第66話 転生モブが頑なに交際を拒絶する理由
—◇—
そこは暗い部屋だった。
いや、違うな。
実際に暗いのか、俺の心情的にそう見えているのかは定かではない。
その程度のリアリティの空間だ。
目の前には棺がある。
真っ白で、綺麗な箱だ。
覗くと、中には当然だが人が横たわって眠っていた。
まだ若い女性で、年齢にして10代後半と言ったところか。
顔にはモザイクのようなものがかかっており、上手く認識できない。
だがしかし、穏やかな表情である事は何となく察する事が出来た。
不思議なものだ。
いつもはぷんすか怒ってばかりで、嫉妬深く、感情剥き出しだったのに。
もう起きてくることもないなんて。
——死んでいるのだから、当然なのだが。
この女の死因は自殺の類ではない。
病気だった。
発覚した時点で末期だったそうだ。
余命を宣告されてそのまま、わずか半年で逝ってしまったらしい。
眺めていて、次第に頬に熱い何かが伝った。
ぬるっとした感触が、空気に曝されて冷たさを帯びる。
「……俺も、死ぬわ」
彼女がいない世界なんて、もう要らない。
……なんて、臭いセリフが出せるくらい向き合えていたなら、俺はこんな結論には至らなかっただろう。
これから自分だけ一人でのうのうと生きていくことに、耐えられないだけだ。
彼女が耐えて戦っていた時間、何も知らずに俺は一人で遊んでいただなんて。
そんな自分に嫌気が差して、逃げたいだけ。
この先、どんな顔をして生きていけばいいのかわからない。
だからもう、これで終わりにしよう。
目標も悔いもない薄い人生だったため、あっさりとそう決断できた。
そこからの事は、あまり覚えていない。
気づけば場所は自室に変わっていて、俺はたった一年半だけ暮らした大学の激安アパートに居た。
わざわざ自分で用意した縄を前にしつつ、踏み台に足をかける。
そして、ふっと笑みがこぼれた。
きっとアイツはブチギレるんだろう。
『馬鹿なんじゃないの? そんな理由で君も死ぬなんて、絶対許さないから』
『第一、君が死んで何になるの?』
『いっつも照れて誤魔化して曖昧に笑ってさ。結局一回も”好き”って言ってくれなかったよね。それも許してないけど、でも死ぬのはもっと許さないんだから』
今にも、さっきの亡骸からそんな言葉が聞こえてきそうだと思った。
でも、もう良いんだ。
俺は手早く縄を首にかけ、そのまま乗っていた踏み台を思い切り遠くに消し飛ばした。
これで楽になれる——そう思いながら。
しかし、現実はそう甘くない。
そう、現実は。
『ッ!?』
急激に締まる喉元に、すぐさま俺は悟った。
自分が大バカだったことを。
死なんてものが、救いなんてものとはかけ離れた事象だったことを。
——苦しい苦しい苦しい苦しいッ!!
今までの人生でも味わったことがない絶望に、ひたすらもがく。
足をばたつかせ、首の縄に指を引っ掛けて気道を確保しようとし、それが叶わなくて爪を立てた。
そして暴れた分だけ、当然さらに苦しさが強くなる。
おかしい。
想定ではすぐに首が外れて、意識も失うはずだったのに。
というか、実際にそうであったはずなのに。
まるで、俺があのたった一瞬で植え付けられたトラウマを、わざとらしく呼び起こすのが目的かのように、苦しさは続いた。
その中で、目を血走らせながら願う。
生き延びたい。
だけど早く楽になりたい。
死にたい。
でも死にたくない。
怖い。
絶対に、死にたくない。
死ぬのが怖い。
こんな経験、一度きりでもしたくない。
そうだ。
何が何でも、死んで堪るか——ッ!
