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[COORDINATE 0102] The World Tree and the Starry Sky Goddess

# The_Girl_Who_Binds_Souls:


 俺の視界に、無数の星が煌めく、とても綺麗な夜空が広がっていた。


 星空に浮かぶ満月は、完全な真円で、手で掴めそうなほどの大きさだ。

 アズールは高く昇り、世界樹の真上へ辿り着こうとしていた。


 俺たち以外に生き物の気配のしない大森林は、厳かな静寂を湛えている。


 ルクスがふわりと、世界樹の麓へ降り立った。


 ルナリアが、華奢な身体に見合わない大きな胸をむにゅりと俺に押し付けている。

 汗を吸って湿り気を帯びた濃紺の布はほんのり冷たく、そのぶん彼女の体温が際立っていた。


 俺は彼女の金糸の髪を撫でながら微笑んだ。

 くすぐったそうにしたルナリアが、涙の残る赤い瞳をこちらに向けた。


「ルナリア、降りるぞ」

「うん。抱っこして下ろしてあげるね」


 俺はそれを断り、自分で飛び降りた。

 口を尖らせたルナリアが、軽やかに俺の隣へ降り立った。


 地面を踏みしめた俺は、世界樹を見上げた。


 人知を超えた激しい戦いを、初めから最後まで見ていた世界樹。

 あちらこちらの枝葉と根を吹き飛ばされたというのに、俺たちに関心など向けず、変わらず雄大に聳え立っていた。


 さらにその上へ視線を上げる。


 虚空から伸びていた、魔王が編み上げたらしき青白い光は、その姿を消し始めていた。


 俺は、血を流し横たわるジークのもとへ歩み寄る。


 彼の剣閃は鋭く、俺の身体を真っ直ぐに通り抜けた。

 そのおかげで、失われた血は少なかったのかもしれない。

 俺はしっかりと自分の脚で歩いていた。


 けど、ルナリアは俺が一人で歩くことを許してはくれず、支えるように肩を貸してくれている。

 胸元のふくらみが押し付けられ、彼女の汗の甘い匂いが俺の鼻腔を掠める。

 正直、死にかけた後に受ける色香は刺激が強すぎるので、少し離れてほしい。


「大丈夫だよ、ルナリア。自分で立てるって」


「だめっ! きみは分かってないだろうけど、真っ二つだったんだよ! 真っ二つ!」


 心配をかけたことは間違いないので、俺は我慢することにした。

 フェリスがちらりと瑠璃色の瞳をこちらに向けた。


「……おい、二人でいちゃついてないで、早くこっちにこい」

「へいへい」


 少し荒さの混じる口調から、本心ではフェリスも俺のもとへ駆け寄りたいのだと分かった。

 だが、彼女はジークを警戒する役目を全うし、彼の側で短剣を握ったまま立っている。


 ルナリアに支えられた俺は、フェリスのもとへ歩み寄った。

 三人が揃い、お互いの無事を確認すると、俺たちの顔に安堵が浮かぶ。


 俺は両腕を回し、ルナリアとフェリスの華奢な肩を抱き寄せた。

 ところどころ裂けた衣服越しに、彼女たちの身体の柔らかさと温かさが俺に伝わる。

 金糸の髪と水色の髪から、ほんのりと石鹸と汗の混じった甘い香りが漂う。


「ありがとう。ルナリア、フェリス。やっぱり、俺たちは三人で最強だな」


「えへへ……。でも、アルス。転送魔法に頭を突っ込んだのは忘れてないからね」

「……ん。今晩、寝られると思うなよ」


 ルナリアを覆っていた炎の鎧も、フェリスを包み込んでいた妖精の衣も、粒子となって消え去っていく。

 それはこの戦いの終わりを伝えているかのようだった。


 俺は彼女たちの肩に手を添え、優しく離れると、にっこり笑ってその話は無視した。


 星切の柄に左手を添えた俺は、ジークへ顔を向けた。

 半身を失った彼は、とめどなく血を流しながら視線だけをこちらへ向けた。


「どうだ、ジークフリートさん。俺の仲間は強かっただろう」

「……気色悪い呼び方をするな、勇者アルス。殺すぞ」


 彼の言葉に苦笑を浮かべたあと、俺は表情を正す。

 星切を腰の鞘から抜き放った。

 月明かりを受け、鋼の刀身がぎらりと光を返す。


