第72話 腫れ物お嬢様がはにかむ時
梓乃李が持ち出してきた動画は、覚えのあるものだった。
というより、映っているのは他ならぬ俺と、とある男だった。
『前に言わなかったか? 喜嶋葵子から離れろって。アレは別にあの場限りの言葉じゃないんだぞ?』
『……はっ、ハハッ! たかが、ちょっとオレの事を知ってるからって、そんな大口叩いていいのかよ? 爺さんに言えば、お前なんかいつでも』
『消せるって? まぁ確かにそうかもな』
『だろ?』
『でも相手が俺じゃなかったら? 例えば——その爺さんの期待の孫息子の見合い相手が口を挟んできたら。優先されるのはどっちの主張だろうな』
球技大会での一幕だ。
俺がトイレに行った際に茶桐に絡まれ、そこで破談になった交渉の一部始終。
それが丸ごと記録されていた。
盗撮のような画角だが、しっかり茶桐本人の問題発言が顔と共に残っている。
たった今俺が、待ちに待っていた切り札そのものだった。
いつものように「うふふ」とニヤニヤ笑っている雪海を見て、俺は気づく。
この女、最初からこの動画の存在を知っていたのだ。
作戦会議の日に、やけに梓乃李をこの場に連れて行く事に賛同していたが、それはこれを事前に把握していたからだったのだろう。
梓乃李も『君も私が居た方が助かるはずだよ?』とはよく言ったものだ。
まさかこんな仕込みをしていたとは……。
流石にこの場でもう一つ弱みを握られていると知って、交渉が出来るはずもなく、雄三は表情から完全に余裕をなくした。
「私に婚約の意思はないと、前回もお伝えしたはずです。それに、本来茶桐叶矢の殺害自体は公表されるべき事実です。それを伏せておくと言っているのにも関わらず、陰から無理やり揉み消しているだけの貴方が、これ以上私達の条件に見返りを求めるのは、流石に筋が通らないのでは? ——それとも、本当に全てを失いたいのですか?」
「……」
雪海からのトドメのような言葉に、佐山雄三は諦めて笑った。
これは最後の通告だ。
これ以上は七ヶ条家も看過できないという、敵対の意思表示である。
と、雪海はそこでふと微笑み、俺達に視線を向けてきた。
雄三もそれに頷き、口を開く。
「——少し、雪海さんと二人きりで話をさせてはもらえないだろうか」
言われ、一瞬俺は悩んだ。
この状況でこの男と雪海を一緒にさせて大丈夫なのかと、心配になったからだ。
しかし、そんな俺に気付いて雪海は笑う。
「そうですね。もう夜も更ける頃合いです。三人はうちの家の者に送らせましょう」
「……大丈夫なんですか?」
「えぇ、もう今更何もないわ。そもそも私の身に何か起きたら、今回どころではない騒ぎに発展して本当の意味で全てが壊れますし」
「まぁ確かに」
雪海がそこまで言うなら大丈夫なのだろう。
俺達はそうして、店を出るのだった。
◇
「面倒なものだ、愚か者の血が混じるからこうなる」
一人その場に残った雪海にとって、雄三の言葉が自身の妹と茶桐洋太の駆け落ちを指している事はわかった。
しかし、もう雪海には関係のない話だ。
「条件は全て飲んでいただけるのですね?」
「あぁ。あそこまで脅されては敵わんからな。どのみち、最初に証拠を突き付けられた時点で俺が出来る事など何もなかった」
「ふふ、その割には最後まで、響太さんを交渉で言いくるめようとされていましたけれど」
「はははっ、アイツはダメだな。少し食い下がっただけで随分と悩んでいたぞ。それに、いくら自分たちに分があるからと言って、あそこまで強気に脅してくるのは悪手だろう。……自分の身をもう少し案じるべきだ」
「ッ!? ——しかし、どうでしょうか。恐らく……いえ、なんでも」
雪海は今回、響太から何をするのか全て聞かされていた。
桜花の炎上のヘイトを、茶桐のニュースで少しでも分散させたいと。
だからその件についても交渉したいと。
その流れも全て聞いていたし、優位性があると思ったから頷いた。
それに、その前に梓乃李から例の動画を見せられていたこともある。
あれは、茶桐の死が発覚した日の、響太が気絶していた時だった。
倒れる彼の元に当然やって来た梓乃李だが、その際彼女から動画の存在を知らされていたのだ。
『実はあの、この前こんな動画が撮れちゃったんですけど、これって……』
『……貴女、ストーキングに盗撮までは流石に洒落にならないのでは?』
『ち、違いますよ! ただたまたま見かけて、茂みの方に茶桐君と入って行ったから、襲われてたらどうしようと思って撮っただけで』
『にしても、この動画は使い道がありそうですね』
『……?』
