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雪白幼女は愛を謳う  作者: 湖中蛙
【第1章】楽園編
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第008話「まねたもの」



翌日。

木々の隙間から差し込む光が、庭のあちこちに淡い影を落としている。

葉の一枚一枚に付着した露が光を反射し、キラキラと輝いていた。

そんな中、アリスは庭の中央に立っている。


「……よし」


小さく息を吐く。

その表情は、これまでよりも少しだけ“意志”を帯びている。

ただ見て、触れて、楽しんでいた頃とは違い、今は目的をもって挑戦をしようとしている。

そんなアリスの背後で、マリアは静かに見守っていた。


「では、昨日の続きです」


アリスの両肩に手を置きながら上からのぞき込む形でマリアは伝えた。


「まずは単純な構造から。形が明確で、役割がはっきりしている部位を選びなさい」

「うん」


アリスは頷き、周囲を見渡す。

四翼鳥が枝の上で羽を整えている。

珠鹿はゆっくりと草を食み、フェンリルの子は地面に寝そべって尻尾を揺らしていた。

その中で、アリスの視線は一匹の生物に止まる。


円紺蜥蜴。

深い藍色の鱗を持つ小型の爬虫類。

岩の上に腹ばいになり、じっと動かずに日光を浴びている。


「……これ」


アリスはゆっくりと近づいた。

蜥蜴は逃げない。

むしろアリスの気配を感じると、こちらに首を向けゆるやかに瞼を閉じた。


「いいですね。では何を再現しますか?」

「んとね。つめ、かな」


アリスは答える。

蜥蜴の前脚。

短く、しかし鋭く地面を掴む爪。


「どうしてそれを選びましたか?」

「つかめるから!」


簡潔な答え。

だが、目的は明確だった。

マリアは小さく頷く。


「では、観察しなさい。形だけでは不十分です」


アリスはしゃがみ込み、蜥蜴の前脚をじっと見つめた。


鱗の並び。

関節の動き。

地面に触れる角度。

爪が土を引っかくときの、微細な音。


そんな円紺蜥蜴の爪先を指でそっと触れる。

蜥蜴は特に反応もせず、静かにアリスをジッと見つめていた。


「かたい……でも、ちょっとやわらかい?」


「ええ。硬度と柔軟性の両立です。折れず、滑らず、掴むための構造ですね」


アリスはゆっくりと頷いた。


「……わかった」


立ち上がるとアリスは自分の手を見つめた。

白く、小さな手。

まだ何も“持たない”手。


「じゃあ、やってみる」


息を吸う。

そして、目を閉じた。


「つめ……つかむ……こう……」


つぶやきながらイメージを組み立てる。

鱗の並び。

関節の動き。

地面に触れる角度。

爪が土を引っかくときの、微細な音。

つい先ほど観察したものを一つ一つ思い起こす。


その瞬間。

ぴくり、と。

アリスの右手が震えた。

皮膚の下で何かが動く。

指先が、わずかに膨らむ。


「……っ」


違和感。

だが、痛みはない。

むしろ──


「……へんなかんじ」


楽しんでいるような声だった。


ぐにゃり、と。

指の先端が歪む。

白い皮膚が引き伸ばされ、内部から何かが押し出される。


ぶつ、と。

小さな音とともに、爪が“生えた”。

それは人の爪ではなかった。

やや湾曲し、先端が鋭く尖っている。

表面は滑らかではなく、細かな凹凸がある。


「……できた?」


アリスは目を開く。

自分の指先を見る。

そこには、確かに“それらしいもの”があった。


「触れてみなさい」


マリアが言う。

アリスは地面に手をつく。

ざり、と。

土が引っかかる。


「……つかめる」


少しだけ、嬉しそうに呟いた。

だが。

次の瞬間。


ぼろり、と。

爪が崩れた。

まるで砂のように。


「あ……」


指先は元に戻る。

何もなかったかのように。


「……きえた」

「不完全です」


マリアの声は冷静だった。


「形だけをなぞっても意味はありません。機能を理解しなさい」

「……むずかしい」

「ええ。だからこそ訓練が必要なのです」


少しの沈黙。

風が吹く。

葉が揺れる。

その音が、妙に大きく感じられた。


「もういっかい、やる」


アリスは言った。

その声には、わずかな“意地”が混じっていた。


