オシゴト
静寂が訪れた。
羽沢が「はっ」と振り返り、篠原が「……え?」と目をパチクリさせる。
クラスのカーストの頂点に君臨する華やかなアイドルと、クラスの隅でひっそり暮らすおっとり系アイドル。
その二人が、よりによってこんな旧校舎の裏で、地味男子を挟んで対峙するという地獄絵図が完成した瞬間だった。
(終わった……)
俺は心の中で盛大に頭を抱えた。
これもう隠し通すのは無理だ。クラスの二大美少女が、よりによって「図書準備室」で鉢合わせるなんて、どんなバッドエンドの分岐ルートだよ。
「えっと……」
先に沈黙を破ったのは篠原だった。
彼女は両手に抱えていた漫画の束をぎゅっと抱きしめ、いつもの余裕のある笑顔を貼り付けようとしながら、しかし盛大に引きつった顔で羽沢を見つめる。
「羽沢さん、ですよね? どうしてここに……ってか、その手に持ってる本、もしかして……」
「……っ!」
羽沢の顔からスッと血の気が引く。
彼女は自分の手元にあるボロボロのラノベと、篠原の抱える漫画の束を交互に見つめ、それから俺へと視線を戻した。
おっとりした彼女の脳内で、凄まじい勢いでパズルが組み合わされていくのが目に見えてわかる。なんせ目がグルグルしているからな。
「――なるほど」
羽沢はスッと眼鏡の位置を直し、急に不気味なほど冷静なトーンになった。
「あなたが、この聖域で東白くんと密会を重ねていた『もう一人の侵入者』……学園のアイドルこと、篠原さんだったんだね」
「待って、その『侵入者』って言い方心外です! 私、毎週ちゃんと正規の手順で……いや、正規の手順ってなんでしたっけ!?」
篠原が珍しく素のトーンに戻り、真っ赤になりながら両手をブンブンと振って否定にかかる。
いつも学校で見せる、あの隙のない完璧なお嬢様スマイルは完全に崩壊していた。
「だってそうでしょう! 私がここでひっそりと精神の平穏を保っていたというのに、あなたも同じ穴の狢だったなんて……! 裏切りましたね、お互いに!」
「裏切るも何も、私たち別に友達じゃないじゃないですか! 」
「うっ……! つ、つい口が悪く…」
二人の美少女が旧校舎の薄暗い部屋で、なぜか「オタクとしての尊厳」を賭けてバチバチと火花を散らし始めている。
俺としては、今すぐこの場から消え去りたい気持ちでいっぱいだ。オタクの喧嘩は恐ろしいことを俺は知っている。
「あのさ、お前ら……」
俺が重い口を開こうとしたその時、羽沢はすっと目を細め、何かを思いついたようにピタリと動きを止めた。
そして、じっと篠原の顔を観察してから、ニヤリと(おっとり系にあるまじき)悪戯っぽい笑みを浮かべたのだ。
「ふふん……。いいよ。お互い、学校では絶対に知られたくない『重大な秘密』を握られている者同士。ここで潰し合っても何の得にもならないし!」
「うっ……たしかに。私がここで大声をあげたら、羽沢さんの『ガチのラノベ廃人』な一面が全校に知れ渡ることになってしまうかもです……」
「そうだよ! だから、私たちは血を分けた『共犯者』になるべきなの!」
「……は?」
俺と篠原が同時に間抜けな声を漏らす。
羽沢はくるりと華麗にターンし、俺の袖をギュッと掴みながら、キラキラと目を輝かせた。
「東白くん! 決定だよ!」
「なにがだ」
俺はさっきから怒涛の展開に脳みそが付いてきていない。
「今日からこの図書準備室は、私たち三人による『秘密の文芸同好会(仮)』に昇格するんだよ!」
(……な、何を言ってるんだ?こいつは)
なんだか頭がくらくらしてきた。
その横で、篠原翠は頭を抱えながら、深いため息をついていた。
「はあ……。まさか羽沢さんまでこっち側の人間だったなんて……。私の学校生活の平穏なブランドイメージが、音を立てて崩れていく音がする……」
こいつも何を言ってるんだ?平穏?キラキラ生活の間違いだろう?
真の陽キャは自分を陽キャだとすら思わず、陰キャや陽キャなど気にしないとは言うが、それと同じでキラキラ生活を当たり前に送っているやつには自分の生活がキラキラだとわからないのだろう。
「お互い様だよ、篠原さん。あなただって、さっきまで私のことを『ただのおっとりした地味な子』だと思って油断していたでしょう? 人間、見た目によらないのです」
バチバチと火花を散らしていた二人は、しかし「これ以上お互いの弱みを握り合っても泥沼になる」という冷徹な計算(あるいは保身)のもと、なぜか奇妙な休戦協定を結ぶに至った。
掃除用のパイプ椅子を三脚並べ、私たちは図書準備室の片隅で、早くも今後の「同好会活動」についての緊急会合を開くことになったのだ。
「で、だ」
俺は腕を組んで、二人を交互に見据えた。
「同好会を勝手に作るはいいが、俺は放課後を静かに平和に過ごしたいだけだぞ。そのためにも二人の表の学校生活に支障が出るような活動は一切禁止だからな」
「わかってるって、東白くん。私たちはあくまで、日々の厳しいスクールカーストから精神を保護するための『防衛組織』なんだから!」
まーた羽沢がよくわからないことを言っている。
羽沢は、胸元から自分のバイブルである分厚いラノベを取り出し、ふっと遠い目をした。
「……ちなみに、私の魂の原動力は、今期アニメ化も決まった『聖剣と傲慢アリスの錬金術』のヒロイン、アリア・フォン・ローゼンブルク様だよ。あの、主人公に冷たくあたりながらも、裏でこっそり特製のエリクサーを調合して枕元に置いておくツンデレの極み……! あの傲慢さと不器用な可愛さのギャップだけで、私、あと三年は白米が食べられちゃうね」
「アリア様ね……名前からして情報量が渋滞してるけど、まあお前が幸せなら何よりだ」
「なにその生暖かい目は! 篠原さんだって、自分の推しを布教して!」
羽沢に振られた篠原は、急に顔を真っ赤に染め、スッと目を泳がせた。
「っ……! な、なんで私がそんな話を……!」
「いいからいいから。共犯者の証拠として、あなたの『推し』の主を教えてもらうよ」
羽沢にしつこく迫られ、篠原は観念したように小さく息を吐いた。そして、ほんのりと耳たぶまで赤くしながら、ぼそっと呟いた。
「……少女漫画『キミに溺れてクラッシュ!』の、久世蓮、くん、ですけど……」
「ほう……? あの、全女子の母性本能とライフをゴリゴリに削り取っていく、超俺様系バスケ部キャプテンの久世くんですか」
明らかに人をからかう時の敬語を発動している。
「そ、そうよ! 何よそのニヤニヤした目は! 別に、あんなグイグイ来る不意打ち系男子に現実でキュンキュンさせられるわけないでしょ! でも、あの、ツンとした態度からの『お前以外、興味ねぇよ』みたいなセリフを夜中の布団の中で思い出すと、こう、胸が締め付けられて枕を殴りたくなるの! 文句ある!?」
見事に顔を真っ赤にしてキレ散らかす篠原の姿に、俺は思わず頭を抱えた。
学校ではあんなに高嶺の花を気取っているのに、推しの話になった途端にこの語彙力と羞恥心の暴走っぷり。「湿度が高くてちょっと情けない生態」が、この図書準備室には充満し始めている。




