第56話 非モテモブは過去を抉られる
夕食の場は、学生にはかなりお高めなお肉の店だった。
コース料理なんて、初めて食べたかもしれない。
味は勿論良かったが、どちらかと終始緊張している桜花の顔が面白かった。
そして、問題なのは会計だった。
一人当たり大体1万円弱だったのだが、流石にそれを奢らせるのは俺の良心が咎めたのである。
本人は『この前カラオケ奢らせたし』とか訳の分からない理由で払おうとしてくれていたが、金額の規模が違い過ぎる。
これだからガキが金を持つのはダメなのだ。
結局俺も自分の分は自分で払ったため、桜花は不満そうだった。
もっとも、そのやり取りを見ていた店員の女は『あれだけ揉めててお前が全部払うんじゃないんかい』みたいな顔をしていた。
アレは恐らく男が奢るのが当然と思っているタイプだな。
外はすっかり暗くなった午後21時過ぎ。
飲み屋街も近いため、辺りは賑わっている。
流石に夜は肌寒く、バッグから上着を取り出した。
桜花も気づけばジャケットを羽織っている。
にしても、こうして知らない夜の街を見るのは楽しいな。
少し、前世での事を思い出す。
大学生だったから、こうして夜に遊びに出る事も多かった。
何なら、そういうノリが楽しい真っ最中だったわけだし。
そんな事を考えていると、桜花が俺の進行経路に割り込んできた。
「ね、あんたさ。一応聞いておくけど、彼女とかその……そういう遊び相手とかいないわよね?」
「遊び相手?」
「だから! その……あるでしょ? か、体の関係というか」
「あるように見えるか?」
「いや全く」
「じゃあ何だったんだ今の失礼な質問は」
あっさり首を振られ、失笑が漏れる。
その通りではあるが、あまりにも引き際が潔過ぎる気がするのだが。
とか思って抗議の視線を向けると、桜花も頬を掻きながら気まずそうに言った。
「いやだって、モテそうには見えないし」
「おい、喧嘩売ってるなら買うぞ? 確かにいないけどさ」
結果、やはり失礼を上塗りしてくるだけであった。
夕方に好きじゃないと振られたのも納得な評価である。
そんな桜花を避けて歩き始めると、さらに彼女は横に付いてきながら続けた。
「で、でも羽崎さんは?」
「あー……いや、全然付き合ってないけど」
「ま、まぁあんたには高嶺の花だもんね。あ、あとはその、七ヶ条先輩とか。前にも一緒に勉強会してたとか言ってたし、仲良いんでしょ?」
「仲が良いというか、まぁ……うん」
聞かれて、自分でもよくわからなくなる。
あの人と俺って、今はどういう関係なんだろうか。
梓乃李は幼馴染だし、クラスメイトで、一応仲が良い友達なのも事実だ。
だけど、雪海は少し違う。
正直今の俺とあの人って、季沙の件を始めとした裏の暗躍パートナーって感じだしな。
雪海の復讐を止めた後は、俺が一方的に頼っているだけだがそれはさて置き。
どのみちどう考えても、気安く仲が良いと言えるような関係性ではない。
「七ヶ条先輩とは、なんか少し距離があるよ」
そんな事を思って否定したのだが。
その瞬間、俺の全身に一瞬怖気が走った——ッ!
まるで真後ろから刺されるかのような殺気に、俺は振り返る。
背後には……少し離れた位置の通行人しかいない。
おかしいな。
つい最近早瀬に刺された時と同じ感覚だったのだが、なんだったんだ。
——まさかあの人、この場を監視していたりしないよな?
一瞬そんな事を思うが、流石にないなと首を振る。
第一、俺を監視している人がいるとしても、それは七ヶ条の家の者であって雪海本人なわけがない。
だから、気のせいだ。
「急に周りをきょろきょろしてどうしたの?」
「いや、刺客がいないかと思って」
「何そのオタク特有のキモい妄想」
「お前もオタクだろうが」
やれやれと鼻で笑ってくる桜花に若干イラっとする。
普通の人間にとっては嘲笑対象だろうが、俺に限っては洒落にならん危険なのだ。
実際に一回刺されているし、みんな同じ経験をすればわかるはずなのに。
と、そんな風に気を抜いていた時だった。
桜花は流れで、笑いながら聞いてくる。
「じゃあさ、元カノとかは?」
「——」
聞かれ、俺は足を止めた。
というより、無意識に立ち止まってしまった。
急に体温が冷えてくる。
夜風が頬を撫で、こそばゆい。
自然と口角が下がってくるのが分かった。
「……いないよ」
「何よ今の間は」
「ただ単に、あまりにもモテな過ぎた半生を思い出して萎えただけだよ」
笑えるくらい何も浮いた話がない人生だったからな。
納得していない様子の桜花に、俺はため息を吐く。
「大体、そんな事は梓乃李に聞けばすぐにわかるぞ。アイツとは幼稚園から一緒で、俺がこの年まで誰からもモテてないのを一番知ってるから」
まぁ知っていると言っても、遠くにチラッと映る背景のモブくらいの認識だっただろうが。
そもそも幼馴染と言うのも若干微妙な距離感だし、アイツもこの前水族館で『漠然とモテてなかった事しか知らない』みたいなことを言っていた。
何にせよ要するに、この豊野響太の人生において、元カノだなんて大層なものは存在しないのだ。
しみじみ思い知らされて悲しい気分になった。
あまり過去を抉らないで欲しい。
彼女を作ろうと思った事すらないのは事実だが、他人に言われると少しだけ凹むのだ。
「っていうか、羽崎さんの事は名前呼びなんだ」
「まぁ、本人からそうしろと言われたもんで」
あれは強制だったからな。
俺に逃げ場なんてなかったと思う。
と、俺の返答を受けて桜花はつまらなさそうにムッとした後、そのまま口を開いた。
「じゃあ、あたしの事も名前で呼べって言ったら?」
「……変な勘違いされそうだから断る。アイツとは幼馴染だから誰もツッコんでこないけどさ」
「学校でじゃないわ。二人きりでいる時だけよ。そしたら勘違いされることもないじゃない」
これは、アレだろうか。
名字呼びだと距離を感じるって奴だろうか。
俺は別に名字呼びで打ち解けられている友達もいるし、よくわからない感覚だ。
でもまぁ、断るのも印象が悪いか。
「だからその、あたしも響太って呼ぶから」
「呼び捨てかよ」
「悪い?」
「好きにしてくれ」
何故か喧嘩腰な桜花に、俺は乾いた笑みを漏らすのだった。




