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第16話 呼べない名前


 付き合っているのに、名前を呼んでいない。


 それに気づいたのは、昼休みのベンチに並んで座っているときだった。


「先輩」


 綾部が、いつも通り私を呼ぶ。


「なに、綾部」


 私も、いつも通り返す。


 そこに、違和感はない。

 でも、胸の奥に小さな引っかかりが残る。


 私たちは、まだ下の名前を呼んでいない。


 呼ばれていないし、呼んでいない。


 付き合っているのに。


 綾部は、私の横顔をちらりと見る。


「……先輩、今日も講義あります?」


「うん」


「帰り、一緒に行けますか」


「大丈夫」


 会話は、途切れない。

 でも、踏み込まない。


 私は、言いそびれていることを思い出す。


 兄から聞いた話。

 マイケルのこと。


 ――勘違いだった。


 そう言われた日のことを、

 まだ綾部に話していない。


 今さら言い出すのも、変な気がした。


 綾部は、まだ思っているはずだ。


 マイケルは、私のことが好きだと。


 だから、不安になる。

 だから、距離を測る。


 私は、それを訂正できていない。


 講義が終わり、

 校舎の外に出る。


 並んで歩きながら、

 何度か、言いかけてやめる。


 マイケルの話。

 兄の言葉。


 どれも、

 口にすれば済む話なのに。


「先輩」


 綾部が足を止める。



「……私」


 綾部は、少しだけ言い淀む。


「先輩が、遠く感じることがあります」


 胸が、きゅっと縮む。


「一緒にいるのに、

 前より、距離がある気がして」


 私は、何も言えなかった。


 名前を呼べない。

 訂正できない。

 踏み込めない。


 その全部が、

 距離になっている。


「ごめん」


 それしか言えなかった。


 綾部は、首を振る。


「謝らなくていいです」


 それから、少し笑う。


「……私も、呼べてないので」


「え?」


「名前」


 視線を逸らしながら言う。


「百合、って」


 心臓が、大きく跳ねた。


「先輩って呼ぶの、

 楽で」


 苦笑い。


「でも、

 それだけじゃ、

 足りない気もしてます」


 私は、立ち止まった。


 呼べない理由は、同じだった。


 呼んだら、

 近づきすぎてしまう。


 期待してしまう。


「……私も」


 声が、少し震える。


「貴子、って言えない」


 初めて、下の名前を口にした。


 直接呼んだわけじゃないのに、

 胸が熱くなる。


 綾部は、驚いたように目を見開く。


「今」


「呼んだ、よね」


「……はい」


 それだけで、

 空気が変わった。


 まだ、呼び合っていない。

 でも、

 呼べない理由を、共有できた。


 それだけで、

 少し近づけた気がした。


 マイケルの話は、

 まだ言えていない。


 でも。


 次は、

 名前からでいい。


 そう思えた。


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