第45話 破滅ヒロインと急接近のモブ
スロープになっている細い通路の端。
俺が振り返ったのを避けようとして梓乃李は体勢を崩した。
そのまま倒れそうになっているので、反射的に抱き留める。
「……うっひゃぁ」
「なんだその声は」
到底、花の美少女高校生が出して良い音ではない。
可愛げはあるが、面白さが圧倒的に勝つような鳴き声に俺は思わず笑う。
と、彼女はむっと口を尖らせた。
「急に振り向かないでよ」
「いやいや、お前こそなんで付いて来てたんだよ」
「どこに行くのか気になったからだよ。ぶつぶつ言いながら直進してたし、いつものやつかーって。ほら、このまま壁に当たったら面白いからさ」
背後にはあと数歩先の位置に壁がある。
「お前は俺の目が見えてないとでも思ってんのか?」
「うん。いっつも白目剥いてるし」
「それは確かに。にしてもドラクエじゃないんだから、そんなゼロ距離で隊列崩さず付いて来ずとも良いのに」
「?」
この世界に某国民的RPGがあったのかは忘れたが、それはさて置き。
常日頃から黒目がなくなるバグに苛まれているのが仇となった。
そして、ずっと抱き合っているままなのは気まずくなってきた。
至近距離で見られると、流石に緊張する。
腕を引っ掴まれており、俺側から引き離すタイミングを見失ってしまった。
「おい、いつまでこうしてるんだ?」
「……ふふ、あはは」
「?」
「足、捻ったかも」
言われて足元を見ると、梓乃李は珍しくヒールを履いていた。
なるほど。
慣れない靴を履いている上に転びかけたら、そりゃ怪我するのも仕方ない。
困ったな。
「おぶろうか?」
「やだよ恥ずかしいし」
「じゃあお姫様抱っことか?」
「おんぶが無理って言ってる人に言う事じゃないよね? ……もう少し、もう少しだけここで休ませて。そしたらすぐに良くなるから」
「……このまま?」
勿論今も抱き合うような形のままである。
しかも場所が通路奥の暗がりという事もあり、はたから見たら所かまわずイチャついているバカップルにしか見えないだろう。
俺の問いに、梓乃李はニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「腕離して欲しいの?」
「まぁ勿論。世間体もありますし」
「あはは。でもやだよ。テンパってる君の顔、面白いからもう少し眺めてたいの」
「趣味悪いな」
「そもそも怪我させられたんだから、このくらいはいいじゃん」
「……そう言われると、まぁいいけどとしか言えないんデスケドネ」
毒が体に回っていくかのような感覚に陥る。
どれだけ突き放しても、こうして隙を見てしがみついてくる破滅ヒロイン。
距離が近いため、彼女の体温や匂いが脳にダイレクトに伝わってきた。
すぐに目を逸らそうとするが、それこそ俺がコイツを少なからず意識しているという証拠であって。
なんだか意地になって、逆に梓乃李の顔をガン見してしまった。
「……めっちゃ見るじゃん」
「嫌なら離れろ」
「睨めっこする?」
「しないし、どうせお前が俺の顔見て笑うだろうから不戦勝だ」
「人聞き悪いな。そこまで失礼じゃないよ私。……多分」
言いながら自信なさげに目を逸らすのがこの女である。
お互いの鼓動さえ聞こえそうな距離感で、そのまま見つめ合った。
そして。
「ねぇ、君ってさ」
「はい」
「キスって……した事ある?」
「……」
聞かれて、俺は黙る。
思い出すのは前世での記憶だった。
羽崎梓乃李という女は俺にとって、生前ではただのキャラクターに過ぎなかった。
それも、成人向けゲームのキャラクターである。
という事は、勿論そういうシチュエーションも数多く収録されていて、プレイヤーだった俺の記憶ファイルにも保存されているわけだ。
薄暗い場所で甘く囁かれ、それが呼び起こされてしまう。