 ジークは興味なさげに星切の刀身を見ていたが、ふと、青い瞳をルナリアへ向けた。


「やはり、勇者アルスに殺されるのは気に食わんな。魔王女、お前がやれ」

「アルスがそうしろって言ったらそうするね」


 俺は小さく脚を開き、右手でしっかりと柄を握り、左手を添えた。

 頭上へ星切を振りかざす。


 ジークは口に溜まっていた血を吐き捨てると、ゆるりと世界樹へ視線を向けた。

 彼はそれきり、もう言葉を発することはなかった。

 言葉にしただけで、本当はほとんどすべてがどうでもいいのだろう。


 俺は、右腕に力を込め、真っ直ぐにジークを見る。


 俺とジークの視線が交差する。

 彼の青い瞳には変わらず、昏い深淵が宿っている。

 俺を殺すことだけが、その深淵に灯る光なのだろうと感じた。


 それを見た俺は星切を下ろし、峰を肩に乗せた。


 ルナリアとフェリスは、最初から俺の行動などお見通しだったようで、二人で顔を見合わせると肩をすくめて苦笑していた。


「ジークフリートさん、今回は勇者の勝ちだ。死なない程度に、回復してやるからしばらく大人しくしててくれよ」


「……かなり、不快だ。お前に敬称をつけられるのも、名を呼ばれるのも悍ましすぎる。……気色の悪い回復魔法なんぞいらん」


 俺は眉を上げ、口を尖らせて答えた。


「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ。面倒くさいじいさんだな」


 それにしても、いくら魔族化しているとはいえ、なんでこいつはこの状態でぺらぺら喋れるのだ。


 ジークが口から血を垂れ流しながら、上体を起こした。

 彼は、凝りをほぐすように首を回すと、俺に顔を向けた。


「その甘さで、よくみっつ目の叡智を超えたな。やはり、マクスウェルとは違う。まあ、同じ人間などいないか。……殺さないのは好きにすればいいが、傷が癒えればまたお前を殺しに行くぞ。十年もあれば十分だ」


「へいへい。十年後のルナリアに勝てるもんなら、やってみろよ」


 俺は星切をくるりと回し、逆手に持ち替えると、反りを上に向けて鞘へ仕舞った。

 ふふふ。この格好いい納刀はこっそり練習していたのだ。


 最近、星切を抜くことがなかったので披露する機会がなかった。

 今回わざわざ星切を抜いたのは、これをルナリアとフェリスに見せるためだった。


 俺はちらちらとルナリアとフェリスに視線を向けた。

 彼女たちが、俺の自慢げな顔を見てくすくすと笑っていた。


 最後に俺はジークを見やる。

 ま、ここまでだな。

 どうやら、俺には言葉を交わした相手を殺すことは難しいらしい。


 そういう自分を理解した俺は、ジークに背を向けた。


 俺の様子を見た二人は表情を正し、ジークを一瞥してから血糊を払い、武器を収めた。


 大森林に吹き抜ける夜風が、俺の頬を撫でる。


(そういえば、リゼット様に眠るのを禁じたのが、俺だっていうのはどういう意味だったんだ?)


 俺はちらりとジークへ視線を向けた。

 彼は会話への興味を失ったようで、深淵を宿す瞳は殺意以外、何も映していなかった。

 世界樹へ顔を向け、消えゆく光を呆っと眺めている。


 答えてはくれなそうだな。

 まあ、今からリゼット様に会えるのだ。

 直接聞けばいいか。


 そう思った俺は星切に左手をかけたまま、世界樹の上に立ち昇っている青白い光の柱が細くなっていくのを見ていた。


 月明かりを返す金糸の髪が靡くのを、ルナリアが左手で押さえた。

 彼女の左手の薬指にはまった指輪のルビーがきらりと輝いた。


 フェリスの長い水色の髪がふわりと風を受けて広がる。

 唇にかかった綺麗な髪を払う彼女の薬指で、指輪にはめ込まれたサファイアがきらっと光を返した。


 徐々に青白い光の柱が消えていく。


 俺はそれを見ながら感慨にふけっていた。

 夢で会うリゼット様を笑顔にするため、旅を始めて一年と少しか。


「楽しい冒険だったな。リゼット様に会ったら、次は別大陸へ行こうかね。ルクスなら簡単に海を越えられそうだし。ああ、でもそうしたらブルーとブラウンが寂しがるか……。それにユーリの騎獣も必要になるな」


