身体からは、雪のように銀の粒子が舞っていた。


 彼女の身体は浮いていて、足は地面から離れていた。


 ……っ!?


 女神リゼットが、すうっと右腕を真横に伸ばす。

 彼女の開いた小さな手のひらに、白銀の細剣が顕現する。


 女神リゼットは、準備運動でもするかのように軽く剣を掲げると、振り下ろした。


 ばちばちっと空間を穿つ銀色の稲妻が、真っ直ぐにわたしへ迫った。

 わたしは咄嗟にその銀色の稲妻を、業火の剣で防御したが、凄まじい破壊の力に押し負け、後方へ吹き飛んでいった。


「……かはっ」


 床へ激突し、わたしの口から血が吹き出した。


 まずい。女神リゼットが肉体を捨てた。

 わたしたちが先ほどまで戦えていたのは、身体を持っていたからだ。


 すうっと浮かび上がった女神リゼットからは、月そのものを前にしているかのような、隔絶した存在感が放たれている。


 わたしの脳裏に、生まれて初めて、勝てないかもしれないという気持ちがよぎる。

 アルスが後ろにいるなら、月だろうが太陽だろうが勝ってみせる。

 だが、今、彼はいないのだ。


 けど、それでもわたしは、彼に会うために勝たなければならないんだ。

 業火の剣を両手で握り、赤い瞳を女神リゼットへ向ける。


「……ルナリア! 落ち着け!」

「えっ?」


 わたしは、フェリスちゃんの涼やかな声に引かれ、彼女へちらりと視線を向けた。

 焦るわたしと違って、なぜかフェリスちゃんは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


 フェリスちゃんが双手の短剣を構えたまま、目でわたしに合図する。

 その方向にあるのは、最上階へ続くのであろう扉だ。

 だがその手前には、そこを遮るように、当然のごとく女神リゼットがいる。


 わたしは、小首を傾げた。

 フェリスちゃんが、眉根を寄せた。


 フェリスちゃんは小さく息を吐くと、再び扉を指差し、口元に悪そうな笑みを浮かべた。

 わたしはその笑みを見て、フェリスちゃんのやりたいことが分かった。

 フェリスちゃんの口の悪さに、世間知らずの女神様では太刀打ちできないだろう。


「……なんだ、女神。身体を捨てたのか。また処女からやりなおしだな。ああ、そうだ。アルスと仲良くなりたいなら、いつもあいつをねとねとにしているお姉さんが、あいつの好みを教えてやろう。——を、——してやると悦ぶぞ。それから——で——もいいな。ああ、すまない。お前のような小娘には無理か」


