婚約者に近づく者は、少々気になります
退屈だ。
そう思わなくなって、いつからだろう。
以前の私は、毎日が決められた台本のようだった。
朝は剣術。
昼は政務の勉強。
夜は舞踏会や茶会。
誰もが私を褒め、笑い、取り入ろうとする。
何一つ予想外のことなど起こらない。
けれど。
「まあ! お菓子の歴史書なんて夢のようですわ!」
そう目を輝かせる婚約者が現れてから、毎日が騒がしい。
本当に騒がしい。
「殿下。」
セドリックが静かに紅茶を置いた。
「本日の報告でございます。」
「聞こう。」
「リリアーナ様は、本日もアイリス様とご一緒でした。」
「そうですか。」
「庭園にて、お菓子を交換されておりました。」
「…………。」
「その後、図書館へ。」
「…………。」
「さらに。」
セドリックは一枚の紙を差し出した。
「生徒会副会長アシュレイ様と十五分ほどお話を。」
私は紙を受け取る。
十五分。
たった十五分。
なのに、妙に長く感じた。
「何を話していました。」
「魔法植物と、お菓子のお話かと。」
「……お菓子。」
「はい。」
静かに紅茶を飲む。
味がしない。
不思議だ。
紅茶はいつも同じ茶葉のはずなのに。
「殿下。」
「何でしょう。」
「最近、何かお悩みですか。」
「ありません。」
「左様でございますか。」
セドリックは淡々と答える。
「ですが、リリアーナ様が他の方とお話される度に、カップを置く音が少し大きくなっております。」
「気のせいです。」
「左様でございますか。」
昼休み。
私は偶然を装って図書館へ向かった。
偶然である。
本当に偶然だ。
「まあ、この花は甘い香りがいたしますのね!」
聞き慣れた声がした。
本棚の向こう。
リリアーナが図鑑を開いている。
その隣にはアシュレイ。
さらに向かいにはアイリス。
三人とも楽しそうだった。
「リリアーナ様。」
私が声をかけると、
ぱっと花が咲くように振り返る。
「殿下!」
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥が少しだけ軽くなった。
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
「こちらをご覧くださいませ!」
嬉しそうに本を差し出してくる。
「この花は、お砂糖のような香りがするそうですわ!」
「そうですか。」
「お菓子に使えるかもしれませんわ!」
「……なるほど。」
その横でアシュレイが小さく笑った。
「リリアーナ様は、本当に面白い方ですね。」
「そうでしょう?」
私は自然に答えていた。
「予測ができません。」
「ええ。」
「ですが。」
私はリリアーナを見る。
夢中で図鑑を読んでいる。
アイリスと楽しそうに笑っている。
「退屈しません。」
アシュレイは少しだけ目を細めた。
「なるほど。」
「殿下は、かなり重症ですね。」
「何がです。」
「いえ。」
「独り言です。」
その日の帰り道。
セドリックが静かに歩いていた。
「殿下。」
「何でしょう。」
「一つだけ申し上げてもよろしいでしょうか。」
「許可します。」
「リリアーナ様は、本日、副会長様から研究室への招待を受けておりました。」
私は足を止めた。
「断りましたか。」
「いいえ。」
「返事は保留だそうです。」
「…………。」
少し考える。
本当に少しだけ。
「セドリック。」
「はい。」
「生徒会研究室へは、私も顔を出すことにします。」
「殿下。」
「何でしょう。」
「それは視察でしょうか。」
「もちろんです。」
「婚約者の安全確認です。」
「左様でございますか。」
セドリックは心の中で空を見上げた。
(殿下。)
(それは安全確認ではございません。)
(立派な牽制でございます。)
その頃。
当のリリアーナは、公爵家の自室で『破滅回避計画書』を開いていた。
『攻略対象が一人増えました!』
『ヒロインのお相手候補が増えて順調ですわ!』
『殿下も仲良くしてくださいました!』
満足そうに頷く。
もちろん、その計画書の一ページ一ページが、王太子レオニス・グランディアの独占欲を、少しずつ大きく育てていることなど本人だけは、まだ何も知らなかった。