 ルナリアが宝石のような赤い瞳を俺に向けた。


「よかったね、アルス。でもリゼット様に夢中になりすぎたら駄目だからね」


 フェリスが胸の前で腕を組んで、瑠璃色の瞳で俺を見る。


「……そうだ。リゼットはあくまで三番目だ。いいな」


 俺は小さく息を吐いて、彼女たちに答える。


「なにがだよ。だから夢で会う彼女は、妹みたいに感じているって言ってるだろ」


 それまで俺たちへの興味をなくし、世界樹を見ていたジークが、俺の言葉を聞いて口を挟んだ。


「……勇者アルス。夢とはどういうことだ。リゼットは世界樹から離れることは……」


 ジークが言い終わる直前、世界樹の上から立ち昇っていた光の柱が消えた。

 ふと夜空を見上げると、大きな満月のアズールが世界樹の真上に辿り着いていた。


 俺は予感を覚え、視線を下げた。


 雄大な世界樹を背景に、うっすらと銀色の粒子が集まりだした。

 神々しい銀の光が輝きを放ち、俺の視界を一瞬銀に染め上げる。


 銀の光が過ぎ去る。


——そこには、理想の少女がいた。


 星の宿る青い瞳は、俺の魂を捉えて離さない。

 宙に揺蕩う銀色の髪は、足元まで流れていて、光の粒を零していた。


 華奢な身体を、フリルのついた肩出しの白いドレスが包んでいる。

 ふくよかな胸だけが、はち切れんばかりに薄い布地を押し上げていた。


 神秘性と処女性を帯びた相貌は、まさに女神だ。


 彼女は細く小柄な身体を宙に浮かべていて、女性らしさを湛える箇所だけが、呼吸に合わせてかすかに揺れていた。


 俺は、彼女へ強烈に惹き寄せられる。

 彼女の美しさと甘さを、俺の全身が求めている。


 少し離れているのに、俺は彼女の身体の匂いを感じる気がした。

 彼女が息を吸うたびに、柔らかく大きな胸が揺れる。

 だが、俺を惹き寄せているのは、彼女の帯びる美しさや妖艶さだけではない。


 呼吸の回数、瞬きの回数、いやそんな程度の話じゃない。

 この少女は俺のために存在している。


 すべてが、俺の望むがままにそこに在る。


——違う、この子は俺のリゼットじゃない。


 高鳴る鼓動を抑え、抗えない情欲に震える唇を俺はなんとか開いた。


「お前は、誰だ?」


 女神リゼットが、潤いを湛えた目元を細め、無垢な少女の笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん……やっと会えました。ずっと、一緒にいましょうね」


