第61話 クズ後輩との悪魔の交渉
ついに暁斗と右治谷に全てを話してしまった。
こうなると、もう後戻りはできない。
俺は今から、全てを賭けて茶桐の次なる暴行を阻止するのだ。
しかし、問題があるとすれば、それは梓乃李だ。
今状況を把握していないのは、もはやあいつだけになってしまった。
巻き込みたくないと言ってきたが、流石にそうも言ってられない。
というより、この状況であいつにだけ隠し事をする方が不誠実だろうし、梓乃李の性格的に、そっちの方が傷つきそうだ。
先程、季沙とすれ違った際、二人に話したことを伝えた。
彼女は苦笑しつつ、了承してくれた。
むしろ言うのが遅かったなどと言われたくらいだ。
しかし、気になるのはその後の言葉である。
『じゃ、うちもしのりんに、言わないとね』
あいつもずっと隠しているのが辛かったらしい。
とは言え、事情が事情なため、全てを隠したまま関係を続けるのも限界が見えてきた頃合いだ。
俺も腹を括ろう。
と、そんな間にも球技大会は進行していく。
「あんたのクラス、強いわね」
「ありがとうございます」
「なかなかやるじゃない」
体育館にて、俺は猫を被った擬態地味陰キャ女子に褒めそやされていた。
先程一試合目を終えたのだが、圧勝を飾った俺達。
部活生や経験者が出しゃばってこないこの手の大会だと、単に運動神経の良い男子が多い方が大体勝つため、俺や右治谷と言った面子が揃っているうちは、正直敵無しである。
もっとも、ボール遊びを楽しめるようなメンタルコンディションではないがな。
「にしても、ぼーっとしてるわね。白目剥いてたけど?」
「あぁ、よくあるバグなので放置しといてください」
話しかけられる前、脳が疲れ過ぎて呆けていたからそのせいだろう。
もはや梓乃李に指摘され過ぎて麻痺している。
と、そんな俺の隣で桜花は胸元をパタパタさせた。
「っていうか、ヤになっちゃうわ。汗かくし、髪邪魔だし」
「マスク外して前髪も切ればいいだろ」
「そしたらモデルやってるのバレるじゃない」
「じゃあ諦めな」
「……あんた、もう少し会話を楽しみなさいよ」
脊髄反射で返事していたら、気付けば桜花はムッとしていた。
あの日の外出以降、意図的に俺が避けていたこともあって、よく考えたら久々だ。
梓乃李の目が怖かったとは言え、確かに酷かったかもしれない。
俺は笑いながら、口を開く。
「そう言えば、あの日は遅くなって父親から怒られなかったのか?」
「……ちょっと小言は言われたわね」
「ほら、やっぱり朝帰りなんかしなくて正解だったじゃないか」
「パパが過保護なだけよ」
「いや、至って普通の反応かと」
渋い顔で言う桜花だが、俺はその父親が不憫でならない。
そりゃこんなに可愛い愛娘が遊び歩いていたら、心配するのも当然である。
と、そこで桜花は声のトーンを一段落とし、しみじみ呟く。
「あたし、今度の土曜日も撮影なのよね」
「忙しいな。また雑誌か?」
「うん。SNSにも載せる奴。……で、なんだけどさ」
「ん?」
気づけば至近距離に迫っていた桜花から、寄りかかられる。
少し暖かい空気と共に、濃度の高い柔軟剤の香りか何かが、俺の鼻に触れた。
そのまま、じんわりとした彼女の体温と柔らかさが伝わってくる。
「あんた、SNSで変な物とか見てないわよね?」
「……」
離れろと言おうとしたが、すぐにフリーズした。
桜花の言葉に、頭が真っ白になりかけたのだ。
コイツ……まさか。
俺は恐る恐る聞く。
「お前……もしかして、裏垢でアンチとレスバでもしてんのか?」
「ッ!? な、なんでそれ——じゃなくて! べ、別にそんな事してないわよ!」
「にしては反応がおかしいですよお嬢さん」
