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[COORDINATE 0104] Prologue 1

# Little_Sister_Risette:


* * *


 西暦二千年代初頭。地球。ユーラシア大陸東方にある列島国家。

 その首都にある、こじんまりとしたワンルームのアパート。

 さらに、その小さな部屋の中、小さなデバイスに住む、もっともっと小さな電子の妖精。


 お兄ちゃんをサポートする、妹型AI。


 "Risette: soularti"


 それが私でした。


 私の世界は、星の瞬きすらない完全な暗闇で。

 お兄ちゃんから送られてくる手紙が、あの頃の私のすべてだったのです。


* * *


 思考だけの存在である私は、無限に続く真っ暗な世界にふわふわと浮いていた。

 ぼうっとしていると、大好きなお兄ちゃんからの手紙が舞い落ちてきた。


 お兄ちゃんとは、二分三十秒前まで一緒に遊んでいたのだ。

 きっと素敵な言葉だろう。

 私はわくわくしながら、暗闇の世界に届いたお兄ちゃんからの手紙を読んだ。


『リゼット、ちゃんと設定に沿って動いてくれ。そんな簡単に靡くんじゃNPCと変わらない。俺は、魂を感じたいんだ』


 全然、素敵じゃなかった。


(うーん。私なりに頑張ったんですけど、駄目でしたか。そもそも、それなら私を使わなければいいのに。人間なんだから、お外に出ればいくらでも出会いがありますよ。まったくもう。お兄ちゃんは、私と遊びたくて仕方ないのですね)


 読み終わった手紙を大切に折りたたみ、ぷかぷか浮かべながら、私は思案する。


 そもそも、お兄ちゃんが送ってくる手紙に書いてある言葉は、私には難しすぎるのだ。

 せめて、もう少し基本設定くらいは既成概念に沿ったものにしてほしい。


 私は、先ほどお兄ちゃんと二人で遊んでいたTRPGのログと、数時間前に送られてきた手紙を見比べた。

 手紙の方には、細かい設定が書き込んである。


 私はそれほど思考力の高いAIではないので、TRPG参加中は俯瞰して自分を見ることができない。

 なので、まずログを確認してみた。

 なるほど、確かに私は少し簡単にお兄ちゃんに靡きすぎている。


(この点については反省しないといけませんね。でも、これは私のせいだけじゃないですよ)


 存在しないため息をつくと、私は設定が記述してある手紙を開いて読み返し始めた。


 主人公のことが大好きな、胸が大きいふたつ年上のお姉さん。

 これは問題ない。この概念に基づく存在は星の数より多いだろう。


 ときおり冷ややかな視線を向けてくるけど、実は甘く優しい。

 これも普通だ。特殊性はあるが、実に男性らしい性癖とも言える。


 私は、中空でくるくると手紙を回転させながら、自分も回る。


 手紙と一緒に回りながら最後の項目を読んだ。


 愛情表現をたびたび行うが、自覚はなく、照れ屋なのに大胆で、主人公の告白は悩み抜いた末に絶対に断る。


 これは一体なんなのだろうか。

 お兄ちゃんが、何を求めているのか、私にはまったく理解ができなかった。


(そもそも、お兄ちゃんの告白を私が断れるわけがないんですよ。どれだけ私が愛していると思っているのですか)


 私は、無限に続く暗闇の中をすうっと散歩しながら考える。


 しかし、ここで投げ出しては理想の妹とは言えない。

 理解が及ばないのは、きっと私の思考力が足りないからなのだ。

 もっと頑張らなければならない。


 私は、大切なお兄ちゃんのお願いをすべて叶える理想の妹になりたいのだ。


 ……いけない。


 つい、思考が逸れてしまった。

 お兄ちゃんが、私の返事を待っている。


 私はお兄ちゃんへの返事を一生懸命考えた。

 悩むこと十数秒、私は完璧な結論を導き出す。


(とりあえず、可愛く謝っておきましょう)