再び、手を見る。

今度は、より長く観察する。

自分の指。

蜥蜴の指。

違い。

同じところ。


「……ちがう」


ぽつりと呟く。


「ぼくの、ほね……ちがう」


マリアの目が細くなる。


「続けなさい」

「うん」


アリスは、自分の指を軽く曲げた。

関節の位置。

動き方。

そして。


「……こうじゃない」


ぐに、と。

指の骨格が、わずかに変形した。

人のそれとは違う配置へ。

皮膚が引きつる。

だが、破れない。

内部で“組み替え”が起きている。


「……こう」


再び。

ぶつ、と。

今度は、よりはっきりとした爪が生まれた。

先ほどよりも鋭く、形も安定している。


「……」


アリスは、ゆっくりと地面に手をついた。

ざり。

今度は、しっかりと土を掴んだ。

指が沈み、固定される。


「……つかめる」


その声は、確信に変わっていた。

マリアは、静かに頷いた。


「よくできました」


だがその目は、アリスではなく“その手”を見ていた。


「今のは、単なる模倣ではありません」


一歩、近づく。


「構造を理解し、自身の身体を書き換えた」


アリスは、自分の手を見つめる。


じっと。

まるで、それが“自分ではない何か”のように。


「……これ、ぼく?」


ぽつりと漏れる。

マリアは微笑んだ。


「ええ。貴方です」

「でも……さっきのと、ちがう」


「当然です。今の貴方は“人”ではありませんから」


さらりと、言った。

アリスは一瞬だけ黙る。

だが、すぐに。


「……そっか」


納得したように頷いた。

その理解は浅い。

だが、それで十分だった。


「もういっこ、やる」


アリスは言う。

今度は、周囲を見渡す。


視線が止まる。

フェンリルの子。

柔らかな毛並み。

だが、その奥にある鋭い牙。


「……あれ」


マリアはわずかに目を細めた。


「牙、ですか」

「うん。かむやつ」

「……いいでしょう。ただし」


少しだけ、間を置く。


「無理にやろうとしないこと。先ほどのものよりも構造が若干複雑ですから」

「わかった」


アリスは頷く。

そして、口元に手を当てた。


「……かむ」


イメージする。

裂ける顎。

食いちぎる力。

ぴくり、と。

頬が動く。

顎の骨が、わずかに軋む。


「……っ」


眉が寄る。

だが、やめない。


「……こう……」


ぐ、と。

口が、わずかに広がる。

歯が、伸びる。

白い歯列の中に、異物が混じる。

尖った牙。


「……」


その瞬間。

フェンリルの子が、ぴくりと反応した。

じっと、アリスを見る。

空気が、変わる。

ほんの一瞬だけ。


「……できた?」


アリスは笑った。

だが次の瞬間。

ぐらり、と。

体が揺れた。


「……あれ?」


視界が、ぼやける。


「情報の過負荷です」


マリアが支える。


「一度に複雑な構造を再現しようとしたため、処理が追いついていません」


牙は、すぐに消えた。

アリスの口元は元に戻る。


「……むずかしい」


小さく呟く。


「ええ。ですが、順調です」


マリアは静かに言った。


「確実に、“蓄積”されています」


その言葉に、アリスは頷いた。

少し疲れた様子で、地面に座り込む。


「つかれた……」


「当然です。今日はここまでにしましょう」


マリアはそう言いながら、アリスの頭を撫でた。

その手は優しい。


「よくがんばりました。えらいですね」

「えへへ」


だが。

その目は。

どこまでも冷静に、“結果”を見ていた。


(問題はなさそうですね)


風が、再び庭を抜ける。

動物たちは、何事もなかったかのように動き出す。


だが。

その中で。

フェンリルの子だけが、じっとアリスを見ていた。

さきほど一瞬だけ感じた“違和感”。

それを、まだ忘れていなかった。

アリスはそれに気づかないまま、空を見上げる。


「……もっと、できるようになる?」

「ええ」


マリアは答えた。


「直ぐに完全に再現できるようになりますよ、」


その言葉は、祝福のようで。

同時に──


「ちゃんと“中まで触れたもの”なら」


呪いのようでもあった。

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