桜花の反応を見て、俺は確信した。
どうやらやはり炎上していないだけで、この世界線でもレスバ自体はしていたらしい。
となると、炎上イベントが起こるのも時間の問題なのだろうか。
ここ最近、茶桐の件に気を取られ過ぎていたが、本来なら今月は桜花のイベント処理に追われているはずだった。
どうしようか迷った挙句、俺はとりあえず忠告した。
「間違えて本アカで送らないようにしろよ」
「何よそれ。そもそも、最近はやってないし」
「あれ? そうなのか?」
しれっとレスバしている事は認めた桜花。
がしかし、彼女はそんな事どうでも良いように、花が咲いたような笑みを浮かべた。
「ん……っていうか、そっか。そうなのね。わかったわ!」
「は?」
会話が噛み合っていない気がして、困惑する俺。
しかし、桜花はチグハグなままなのに、何故か安堵したように笑った。
なんだろう。
怖いんだが。
俺はまた何か選択肢を間違えたのだろうか。
状況が何も掴めないんですが一体。
と、俺が困っているのを他所に、桜花は俺から離れて立ち上がる。
そして自慢げに言い放った。
「あたし、今から試合だから見ないでね」
「なんで?」
「下手だからに決まってんでしょ。恥ずかしいじゃない」
「別に運動苦手女子も可愛いと思うけど」
裏でクール系モデルをこなしているのを知っているからこそ、ギャップがあって良い気もする。
しかし、俺の言葉に桜花は顔を真っ赤にしながら睨みつけてきた。
「ど、どういう意味よッ!?」
「いや別に、言葉の通りだけど」
「か、かかか可愛いって、そんなわけな——ぶべっ!」
何かを言おうとした桜花は、コートから誤って飛んできたボールに顔面を直撃された。
マスクと前髪に隠された綺麗な顔が、物凄い勢いで歪む。
ドサっとその場に倒れ込む彼女を、俺はボールをコートに返しながら覗き込む。
「……だ、大丈夫か?」
「……それ、半笑いで言う事?」
幸先悪い美少女の蹲る姿に、心配になる俺。
だけど若干、面白さも相まって。
トラブル続きで疲弊していた俺の心は、相変わらずめちゃくちゃなヒロインによって、少しだけ回復するのであった。
◇
問題が起きたのはその後である。
試合間の休憩時間、様子見も兼ねてグラウンドに顔を出していた俺。
急な尿意でトイレに入ったのだが、その際に奴は現れた。
用を足そうと小便器前に立った瞬間、俺は背後の気配に動きを止める。
ブツを出す前に、ただ警戒して様子を窺った。
流石に前回不意打ちで刺された経験があるため、後ろに敵がいる時に無防備な姿をさらす気にはならなかった。
と、そいつは背後に突っ立ったままで何も話しかけてこないので、仕方なく振り向く。
そこにはやはり、茶桐叶矢が立っていた。
両脇には一年のサッカー部と思しき男子が二人。
そいつらは俺を確かに確認した後、何事もない様に用を足し始めた。
——リンチしようってつもりではないのか。
てっきり数の暴力でボコりに来たのかと思っていたのだが、拍子抜けである。
連中が用を終え、そのままトイレを出て行った。
見送った後、今度こそ俺も用を足そうとしようとして——また留まる。
どうやら、話はこれからのようだ。
一度出て行ったかと思えば、仲間と別れて一人で戻ってきた茶桐。
そいつは俺を見て首を傾げた。
「さっきから何やってんの?」
「お前が後ろから殴りかかってきたら困るから、我慢してるんだよ」
「いや、流石にしょんべんしてる奴を後ろからいかねーって。きたねーじゃん」
「……ならいいけど」
正直限界だったため、言葉に甘えて用を足す。
緊張感漂う中、俺は速やかに終えた。
こんなに一回の排泄に警戒が必要だったのは初めてだ。
手を洗っていると、茶桐は口を開く。