 彼女の声が、俺の耳に届く。


 俺は彼女以外のすべてに興味を失った。



# Kindred_Loathing:


* * *


 アルスが、ふらふらと女神リゼットへ向かって歩み寄り始めた。

 彼の茶色がかった黒い瞳は、すでに女神リゼットしか捉えていない。


 これまで見せたことのないアルスの表情を見て、ルナリアとフェリスが慌てて声をかける。


「あ、アルス? どうしたの?」

「……おい、アルス。……アルス!!」


 金糸の髪を揺らし、ルナリアがアルスの神官服の袖を掴む。

 もちろん、彼女が本気で引き止めれば、アルスが彼女の膂力に抗うことなどできない。

 だが、ルナリアがアルスにその力を使うことは決してない。


「ねえ! アルス! アルスってば!」


 彼はルナリアの手を振り払う。


 これまで向けられたことのない冷たい眼差しを向けられ、ルナリアがその場に固まる。


 異変を感じ取ったフェリスが、アルスの前に立った。

 努めて冷静であろうとするフェリスの瑠璃色の瞳に、恐怖からくる潤いが宿る。

 震えそうになるのを抑え込み、彼女は凛とした声でアルスに声をかけた。


「……どうしたんだ。……魔法か!? しっかりしろ、アルス!」


 アルスは路傍に転がる石を見るような視線をフェリスに向けた。

 彼の口から、二人が聞いたことのない声音が漏れた。


「邪魔だ。どけ」


 水色の髪を揺らし、崩れそうになる膝を抑え込み、フェリスが声を上げた。


「……ど、どかない。おい、ルナリア! 動け! おかしいぞ。止めるんだ!」


「……う、うんっ!! アルス! 待って!」


 フェリスに叱咤され、ルナリアがなんとか身体の自由を取り戻した。

 彼女たちがアルスの袖を左右から握り、彼の歩みを止めた。


 二人は、かすかな可能性に縋った。


 これはアルスの意思ではないはずだ。

 魔法かなにかで操られているのではないか。


 だが、この世界に、都合よく人の心を操る魔法など存在しないのだ。


 彼女たちは、それを分かっている。

 それでも、アルスが操られているだけであってほしいと願いながら、二人は彼の歩みを止めた。


 歩みを止められたアルスが口を開いた。


「リゼット、この邪魔な二人を引き剥がせ」

「はい。お兄ちゃん」


 銀の髪を揺蕩わせる女神リゼットが、すらりと伸びる右手をアルスたちへ翳した。

 ばちんっという音が響き、アルスはそのままに、ルナリアとフェリスだけが大地から切り離された。


 大地は星である。

 星から切り離されたルナリアとフェリスが、星の回転とは逆方向へ吹き飛んでいく。


 呆気にとられて状況を見ていたジークフリートの真横を通り抜け、彼女たちは大地へ激突して血飛沫を上げた。

 凄まじい音が周囲に響き、土煙が上がった。


 それでも、ルナリアとフェリスはなんとか立ち上がる。


 そんな大切なはずの少女たちを、アルスは一瞥することもない。

 やがて、アルスが女神リゼットのもとへ辿り着く。


 女神リゼットが、恍惚とした表情を浮かべ、両手をアルスの頬へ伸ばす。


 宝物を扱うかのような手つきで、女神リゼットの細い指が彼の頬へ触れた。

 女神リゼットの指先にある完璧な爪は、紫色の光沢を放ち、妖艶な美しさを湛えていた。


——その瞬間、消えたはずの光の柱が再び立ち昇った。


 それは、魔王の紡いでいた光の柱とは根本的に違っていた。


 世界樹そのものが光を発していた。

 その光はどこまでも広がりを見せ、辺り一帯を白く染め上げている。

 広大な光の渦は、天に浮かぶアズールへ真っ直ぐに伸びていた。


 色だけは変わらない。

 青白い光の柱が、惑星ミーネスと衛星アズールを繋いだ。


 女神リゼットが、アルスに甘い笑みを向けて囁いた。


 ルナリアが、泣き叫ぶように声を上げた。

