8・生存戦略としての戦国
『孫をお助け頂き、ありがとうございます』
祖母は両のてのひらを重ね、鈴に一礼した。しばらく考え込んでから、透の肩を掴む。
『いいかい、透。このことは絶対、ばあちゃん以外の誰にも話したらいけないよ』
いつになく真剣な顔に透はごくりと息を呑み、頷いた。どうせ誰にも信じてもらえないだろうから、言われなくても吹聴して回る気などなかった。
『その鈴は八百様が授けて下さったものだ。これからは肌身離さず持っていなさい。でも、誰にも見せてはいけないよ』
祖母はお守り袋をこしらえ、鈴をしまってくれた。中学生くらいまではポケットに入れて持ち歩いていたが、今では鈴本体にチェーンを通して首から下げている。いつも服の下にしまっているし、万が一見られても、ちょっと変わったネックレスで済むだろう。
……今なら、祖母が『誰にも言ってはいけない』ときつく言い聞かせた理由がよくわかる。
誰にも信じてもらえないから、だけではない。
脳に致命的なダメージを負い、助かっても重度の後遺症は避けられないはずだった子どもが、奇跡的な回復を遂げ、病弱だった身体も嘘のように健康になったのだ。しかもその子どもは、八百比丘尼が最期を遂げた海食洞で倒れているところを発見されている。
八百比丘尼に助けてもらったのかもしれない、なんて打ち明けようものなら、自分もご利益にあずかりたい人間が殺到するに決まっている。透とて彼らに付きまとわれ、最悪拉致されて人体実験……なんて可能性もゼロとは言えない。
実際、透が入院していた病院には何度か週刊誌の記者が『奇跡の回復』の取材に訪れたそうだ。病院は守秘義務があるので応じなかったが、祖母や父のもとにも一時は執拗な取材の申し込みがあったらしい。すぐ他の重大事件に関心が移り、なくなったそうだけれど。
ゆらゆら、ゆらゆら。
何度揺らしても鈴は鳴らない。この十年間、一度も鳴らなかった。だから肌身離さず持ち歩いていてもバレずに済んだのだが。
九条要が現れたあの時……確かに鈴は鳴った。
「どういうことなんだ……?」
まさかあの要が、透を助けてくれたあの八百比丘尼の関係者とか?
(……いや、ありえないな、そんなことは)
要と透の恩人には、共通点が何一つない。透の恩人は今にも波の泡となって消えてしまいそうなはかなさがあったが、要は違う。
あの男をたとえるならブラックホールだ。光さえも脱出できない強烈な重力の嵐。消えるくらいなら大爆発を起こし、周囲を焼け野原にしそうだ。
だが、鈴は鳴った。
まるで何かを報せるように。
「……まさか、な」
ふいに浮かんだ考えを、透は苦笑して放り捨てた。
要もこの鈴の音を聞きつけて現れたのかもしれない、なんてありえない話だから。
翌日。
透は眠い目をこすりながら登校した。
昨夜はあれから寝落ちしてしまい、空腹で目が覚め、適当に食べてからまた寝たせいで、睡眠時間自体は長いのに寝た気がしない。だが今日から前期の講義が本格的に始まるのだ。初日からサボるわけにはいかない。
(今日は早めに帰って、ちゃんと晩飯を作ろう)
バランスの取れた食事は、健康で長生きするには必要不可欠だ。冷蔵庫の中身と最寄りのスーパーの特売品を照らし合わせつつ、六号館へ向かう。
六号館は定員三十人ほどの小教室が集まる棟だ。必修講義用の大教室もないので、普段は閑散としている。
だが今日はやけに人が多く、透は首をひねる。何か有名人の特別講義でもあっただろうか。万年金欠の大学に、そんな余裕があるとは思えないが。
その理由はすぐに判明した。
「……何で、お前がいるんだよ」
小さな教室のど真ん中に、要が座っていた。腕を組み、異様な威圧感を放つ彼を避け、学生たちは隅っこの席に散っている。
「この講義を取っているからに決まっているだろう」
要は悪びれもせずに言うが、この『生存戦略としての戦国』は正直なところ人気講義ではない。受講者はせいぜい二十人いればいい方だ。
もちろん一般教養なので、どの学部の学生でも受講はできる。だが昨日透の個人情報を丸裸にしようとした男が、たまたま同じマイナー講義を取っていたなんて、ちょっとできすぎている。
「さっさと出ろよ。もうすぐ講義が始まるんだから」
こいつはモグリだと判断して忠告すれば、要は無言でスマートフォンを透の前にかざした。表示されているのは大学のポータルサイトだ。講義の履修申請や受講講義の確認など、各種の手続きができるようになっている。
「……マジかよ」
表示された時間割にはしっかりと『生存戦略としての戦国』が記載されている。
大きな目をぱちぱちとしばたたく透に、要はにやりと笑った。