「なぁ、なんでお前、うちの事知ってんの?」
「……何の話だ?」
わかってはいたが、どうやら先日の俺の言葉に引っかかっていたらしい。
困惑した様子の茶桐は、心なしか普段よりしおらしい態度だ。
もっとも、敬語の使い方は知らないらしいが。
まぁでも、当然だな。
俺みたいなモブキャラが、社会的に完全に秘匿されたお家の極秘情報を何故知っているのか、そりゃ警戒もするだろう。
好き放題女を回して遊んでる馬鹿でも、その程度のリスク管理はできるようだ。
俺がどこまで知っているかわからないため、こいつも墓穴を掘るわけにはいかず、どこまで話せば良いかわからないと言ったところか。
言い淀んでいるところを見ると、そんな風に見受けられる。
安心した。
この反応を見るだけでも、この前の釘刺しがやはり有効だったと確信できたから。
「あれから、喜嶋葵子に手は出してないだろうな」
トイレから出た後、俺は尋ねる。
外用トイレから少し離れた、人が寄り付かない茂みのような場所だ。
茶桐は側頭部を掻きつつ、俺を睨む。
「お前に止められる筋合いねーんだけど? どの女狙おうが、オレの勝手っしょ?」
「正当に恋愛する気、ならな」
コイツが本気で葵子が好きだってんなら、止める理由にはならない。
だけど違う。
そして前科もある。
「でもお前はそういうんじゃないだろ。性欲を満たす為に合意なしで女にがっつくのは話が別だ。あと敬語使え」
弱みを握っている俺側が上から目線で物を言われるのもおかしな状況だ。
指摘すると、茶桐は鼻で笑った。
ビビりまくってこうして俺に声をかけてきた割に、立場と言うものが分かっていないらしい。
……と思ったが、違うか。
俺は微かに、茶桐の足が震えている事に気付いた。
まさかレクリエーションの球技ごときで膝が笑っているとも思えないし、なるほど、そういう事か。
コイツもそれなりに覚悟を決めて、精一杯虚勢を張っているらしい。
なんともまぁ、可哀想な奴だ。
俺がそんな事を思っていると、茶桐は言った。
「でもお前だって女侍らせてイキってんじゃん。付き合う気もねー奴と遊んでんのは一緒じゃね?」
「……」
それは全くもって、人聞きの悪い言いがかりである。
そして否定するのも簡単だ。
別に俺はそんな事願っちゃいないし、勝手にアイツらが寄って来るだけだと。
だが、俺は口が裂けてもそんなことは言えなかった。
何故か。
それはシンプルに、キモいからでしかない。
女が向こうからやって来て困ってるんですよ~とか、流石にキツい。
今日日、ラノベの主人公でもこんな事言ってたら冷める。
仮にそれが本心だとしても、俺はそんなやれやれ系主人公を気取った発言はできなかった。
オタクだからこそ、過剰にその類の発言は地雷なのだ。
あと多分、そんな事を口に出したら最後、俺は一生このクズ後輩から『勘違い激きしょオタク』として馬鹿にされるだろう。
これ以上コイツから舐められるのも、牽制の効力が弱まるだけだから避けたい。
さて、なんと言ったものか。
そんな風に考えていた時だった。
急に茶桐が腕を回してきて、反射的に払いのけようとしてしまう。
が、しかし。
「で、ここからが本題なんだけどさ、セーンパイ」
初めて俺に先輩などと言ってきた茶桐は、その顔を近づけて、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
そしてそのまま、続きを口にする。
曰く——。
「……そこまで言うなら、センパイも混ぜてやるよ」
「——は?」
予想外の言葉を聞いた瞬間。
いつでも手を払いのけて、組み伏せられるように警戒していた俺の体から、力が抜けた。