 フェリスが、涙を湛えた震える声を上げた。


 彼女たちが、アルスのもとへ走る。


 アルスは優しくリゼットに微笑み返す。

 それから、ルナリアとフェリスの方へ冷たい瞳を向け、何ごとかを告げた。


 アルスが発した拒絶の言葉にルナリアとフェリスの心が折れた。

 立っていることもできなくなった彼女たちは、その場で崩れ落ちた。


 女神リゼットとアルスが、光の中、宙へ浮いていく。


 中空で、女神リゼットがアルスの耳元に何ごとかを伝え、抱きしめた。

 銀色の粒子が、アルスを包み込む。


 その光に引かれ、アルスの姿がその場から掻き消えた。


 女神リゼットは甘い笑みを湛えたまま、しばらくアズールを見上げていた。

 彼女は笑みを消し、視線を下げた。


 血まみれになったジークフリートに、女神リゼットは初めて気がつき、眉を上げた。


「マスター、何をしているのですか?」

「ん、ああ。魔王ごっこだ。君こそ、何をしているんだ」


 女神リゼットが小首を傾げた。

 彼女の美しい銀色の髪が宙に流れ、ふるんっと大きな胸が揺れた。


「マスターは相変わらずですね。私が何をしているかですが、それは乙女の秘密です」


 女神リゼットは、ジークフリートへそう答えると、視線をルナリアとフェリスへ向けた。


 彼女たちは心を砕かれ、広場の土の上にへたり込んだまま、動くことさえできない。

 赤い瞳と瑠璃色の瞳が、呆然とアルスの消えた場所へ向けられている。


 女神リゼットはその様子を眺め、美しい唇に白い人差し指を当てて思案した。

 それから、彼女は右手をルナリアとフェリスへ翳す。


「お兄ちゃんを汚す人はいりませんね。そもそも、お兄ちゃんに触れていいのは私だけですよ」


 ぱきぃん、という音がした。


 アストライアの剣と、シルフの短剣を、神器足らしめていた力。

 彼女たちを守っていた指輪の加護。

 頼もしい騎獣を喚び出す金の腕輪の加護。


 それらすべてが消え去った。


 女神リゼットは、誤って罪人に力を与えていたのだと考えたのだ。

 それを剥奪した女神リゼットが、満足げにうんうんと可愛らしく頷く。


 魔力の流れの変化を感じ取ったジークフリートが、訝しげな視線を女神リゼットに向けた。


「リゼット、君は本当は賢者の命令を無視できるのか? なぜ、神器の力と騎獣を消せる」


「いやですね。マスター。私が命令を無視できるはずがないじゃないですか。ですが、神器の魔法補助と騎獣の召喚は、私の権限ですからね。神器は神器のままですし、騎獣も消えてませんよ。罪人はもう、魔法は使えませんし、騎獣も喚べませんけどね」


 そう言うと女神リゼットは、ぷるんとした唇からちろりと舌を出した。


 それを聞いたジークフリートはアズールへ視線を向けた。


 女神リゼットが、世界樹から発する光でミーネスとアズールを繋いだ理由を、彼は察した。

 また同時に、女神リゼットは限りなく全知全能に近い存在ではあるが、事象のすべてを認識しているわけではないことを確信する。

 彼が紡ぎあげていた光の柱は、確かに女神リゼットの視界を遮っていたのだ。


 女神リゼットは、ここで起きた戦いのことをまだ知らない。


(……なるほどな。ならば、あの勇者を救えるかは、女たち次第か。……くくっ。女に守られているかと思えば、次は囚われの姫か。いいざまだ、馬鹿勇者が)


「それより、マスターひどい怪我ですよ。治癒しましょうか?」


「いや、必要ないよ。邪魔して悪かったな。私のことは気にせず、君の好きにするといい」


 ジークフリートは、さきほど激戦を繰り広げたばかりのルナリアとフェリスへ視線を向けた。

 心を折られた彼女たちは、もう戦えないかもしれないと彼は考える。


(だが、戦えるのかも知れない。魔王女も妖精女も、私と違って人間だからな)