俺は血に染まりゆく世界の中で、思うのだ。
そう、俺は。
俺——豊野響太は、強く願う。
もう二度と、こんな思いはしたくない。
馬鹿な俺が人生を賭けて得た教訓だ。
俺にとって、死は救いでも何でもなかった。
自ら進んで受け入れるなんて、もう御免だ。
むしろ次は真っ向から抗ってやる。
それが仮に、外部から強制される死であっても。
一度は自ら死んだ人間が、ふざけた話だと思う。
だけれども、だからこそ、だ。
俺は強い意思を持って今度こそ、二度目の自分に向き合うのだ。
薄れゆく——いや、覚醒しつつある意識の中で俺は今一度自覚する。
俺は、この世の何よりも死ぬのが怖いのだ——と。
そして何より。
俺に人と恋愛する権利なんて、ないのだ——とも。
—◇—
「うわぁぁぁぁぁぁあッ!?」
大声を上げて飛び起きる。
と、同時に、体の上にかかっていたのであろう布団が勢いよく吹き飛んだ。
放心状態のまま、そんな光景を見つめる事数分。
俺は次第に意識を取り戻し、辺りをきょろきょろ見渡す。
あれ、なんで俺、寝てるんだっけ。
ここは家ではないし、意味が分からない。
確かさっきまで……あれ。
ヤバい。
上手く思い出せない。
頭に残っているのは、豊野響太として生を受けてからずっと、見ないふりしてきた趣味の悪いトラウマだけだ。
と、混乱していると隣から声が聞こえてきた。
「おはようございます」
「え、あれ? 七ヶ条、先輩……?」
「目覚めてすぐにこんなにも綺麗な先輩の顔を拝めるなんて、貴方は果報者ですね」
「……」
ふざけた物言いの雪海に安堵した。
そして、徐々に俺は状況を思い出してくる。
そうだ。
確かさっきまで、トラブル続きだったのだ。
登校直後に茶桐の自殺を知らされ、その件で雪海に会いに行ったら、今度は桜花の炎上の件を知らされて。
その後色々あって、トイレで吐いて。
……で、そこから記憶が何もない。
「どこです? ここ」
「保健室よ」
「え? いつの間に?」
「物凄い物音が男子トイレから聞こえたから慌てて向かったら、ドアに挟まった状態の貴方が、白目を剥きながら泡を吹いて倒れていたのよ。担いでここまで連れてきて寝かせるのは骨が折れたわ」
「……すみません」
「でも最初は、ふざけているだけなのかと勘違いしそうになったのよ? 羽崎さんから、貴方がよく白目を剥いて遊んでいると聞いていたから、今回も変顔しているだけかと」
「おい」
危ない所だったらしい。
普段のふざけた生態のせいで、危うく放置されるところだった。
自分でも覚えていないが、仮に救助が遅れていたら洒落にならなかったかもしれない。
「今、何時ですか?」
「二限がもうすぐ終わるわね」
「……すげー寝てたんだ、俺」
朝礼前からと考えると、約二時間か。
という事は恐らく、俺がこうしている事は梓乃李も知っているのだろう。
まず初めに、俺はそんな事を思って憂鬱になった。
と、そこで雪海が優しげに言う。
「なんだか、いけない話をしてしまったのね」
「……別に」
言うまでもなく、俺の様子がおかしくなった直前の話題——要するに、俺が桜花と付き合うとかどうとか、そんな事について話していた件だろう。
雪海が謝る必要なんてどこにもない。
ただ、俺にとっては付き合うという言葉が、重過ぎただけだ。
それこそ、今世において無意識化で完全タブーにしていたくらいには。
黙る俺に、雪海は珍しく泣きそうな笑みを浮かべる。
そのまま俺の手の上に自身の手を重ねてきた。
「ずっと違和感はあったのよ。あんなに可愛い子達に言い寄られて、その度に顔を顰める貴方の様子に」
「……」
「最初は好みじゃないだけなのかもと思ったわ。だけれど、それにしては貴方の態度が入れ込み過ぎだとも感じていて」
「そうですかね」
言われても俺にはよくわからない。
「次に、同性愛者なのかもしれないと思ったわ。ほら、別におかしな事ではないじゃない? 今では性の在り方なんて人それぞれという価値観が、当たり前に認められるべきだという社会になりつつあって」
「……」
「だけれど、それも違うとすぐに思ったわ。貴方がたまに興味津々に胸を見てくるところとか、気付いていたから。だからやっぱり女体好きには違いない、と」
「急に何の話だよ」
「だけれど」
話が逸れかけたのでツッコむが、雪海はすぐに首を振った。
そのまま、悲し気に俺を見る。
「さっき、ようやく気付いたわ」
「何にですか?」
「簡単な話よ。貴方が恋愛をしないのは、そのままの意味で、単に交際というモノに強い嫌悪感があるから。そうでしょう?」
「……」
「要するに——貴方、恋愛に底知れない恐怖を抱いているのでしょう?」
「ッ!」
やはり、この先輩は流石だと思った。
そして俺はこの人に隠し事なんてできないのだ、とも。
俺は大きくため息を吐き、そのまま笑って、観念するのであった。