その時から雪海の頭の中では全てのシミュレートが済んでいた。
勝利の確信もあった。
だがしかし、今日の響太を見て少し認識を改めた。
まだ自分が見落としている伏線が張られているのではないかと、なんとなく雪海は気づいてしまったのだ。
彼に対して愚かだと思う事もあるが、かと言って無意味に相手を刺激するほど無鉄砲だとも思えない。
とは言え、雪海の中でも現状ではあくまで疑念程度でしかないし、当然佐山雄三も首を傾げていた。
「今回の件に関してですが、七ヶ条家としても表沙汰にするメリットはありません」
「それはそうだろう。我々にとってあなた達が必要なように、あなた達から見ても佐山という名前と繋がりを持っておくことは有用だろう」
雄三は煙草に火をつけ、不敵に笑う。
「それにしても、あなたが友人を連れてくるとは。雰囲気もこの数カ月でずっと変わられたようだ」
「……恐れ入ります」
自分でも気づいている。
全ては、あの男のせいだ。
雪海のこれまでの生活を良くも悪くも変えてしまい、自分の信念を捻じ曲げさせようと説教臭いセリフをぶつけてくる、生意気な後輩男子の存在が元凶である。
だけど、その変化を雪海が不快に思う事はなかった。
むしろ、自然と笑みがこぼれてくる。
「縁談の件、本気で破談にするのか?」
「それはもう実家とも話をつけた事です。直に正式な報告をさせていただくことになるかと」
「……やはり、そうなるか。こちらとしては、それは面白くないな」
雪海も今回の縁談を断るのは容易ではなかった。
七ヶ条家にとって、この両家の繋がりは当然重要なものだった。
それを雪海という一人の少女のわがままでゴリ推すのは、流石に無謀だ。
だが、やり遂げた。
元より兄妹の中では人一倍溺愛されていたこともあり、聞く耳は持ってもらえたというのが大きいところで、両親に直談判した後、佐山家との関係自体は自分が率先して取り持つという事を条件に、何とか取り付けたのである。
と、そこで雄三は大きく煙を吐いた後、凍るような視線を向けてきた。
「それはそうと、茶桐洋太の事だが」
「ッ!」
七ヶ条が裏で買収して寝返らせたクズ男の話になり、雪海の顔は強張る。
「この際、あなたの家が彼を手中に収める際に取った行動には言及しない」
「……というと?」
「こういう事にしないか? 我々はもう縁談もなくなるわけで、お互いに干渉し合う必要もなくなるわけだ。だからこそ、茶桐洋太という人間を通した情報のやり取りは、両家共にもうメリットがない。裏切られたこちら側からすればアイツなんぞ、もはや死んでいてくれた方がマシだ」
「……」
「だから、アイツの身柄はそちらに譲る。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
それは人質交渉だった。
佐山家にとっては死んでもいい人材。
だがしかし、七ヶ条家にとっては佐山家の親族という位置付けにあたるわけで。
それを無暗に消せば、流石に角が立つ。
というわけで、七ヶ条家も手は出せないわけだ。
彼が生きている限り、両家の繋がりは維持され続ける。
縁談が破談になった今、パイプを強固にしたい両家にとっては、これ以上ない橋渡し役として機能するようになっていた。
「はぁ……。君ほどの美貌を誇る才女は、家柄など関係なく息子の花嫁として迎え入れたかったところだが」
「恐縮です。……ですけれど」
雪海はそこで、すっかり寂しくなった隣を見る。
先程までその場にいた姿を想い、柔らかな笑みを浮かべた。
そんな、つい先月までなら誰にも見せる事すらなかった表情のまま、言い放つ。
「申し訳ございません。好きな人が、できたのです」
あの男は鋭くて大人びていて策略家だ。
だけれど、抜けているところも多く、危なっかしい。
誰かが支えてあげなければ、いつどこで壊れてしまってもおかしくない。
そしてそれは、つい先日、彼の本当の弱みに触れる事で確信に変わった。
あの日、保健室で崩れていく彼の仮面を目の当たりにしたから。
自分だけが知っている彼の弱みに、雪海は微笑む。
そう、あの幼馴染すら知らない彼の本性に触れて。
——私が、彼の隣に居てあげたいと、そう思うのはいけない事なのかしら。
最近、どんどん俗になっていく自身の感性に、呆れてしまう。
だけど、そんな自分が、なんだかこれまで以上に愛おしくも思える。
雄三は初めて見る、十代らしいはにかんだ笑顔を浮かべた雪海に、苦笑するのであった。
―◇―
【七ヶ条雪海】
暁斗への好感度:30%(→)
響太への好感度:100%(♡)