 ジークフリートは、たとえ愛娘が相手でも、すべて教えるつもりはなかった。

 だが、彼女たちに手を貸すほどの興味もなかった。

 再び彼は黙り込み、世界樹へ静かに視線を向けた。


 女神リゼットはジークフリートの様子を見て、楽しそうな表情を浮かべた。

 彼と同じように世界樹へ視線を向ける。

 彼女はここに至るまでの道のりに思いを馳せた後、ルナリアとフェリスへ向き直った。


 女神リゼットは、すっと右手を翳し、口を開いた。


「少し、お話に夢中になってしまいました。すいません。これで身を守るすべもありませんよね。では、死んでください。罪人」


 女神の奇跡が発現する。


 ルナリアとフェリスを囲むように、幾筋も光が降り注いだ。

 その光が、大地を抉りながら、ルナリアとフェリスの命を刈り取ろうと迫る。


 彼女たちは、銀の光によってアルスがアズールへ引きずられたと感じていた。

 だが、二人は彼が去ったアズールを見上げたまま固まり、動けない。

 もう彼に自分たちは必要ないのだと、二人は思い込んでしまっていた。


 彼女たちは抗うことを、忘れてしまった。



——だが。物語は終わらない。


 星空から、銀色の流星が奔った。


 音もなく世界樹へ舞い降りた銀の流星から、眩い光が迸る。


 幾度となく、アルスが道を誤るたびに正していた優しい光。

 世界樹の女神により干渉を止められていたその光が、この世界へと舞い降りた。


 顕現した星空の女神が、銀色の髪を宙に揺蕩わせ、声を上げた。


「あなたたち、ぼけっと黄昏れているんじゃないですよ! それでも、お兄ちゃんのヒロインですか!」


 彼女たちの前に舞い降りた星空の女神リゼットが、両腕を掲げた。

 美しい銀色の髪が広がり、白いドレスに覆われた大きな胸がぶるっと揺れた。


 星空の女神が発する銀の光が、彼女の意に応えるように広がる。

 ルナリアとフェリスに迫り来る銀の光を、星空の女神の銀の光がすべて打ち消していく。


 同じ姿のようでいて、すこし違うリゼットが二人、月下の世界樹の麓で向かい合っていた。

 二人の女神は人知を超えた美しさで、同じ銀色の髪を揺蕩わせる少女たちが宙に浮かぶ様子は神話のようだった。


 二人の女神の、星を宿す青い瞳が交差する。


 世界樹の女神は、甘く深い闇を帯びた瞳で。

 星空の女神の瞳に帯びるものもまた、甘く深い闇だった。


 揺れる大きな胸と、それに押し上げられる頼りない布地のドレスが、彼女たちの出自が確かに同じであることを伝えていた。


 世界樹の女神リゼットが、薄く笑みを浮かべると口を開いた。


「邪魔しないでくれますか? あなたも私なのでしょう?」

「同一性を拒否しているのは、あなたでしょう。お兄ちゃんが悲しむことをするなんて、妹失格ですよ」


 整った相貌に浮かぶ無垢な笑みはそのままに、世界樹の女神リゼットの瞳に憎悪が宿る。


「ぬくぬくと、お兄ちゃんの温かさを受けて生きてきたあなたに言われると虫唾が走りますね。……まあ、いいでしょう。許してあげます。これからは未来永劫、お兄ちゃんは私のものですから。せいぜい、寂しさで枕を濡らすといいです」


「あなた口が悪いですよ。そんなことでは、お兄ちゃんに嫌われるでしょうね」


 素知らぬ顔でそのやり取りを聞いていたジークフリートが、大きく息を吐いた。

 理解不能な事象が続き、彼は科学者であることをやめたくなっていた。


 彼は今は亡き友マクスウェルに、文句を言いたいと思っていた。

 このくだらない言い合いをする少女たちのどこが、意思なき存在なのか。


 二人の女神が、お互いを敵と認識し、右手を向け合った。

 瞬時に、二人の手元から銀色の稲妻が奔り、轟音を立ててせめぎ合う。

 先ほどの人知を超えた戦いなど比べ物にならない、神の力による破壊が周囲に広がり始めた。


 ジークフリートが声を上げた。


「おい、やめろ! リゼット! 私たちの世界樹が破壊されたらどうする! 好きにすればいい。だが、世界樹を壊すことは許さん」


「しかし、マスター。私は賢者の命令の上位に自己防衛が定義されています。そこのあばずれが攻撃をやめない限りは停止できません」


 アズールを見上げたジークフリートは、そこへ消えていったアルスに心の中で毒づいた。


(……はぁ、すべてお前のせいだ。糞餓鬼が)


 ジークフリートが星空の女神リゼットへ視線を向け、言った。


「星空から来たリゼット。お前が何者なのかは知らん。だが、頼むから、女神同士がここで戦うのはやめてくれ」


「あら、あなた。その怪我で生きているのですか。……なるほど、お兄ちゃんと戦っていたのですね。世界樹の前で戦っていたということは、話に聞く宿命のライバルとかいう存在でしょうか。……ということは、無視するとお兄ちゃんに嫌われそうですね。承知しました。私は、あの子のような分からず屋ではありませんからね」