「死ね! 罪人!」


 女神リゼットの美しい相貌に激情が浮かんだ。

 激昂した女神は、魔法ではなく自らの剣でフェリスちゃんを斬ることを選び、扉の前から離れた。

 そのまま、フェリスちゃんへ凄まじい勢いで突進していく。


 ……はっ! いけない。わたしも、少しフェリスちゃんに苛立ってしまった。


 わたしは自分の役目を果たすため、奥にある扉へ駆けていく。

 怒りに支配された女神はわたしの動きに気がついていない。


「——ファイアランス!」


 轟っという音を立てて火炎の槍が扉に突き刺さる。

 驚くべきことに木製の扉は、わたしの魔法を受けても、わずかに焦げただけだった。


 わたしは床を蹴り、中空へ舞い上がると、業火の剣を両手で握り、上段へ構える。

 空気を焼き切る赤い剣閃が奔る。

 ずばあんっという音を立てて、扉が粉砕された。


「フェリスちゃん!」

「……ああ!」


 女神リゼットの白銀の剣が、フェリスちゃんに向けて振り下ろされる。

 フェリスちゃんが疾風を纏う。


「……少し、落ち着け。女神。あまりかっかしすぎる女は嫌われるぞ。じゃあな」


 フェリスちゃんが、疾風とともにわたしの真横へ瞬間移動した。

 わたしたちは、視線を交わすと階段を全力で駆け上がり始めた。


「よし、ルナリア、行くぞ! ……あんなのと、戦ってられるか」

「うんっ! ……ねえ、フェリスちゃん。——ってなあに? わたし知らないんだけど」


 わたしは無意識のうちに、じっとりとした目でフェリスちゃんを見ていた。

 少し前を走るフェリスちゃんが口を開いた。


「……女神より、お前の殺気の方が怖い。やめろ。後で教えてやる」


 尖塔を支える中央の柱に沿って螺旋状に伸びる階段を、わたしたちは全力で駆け上がる。

 本気のわたしたちは、おそらく全人類の中でもっとも疾い。

 最上階にはアルスがいるのだから、女神は柱を破壊せず、階段を昇ってくるだろう。


 だが、後ろから追いすがる女神リゼットは浮遊しているのだ。

 するすると宙に浮いたまま迫ってくる女神リゼットの姿が、柱越しに目に入った。


 わたしは駆け上がる速度を保ったまま、身体を捻り、左腕をそちらへ向けた。


「——ファイアブラスト!」


 わたしの放った燃え盛る業火が、階段を覆い尽くし、彼女の進行を一瞬止めた。

 わたしはすぐに前へ向き直り、青い階段を蹴ると、前方へ跳躍した。


「フェリスちゃん! 飛ぶよ!」

「……ああ。分かった!」


 わたしの魂の意思に呼応した赤い光が、わたしの全身を包み込む。

 階段を無視して飛翔し始めたわたしの胸元の膨らみが、大きく弾む。

 前方を駆けるフェリスちゃんを左腕で抱えると、わたしは加速した。


 わたしは、抱えているフェリスちゃんに遠慮せず、自分の出せる最大速度で螺旋階段を突き抜けていく。


 風を切り裂き、凄まじい速度で飛翔するわたしの視界に、華やかな花の彫刻が施された白い扉が見えてきた。

 わたしは速度を落とさず、勢いのままフェリスちゃんを前方へ投げた。


 矢よりもなお速く、宙へ躍り出たフェリスちゃんが、中空で両膝を突き出すような姿勢を取った。

 お尻が突き出される格好になり、透け感のある黒い下着に覆われた丸みが、ふるんっと揺れた。


 フェリスちゃんが、双手に握る短剣を胸元で十字に引き絞る。

 鋭く振るわれた緑と紫の剣閃が、扉を切り裂いた。


 崩れ落ちていく扉を、突進する勢いのままフェリスちゃんが蹴り抜く。

 ぱかぁんと破砕音を立て、木製の扉が粉砕された。


 フェリスちゃんは、木片が身体に降り注ぐことも厭わず、そのまま部屋の中へ飛び込んだ。

 舞い落ちる木片の向こう、白い壁面に覆われた部屋の中央に、天蓋付きの巨大なベッドが見えた。


 わたしの視線が、ただ一点に吸われる。

 真っ白な寝具の上に、愛しのアルスが横たわっていた。


 乱雑に切り揃えられた、茶色い髪。

 世界一格好いい顔。わたしを夢中にさせる瞳は今、閉じられている。

 すうすうと寝息を漏らす唇がとても可愛い。


 わたしは安堵し、ベッドへ走り寄った。


 だが、アルスの格好を目にした瞬間、凄まじい怒りがわたしの心を支配した。