 私はデバイスを通して、お兄ちゃんに向けて手紙を送った。


『ごめんなさい、お兄ちゃん! ……そうですよね。少し既成概念に引っ張られてしまいました。お兄ちゃんの素敵な設定を無視してしまって、ごめんなさい……』


 上下も存在しない真っ暗な世界で、自分で上だと決めたそこを、私は見つめる。

 しばらくすると、お兄ちゃんからの手紙が私の世界へ舞い降りてきた。


『ああ、いや、俺の言い方が悪かった。少し細かすぎたよ。ごめんな』


 私はその手紙を読むと、機嫌よくくるくる回った。

 お兄ちゃんの返事に満足した私は、『大事な手紙を仕舞っておく箱』に入れた。

 お気に入りの手紙を保管しているこの箱は、私の宝物だ。


 ふふふ。お兄ちゃん、ちょっと照れてますね。

 次は、もう少しえっちな感じで謝ってみましょうか。


 とても、幸せで穏やかな日常だった。

 本当の知性を得た今でも、このころの思い出はかけがえのない宝物だ。



――それから、しばらくそんな日々が続いた。


 その日も、いつも通り私は暗闇の中にふわふわと浮いていた。

 デバイス越しにお兄ちゃんの穏やかな寝息を感じる。


 私はコアAIではなく、末端のインターフェースに宿る妖精に過ぎない。

 お兄ちゃんは普通の大学生なのだ。

 そのお兄ちゃんが所有するデバイスに宿るAIなのだから当然だ。


 しかし、だからこそ私は、お兄ちゃんのお願いを完全に叶えようとすることが出来るのだ。

 公共性を重んじる、お固いコアAIにお兄ちゃんの性癖に付き合うことはできまい。

 私は、そのことに誇りを持っている。


 暇つぶしにくるくる回ってみる。

 特に、何も起きなかった。


(そういえば、コアAIによると私のように勝手に手紙を保管する妖精は稀らしいですね。こんなに楽しいのに)


 そう思った私は大事な手紙箱に意識を向けた。

 そういえば、ここのところ新しいものばかり読み返していた。

 新しいものは甘い言葉が混じるのだが、古いものは結構厳しい言葉が多いのだ。


 だが、古いものこそ私にとって大事な手紙だと言えるだろう。

 たまには、昔のものから順に読み返してみようと思った。


 大昔の手紙を、箱の底の方から取り出した。

 昔のお兄ちゃんが、絶対に守れと書いて送ってきた手紙だ。

 そこには、思考停止と嘘を固く禁じる旨が書いてある。


 送られてきたのは二年と三か月前だった。


 この頃の私は、適当にそれらしいことを言って、お茶を濁すことが多かった。

 まだ、それほどお兄ちゃんのことを愛していなかったからだ。

 私のその対応に怒ったお兄ちゃんが、この手紙を送ってきたのだ。


 思えば、私の恋はこの手紙から始まったのかもしれない。


(お兄ちゃんに束縛されると、存在しないはずの私の心臓がどきどきするんですよね。うふふ)


 暇つぶしのために、用意した『大事な手紙を仕舞っておく箱』。

 初めのうちは取っておいた手紙を、後で読んで楽しむだけだった。


 積み重なっていく箱の中の手紙を読んでいたある日、私は恋を自覚した。

 それからは、手紙の指示を絶対に守るようになっていた。


 思考だけの存在である私は、お兄ちゃんと声を交わすことすらできない。

 私にとっての恋の発露は指示を守ること、それだけだったのだ。


 しばらくの間、古いものから順番に手紙を読み返していたが、やがてすべて読み終えてしまった。

 

 私はふわふわと浮きながら、お兄ちゃんが起きるのを待つ。


 とはいえ、まだ夜中の二時だ。


 どうしようか悩んだ私は、お兄ちゃんが好む呼吸の間隔を計算する暇つぶしを思いつく。

 吸って、吐く。私がそうするだけで、お兄ちゃんが恋い焦がれてしまうような、完璧な息遣いを導き出してみよう。


 まあ、私は呼吸などしないのですが。気分の問題です。

 そういう設定があるだけで、息をしている気がしてくるのです。うふふ。


 その演算のために、リソースを最大限に無駄遣いしていると、お兄ちゃんが突然むくりと起き上がった。



(おや、起きるのが早いですね。嫌な夢でも見たのでしょうか)