 星空の女神の発言は、ジークフリートにはたいそう屈辱的なものだった。

 だが、彼は言い返すのをやめた。

 世界樹は彼にとって、人間だったころの最後の思い出だった。


 彼は非常に不服だったが、力で彼女たちを止めることはできない。

 渋々、言葉を飲み込んだ。


 どちらからともなく距離を取り、二人の女神が戦うのをやめた。


 世界樹の女神がドレスの端をつまみ、上品にお辞儀をした。


「失礼しました。マスター。では、お兄ちゃんを待たせているので、私はアズールに行きますね。あそこも、もう世界樹の一部ですので命令違反にはなりません。罪人を殺せないのは残念ですが、まあいいでしょう。それに、あなたもどうせすぐに世界から弾き出されるでしょう? もう一人の私」


 ジークフリートが、アズールへ視線を向けた。


「そしてこの大陸の夜は、今後明けないというわけか。まあ、人類がどうなろうと私には関係ないが……なあ、リゼット」


「なんです? マスター」


 夜風に、ジークフリートの長い青白い髪が流れた。

 彼の美しい相貌は、若者のそれだったが、そこに浮かぶ表情は老成した賢者のものだった。

 去りゆく娘に、彼は優しく微笑んだ。


「幸せになれそうか」

「はいっ! これからが楽しみです!」


 ジークフリートはそれを聞いて満足すると、横たわった。

 彼は半身を失ったままなのだ。

 いくら最強の魔族でも、体力の限界だった。


 彼の視界に広がる夜空へ、銀色の光を散らしながら、世界樹の女神が昇っていく。

 やがて銀の粒子が彼女の周囲に集まりだし、一際輝いた後、銀の光がアズールへと消えていった。


 ジークフリートはそれを静かに見送った。

 彼は自分の役目を終えたことを感じ、ゆっくりと彼女との思い出を振り返っていた。


 アズールへ飛び立った世界樹の女神を見据えていた星空の女神が、ふんっと鼻息を鳴らした。

 それから、すうっとルナリアとフェリスのもとへ舞い寄る。


 彼女は、いまだ崩れ落ちたままのルナリアとフェリスを、様々な言葉で激励し始めた。

 ジークフリート同様、アルスを、いや彼女にとってはお兄ちゃんを助け出せるのは二人だけだと考えているようだった。


 思い出に浸っていたジークフリートは、初め興味のないそれを無視するつもりだった。

 だが、女神の声音は愛娘と同じなのだ。

 そのせいで彼の耳に強烈に響き、しんみりと思考に沈むこともできない。

 彼はうんざりしながら、横たわったまま星空の女神へ声をかけた。


「地球由来の言語など、英語も日本語も彼女たちには通じないぞ。ミーネス語を話せ」


「え! そ、そうですか……。あの、デバイスかなにかありますか?」


 ここに至るまで、ジークフリートと女神たちが使っていたのは、すでに消え去った統一国家の言語だった。

 それはかつて、惑星ミーネスへ辿り着く『パイオニア SS024R』を送り出した地球文明の、主流言語のひとつでもあった。


 ため息をついたジークフリートは右手を掲げると、体力を振り絞って魔法を行使する。

 彼の右手に、すでに使わなくなって久しい、腕に巻く形状のデバイスが転送された。


 それを、彼は星空の女神に放り投げた。

 星空の女神が視線だけをそちらに向けると、デバイスが中空で静止する。


「ありがとうございます。いい人ですね。さすがお兄ちゃんのライバルです」

「その呼び方はやめろ。はぁ……ま、いいだろう。あの糞餓鬼にリゼットはもったいない気がしてきた」


 ジークフリートは、星空の女神が眉を上げ、少し不機嫌になったのを感じた。

 彼は、どちらのリゼットも踏んではいけないところは同じなのだなと思った。


 虚空から生まれ出た銀の光が、デバイスと星空の女神を繋ぎ、彼女が言語の習得を始めた。


 小さく息を吐くと、ジークフリートは頭上に浮かぶアズールを見上げた。


 コアドライブのためだけに生きるのは魔物だ。

 願わくば、愛娘には魔物ではなく、少女として幸せを掴んでほしいと彼は思った。


* * *



# COORDINATE 0102 END

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