控えめに言って、トップクラスの容姿を誇る梓乃李。
目立つような特徴があるわけではないが、それは逆に言うと、全ての要素が高水準で、どんな人から見ても評価されるという事で。
そんな彼女は、俺の幼少期からの顔馴染でもある。
そして現在、一方的に好意を寄せられている。
転生してからずっと、同年代の異性に興味を持つことはなかった。
いくらが体が幼いとはいえ、精神年齢は大学生相当なのだから当然だろう。
だがしかし、こうしてこの世界でも年を重ね、精神年齢に肉体が追い付いてくると、それなりに周りの子も魅力的に見えてくるもので。
様々な理由はあったとしても、何故自分がここまで梓乃李を拒絶しているのか、わからなくなってしまった。
別にいいんじゃないだろうか。
どのみち俺が梓乃李から好意を寄せられた時点で、原作通りの流れでコイツの破滅を防ぐ術はなくなったのだ。
それに、自分の手でコイツを幸せにすると誓ったのも事実。
もういっそ、俺が彼氏として身近でこの子を守った方が早い気もする。
それなのに、なんでだろう。
不思議だ。
キスしてと言わんばかりの美少女を目の前に、全く気が乗らない。
性欲はあるのに、『好き』という感情が一切溢れ出ない。
それさえあれば、すぐにでも応えられるのに……。
と、そんな事を考えている時だった。
『――さよなら』
突如、頭の中につい先日見た夢のセリフがフラッシュバックされ、俺は息を呑む。
「ッ!」
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
馬鹿か俺は。
目の前が真っ暗になりかけた。
目的を見誤ってはいけない。
俺がやらなくてはいけない事は、目の前のこの女を死なせない事。
そして何より――俺自身が破滅に巻き込まれるのを阻止する事だ。
それ以外は、どうでも良いじゃないか。
それに、だ。
自分に好意を寄せている子が目の前で死ぬところなんて、絶対に見たくない。
俺は目の前の幼馴染に、いつも通りのトーンで答えた。
「キスした事なんてあるわけないだろ」
「おお、急にスイッチ入った。随分と長考だったね」
「記憶を探ってたんだよ。ほら、どこかでしてたかもしれないだろ?」
「回数があやふやになるのはわかるけど、ゼロはどんなに考えてもゼロじゃない?」
コイツ、本当に俺に気があるのだろうか。
もう少し優しくしてくれても良いと思うんです。
「てっきり、また目がキマってたから、ショックで意識まで飛んだのかと思って焦ったよ」
「いや全く。というか俺に彼女すらいた事ないのは、お前が一番知ってるだろ」
「んー、どうだろ? よく考えたら幼馴染って言うほど君とは仲良くなかったし、漠然とモテてない事しか知らないんだけど」
またまた随分と失礼な事を言われているような気がするが、まぁいい。
俺達の関係なんて、所詮そのくらいである。
と、梓乃李はジト目を向けてきた。
「でも……七ヶ条先輩とかもいるし」
「はぁ? だからあの女とは別に何も――」
最近えらく雪海の事が気になるのか、梓乃李は頻繁に名を出す。
俺はそれに否定しようとして、思いとどまった。
そう言えば、雪海とも今微妙な関係にあるんだった。
彼女に復讐を辞めさせた日、何やら意味深な事も言われたし。
彼女が俺に好意を寄せているのは、確実だろう。
黙っていると、梓乃李は俺の目をじっと見据えながら一歩下がる。
「なんか、足の痛み引いたかも」
「え? あぁ。本当に悪かったよ」
「いいよ。君の怪我に比べたら些細なものだし」
「いや別に、こっちはもう傷も塞がってるから大丈夫だけど」
傷が浅かったおかげで、一瞬で治った左腕。
擦ったところで特にもう何も感じない。
痒いくらいだ。
「じゃあ行こ? 二人共どこ行ったのかな」
急に距離を取って冷静になる梓乃李。
そんな彼女に、俺は苦笑しつつ頷くのであった。