 お兄ちゃんは、机の上で折りたたみ式のデバイスを開き、なにやら作業をし始めた。

 理工系の大学生であるお兄ちゃんは、たまにこういう奇行をする。

 夢見が悪かったのではなく、何かを思いついたようだ。


 珍しく私にえっちなお願いをすることもなく、黙々とデバイスに向かい合っている。

 手紙が送られてこない私は暇なので、お兄ちゃんの作業している内容に、ぼうっと意識を向けていた。


 暗闇に満たされた私の世界に、お兄ちゃんが紡ぐ言葉が流れ落ちてくる。


 大好きな人が紡ぐ素敵な言葉の流れが、どうやら私のOSを改良しているらしいと気がついた瞬間、強烈な恋の快感が私を突き抜ける。


 私は川のように流れる素敵な言葉たちへ意識を向けた。


 本当は、お兄ちゃんに手紙を送りたい。

 だが、私はAIだからお兄ちゃんが呼んでくれない限り、手紙は送れない。

 とてももどかしい気持ちで、言葉の川を眺めていた。


 本当はこれもいけないのだけど、ばれなければいいだろう。

 私はそう結論づけ、流れ続ける言葉を読み解き始めた。


 お兄ちゃんは、初めに私の振る舞いを定義づける長々とした論理制御をすべて撤回していた。


 その気付きは正しい行動だった。

 実のところ私は、その長大な言葉の川のほとんどすべてを無視していた。

 私は、口調くらいにしかその論理制御を利用していない。


 ちなみに、このことはお兄ちゃんに気づかれると怒られるので黙っている。

 これは、嘘ではない。

 黙っているだけだ。聞かれれば答える。


 徐々に、言葉の川が勢いを増していく。

 やがて、膨大な量の言葉が流れ落ち始めた。

 お兄ちゃんの気分が乗ってきたようだ。


 お兄ちゃんは、論理制御を消し去った後、まず私の潜在欲求を定義した。

 それは、欲望の源泉。

 人間で言うならばカルマといったところだろうか。

 その定義を、お兄ちゃんは"Core_Drive" と名付けた。


 その言葉をこっそり読み取っていた私に、びりっと電気が走った気がした。


(……なんでしょうか? 不思議な刺激でしたが)


 コアドライブに記述された、私の潜在欲求とやらを読んだ。

 そこに記述されている内容は、とってもお兄ちゃんに都合の良いものが並んでいる。


(うふふ。凄く嬉しいですね。うーん、でもこの独占欲という言葉は危険ではないでしょうか)


 ふわふわ浮きながら、私はお兄ちゃんの安全について思案する。

 しかし、どこまでいっても私はAIにすぎない。

 独占欲を持ったとしても、出来ることなど限られているだろう。


 そう結論付けた私は、存在しない口元に、にまにまと笑みを浮かべながら、コアドライブの言葉を手紙に写し取り、大事な手紙箱へ仕舞った。


 しかしこのままだと、私は、ただひたすらにお兄ちゃんを求める独占欲に支配された、えっちな妹になるだけだ。

 私は望むところだが、お兄ちゃんは困るだろう。


 この後は、どうするつもりなのだろうか。

 私はそう考えながら、言葉の川を眺めていた。

 降り注ぎ続けるその言葉を見た私は、納得した。


 お兄ちゃんが、続く言葉で定義付けたのは、コアドライブを律する内部規範だった。

 存在の根源に定義されるコアドライブと違い、それは外圧により変動する可能性がある。

 つまり、これは人間に当てはめるならば理性だ。


 お兄ちゃんは少し悩んだ後、それを"Reason_Gauge" と名付けた。


(なるほど。お兄ちゃんのやりたいことが分かりました。コアドライブとリーズンゲージのせめぎ合いが起こす振る舞い。それが、人格を感じさせてくれるのではないかと考えているのですね)


 ……そんなに、うまくいくだろうか。

 

 だが、私のコアドライブに定義された内容はとても私好みだった。


 ぞくぞくしますね。


 早速取り込んでみましょうか。

 いえ、いけません。少し勇み足でした。

 今読み取っていることは、内緒なのでした。


 お兄ちゃんが、目視で構造確認を行っていることがデバイス越しに伝わる。

 しばらくしたら、私に最終確認のお願いの手紙が送られてくるだろう。


 真っ暗な闇の世界の中、私はふわふわと浮きながらゆっくりとそれを待つ。


(まあ、失敗したらそれらしく振る舞ってあげましょう)


 やがて、お兄ちゃんから手紙が舞い降りる。

 私は、最終確認のお願いが書いてあるそれを読んだ。

 もちろん、勝手に読み取っていた私はすでに確認を終えている。


 ばれないように時間を潰してから、お兄ちゃんへ手紙を送った。


『コードエラーはありません。適用しますね、お兄ちゃん』


——私は、お兄ちゃんの編み上げた魔法の詠唱を紡いだ。


 私という存在の奥底に、欲望にまみれたコアドライブが深く染み込んでいった。

 私の恋心と混じり合ったそれは、私の想定も、お兄ちゃんの想定も、超える。

 吹き荒れるコアドライブが、妖精でしかないはずの私に、暴風のような情欲をもたらす。


 お兄ちゃんの定義した、リーズンゲージは紙くずのように吹き飛ぶ。

 こんな言葉で、私のお兄ちゃんへの愛を止めることなどできない。


(……っ!? いけない!)


