第13話 やさしさが怖い
綾部のやさしさが、怖いと思ったのは、その日の帰り道だった。
夕方の駅前。
人の流れが少し落ち着いて、風が冷たくなる時間帯。
「先輩、寒くないですか」
綾部がそう言って、自分のマフラーを少し緩める。
「大丈夫」
そう答えたけれど、
本当は、寒さより別のものに身構えていた。
少し沈黙が続く。
私は、歩きながら考えていた。
言うなら、今しかない。
「ねえ、綾部」
「はい」
声をかけると、すぐにこちらを見る。
その反応が、もうやさしい。
「私、高校のとき」
足を止める。
綾部も立ち止まった。
「女の子と、付き合ったことがある」
綾部の目が、わずかに揺れた。
でも、何も言わずに待っている。
「初めてだった」
何が、とは言わない。
でも、通じている気がした。
「楽しかったし、ちゃんと好きだった」
言葉を選びながら、続ける。
「でも、後で知った」
喉が、少しだけ詰まる。
「その人、本当は兄のことが好きだった」
綾部は、息を吸った。
「……そう、だったんですね」
「兄に振られて」
私は、視線を落とす。
「それで、私に来た」
事実を並べると、
思ったより淡々としていた。
「代わり、だった」
綾部が、はっきり首を振った。
「先輩」
声が強い。
「それは、先輩のせいじゃない」
「わかってる」
すぐに答える。
「頭では」
でも、と付け足す。
「でも、残る」
胸の奥を、指で示す。
「こういうの」
綾部は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくり言う。
「だから、先輩は」
言葉を探す。
「選ばれたあとも、怖いんですね」
私は、驚いた。
「……そう見える?」
「はい」
迷いのない返事。
「先輩、試験みたいな顔、してます」
図星すぎて、何も言えなかった。
「私」
綾部が、続ける。
「先輩に、安心してほしいです」
「どうして?」
思わず聞いた。
綾部は、少しだけ困った顔をする。
「……だって」
視線を逸らし、すぐ戻す。
「先輩が、自分のこと責めるの、
見てるの、つらいから」
胸が、きゅっと縮む。
「私、先輩を選びました」
はっきり言った。
「比べたこと、ないです」
強い否定。
「似てるとか、
そういうの、考えたことない」
私は、息を止めて聞いていた。
「それでも」
綾部は、声を落とす。
「先輩が信じられないなら、
急ぎません」
その言葉が、やさしすぎた。
「でも」
一歩、近づく。
「黙って、我慢するのは、
違うと思う」
私は、目を伏せた。
やさしさが、
逃げ道を塞いでいく。
「……ありがとう」
それしか言えなかった。
駅の改札が見える。
「今日は、ここまでにしましょうか」
綾部が言う。
「うん」
別れ際、
綾部が小さく言った。
「先輩」
「なに?」
「話してくれて、嬉しかったです」
その言葉を、
私はちゃんと受け取った。
怖さは、まだある。
でも、
やさしさから逃げないことも、
選べるかもしれない。
そう思えた、初めての日だった。