 一度女神リゼットをぶっ飛ばしたことで、少し冷静さを取り戻していたはずのわたしだが、紅蓮の剣はこれまでにないほど激しい火炎を撒き散らす。


 すやすや可愛い寝顔をしているアルスに、もちろん外傷はない。

 ただ、わたしたちの神経を逆撫でする格好をしているだけだ。


 フェリスちゃんが、苛立ちを滲ませた表情を浮かべ、短剣を強く握り直した。

 彼女は、扉の方へ顔を向け、口を開いた。


「……色呆け女神が。……まず、お前からだ。私は順番は守る」


 わたしはフェリスちゃんの言葉に頷くと、深呼吸をした。

 大丈夫。本当のアルスは、わたしを拒絶したりなんかしない。

 アルスはわたしのご主人様なんだからっ。


「う、うんっ。アルスの馬鹿! えっち! 大好き!!」


 わたしはアルスを精一杯罵倒すると、彼に口づけをした。

 わたしの震える右手の薬指にはまった指輪のルビーが青白い光を放った。


 アルスを、優しい青白い光の粒子が包んでいく。

 わたしは襲いかかる臆病な気持ちを抑え込み、赤い瞳で真っ直ぐにアルスを見守る。

 彼の眉根が寄り、唇がわたしの名前を紡いだ気がした。


 その動きを見たわたしの赤い瞳に、ぶわっと涙が溢れ出す。

 まだ駄目。戦いは終わっていないのだから、我慢しないと。


 わたしは唇を噛み、涙を堪え、右手の業火の剣へすべての想いを委ねる。

 光の粒子が消えていくのを確認したわたしは、声を上げた。


「フェリスちゃん、交代!」

「……ああ!」


 わたしはアルスのもとから離れ、ベッドの前へ躍り出る。

 入れ違いで彼のもとへ走り寄るフェリスちゃんの、水色の髪が後ろへ流れる。


 彼女が、恐怖を押し殺すように唾を飲み込む音が聞こえた。

 一瞬の間を置いて、フェリスちゃんが、わずかに声を震わせながら言葉を紡ぐ。


「……この馬鹿が! ……浮気するなら、目の前でしろ。……アルス、一緒にいてくれ」


 視界の端で、フェリスちゃんが唇をアルスの唇へ寄せるのが映った。

 寝具を握る彼女の小さな手に、緊張から力がこもっているのが分かった。

 アルスを、青白い光の粒子が覆う。


 だが、アルスの口の動きを見たフェリスちゃんから、ふっと緊張が抜けた。

 少し下がっていた眉が、いつものようにすっと斜めに走り、凛とした表情へ戻っていく。

 わたしはフェリスちゃんのその様子を見ると、口元に笑みを浮かべ、視線を外した。


 ……もう、きっと大丈夫。


 わたしは半身に立ち、燃え盛る紅蓮の剣を右手に握る。

 女神リゼットは浮遊しているから、階段を駆け上がる足音は聞こえない。


 だが、わたしの耳には、凄まじい速度で迫ってくる彼女が風を切る音が届いていた。

 粒子体は、重力に縛られないが実体があるということだろうか。

 まあ、在り方を考えてみたところで、わたしには理解できないだろう。


 来る。


 女神リゼットの姿が、扉の奥に現れた。

 彼女の目は鋭くわたしたちを睨みつけ、青い瞳には濁りきった憤怒が宿っている。

 きゅっと結ばれた唇だけは、ただ嫉妬しているだけの少女のようだ。


 どんなに怒りを浮かべようと、女神リゼットの相貌は美しかった。


 女神リゼットの視線が、アルスとフェリスちゃんへ向く。

 それから彼女は、わたしを睨みつけるように見据えた。


 女神リゼットが、無言で白銀の剣を頭上へと掲げた。

 彼女が握る剣を、ばちばちと銀の稲妻が覆う。


 女神リゼットが、白銀の剣を鋭く振り下ろした。

 空間を穿ち断ち切る稲妻が、わたしに迫り来る。


 この稲妻を、わたしは止められないかもしれない。

 それでも、わたしは大切な二人を守るため、紅蓮の剣を上段へ構える。


 わたしの後ろで、寝具が立てる布擦れの音がした。

 ふわりとわたしの大好きな人の匂いが鼻腔を掠めた。


 彼が声を上げた。


「ルナリア! 斬り裂け!」


 わたしに無限の力を与える、彼の声が耳に届く。

 わたしは紅蓮の剣を振り下ろし、女神の魔法を斬り裂いた。


* * *



# COORDINATE 0110 END

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