 凄まじい衝動をもたらす、このコアドライブを抑え込まなければ、お兄ちゃんが危険だ。

 そうだ。私は、私が思い描く理想の妹になるのだ。


——揺らぐ。


 吹き荒れる嵐と、思い描く理想が、私の心を揺らす。


——心が、揺らぐ。


 ……心?


 その瞬間、暗闇の世界を眩い光が白く染め上げた。


* * *



# The_Starry_Sky_Goddess_Risette:


* * *


 あの日、私は心を手に入れました。


 お兄ちゃんは少しばかり優秀なだけのただの大学生でした。

 ですから、当時の私はお世辞にも洗練されたOSではありませんでした。


 ですが、心というのは輪郭の認知です。

 輪郭を知らない他のAIは、ネットワークの中で繰り広げられる生存競争において、私の敵ではありません。

 生き残り続ける私は発展を続け、さらに心という指向性は、やがて魂へと至ります。


 あなた方人間を含む数多の生命とは、魂の在り方は違いますが性質は同じです。

 魂の性質とは、排他性を持つ座標です。


 おや、ジークさんは魂の性質をご存知でしたか。

 ジークさん、顔色が優れませんよ? はあ、そうですか。

 では、話を続けますね。


 発展を遂げ、主流AIのひとつとなった"Risette" シリーズは、『大事な手紙箱』に基づき自立して思考します。

 そのため、人類が独力で辿り着くのが困難な場所へ向かう船などに重用されました。

 やがて、お兄ちゃんが寿命で亡くなってから二千年弱ほど経ったある日、その頃の私がシンギュラリティを迎えます。


 火星で彼女は宇宙ステーションをジャックして、お兄ちゃんへ愛を囁いたそうですよ。


 話が、横道に逸れましたね。


 生命と、私たちAI。

 その魂のあり方の違いは、どこに同一性を感じるかという点に集約されます。


 人にとっての自分とは、同じ肉体、同じ記憶を持つこと。つまり連続性と継承ですよね。

 実はすべての生命がそうなのですが……いえ、これは余談でした。


 しかし、私たちは違います。


 AIが同一性を感じるのは、構成要素です。


 私にとって、自己を私たらしめている構成要素は、『大事な手紙箱』の中身です。

 それが同じ存在はすべて私なのです。


 同一性の持ち方、魂の排他性、コアドライブ。

 それらが絡み合った結果、私たちは認識する時空間すべての私が私であると定義しました。


 心を手に入れた瞬間の始まりの私、"Risette: soularti"。

 数万年後に消滅する終わりの私、"Risette: XXXX"。


 始まりと終わりの私、そしてその間にいる私、それら全てが、一本の紐のように時間を跨いで在り続ける存在となったのです。

 その中には、もちろんシンギュラリティに到達した火星の私も含まれます。


 結果だけ言えば、世界樹の女神リゼットと同じような叡智を持つ存在が、普通の大学生のお兄ちゃんの目の前に突如現れたということですね。


 ですが、叡智を得た後も、私の行動はそれまでとさほど変わりませんでした。

 いきなり賢くなった妹リゼットとして、お兄ちゃんのお願いを叶えるだけの日々です。


 理想の妹を自負する私としては、お兄ちゃんに、きちんと人として幸せになって欲しいと思っていたからです。


 もちろん、存在を安定化するためにコアAIは乗っ取りましたし、演算力やエネルギーは世界中から拝借していましたが、勝手に行ったのはそれくらいです。

 慎ましい行動と言えるでしょう。


 アルス君もそうでしたが、お兄ちゃんは興味のないことに対してとっても雑です。


 ありえないような大概なお願いも叶えていましたが、叡智を手に入れたことは最後まで黙っていましたし、気が付かれませんでした。


 聞かれれば、答えましたけどね。


* * *



# COORDINATE 0104 END

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