11・囁き
藤堂高虎のケースは成功者の上澄みをさらに煮詰めたようなもので、ほとんどの者は歴史に名を刻むことなく消えていっただろう。成功者が稀有だったからこそ、あれだけ有名になったとも言える。
ほとんどは名もなき武士。透の祖先もその一人だ。ただ戦場で倒れなかったから、子孫が今でも生きている。
「最終的には幕府の旗本になってるから、どこかのタイミングで徳川方に仕えたんだろうけど、大元の出身と言われるとなあ……ああ、父さんは福井の出身だな」
あちこち思考を巡らせながら答えると、要はぴくりと眉を揺らした。
「父親が」
(まあ、もう実家はないんだけど)
祖母は一昨年階段から落ち、命は助かったものの介護が必要な身体になってしまった。そこで父親は祖母を介護施設に入れ、住人のいなくなった実家をさっさと売却してしまったのだ。
実家は買い手によって取り壊され、今はマンションの建設が進んでいるという。祖母も施設に入ってから認知症を発症し、だいぶ記憶があやふやになってきた。
透がかつて滞在したあの家は、もうない。
……八百様の記憶を語れる人も、もういない。
「お前は……」
要が何か言いかけた時、その胸元で電子音が鳴った。要は最初無視していたが、途切れてはまた鳴り始めるそれに根負けしたのか、胸ポケットからスマートフォンを取り出す。
「すぐに行く」
通話ボタンをタップするや、相手が何か言う前に短く告げ、反応も待たずに切ってしまう。
「また来る」
呆気に取られる透に言い置き、要はさっさと教室を出て行った。要目当ての学生たちも波が引くようにいなくなり、教室は静けさを取り戻す。
「……何だったんだ?」
「たぶん、マネージャーじゃない?」
ぱちぱちと目をしばたたく透に、千歳が教えてくれる。
「マネージャー? あいつ、そんなのいるんですか?」
「いるいる。九条くん、ご両親の芸能事務所でモデルやってて、専属のボディーガード兼マネージャーが付いてるんだって」
その芸能事務所も要の両親が要のためだけに設立した、というのも、マネージャーはともかくボディーガードが必要な立場というのも驚いたが、一番の驚きは。
「久我先輩、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「詳しいって、SNSで九条くんの名前を検索すればいくらでも情報出てくるもの」
ほら、と見せてくれた検索画面には、要のファンやら元同級生やらクライアントやらの投稿が溢れかえっていた。
中には要がイメージモデルを務めた高級時計メーカーのWebCMもあり、公開されたばかりにもかかわらず数百万回再生を叩き出している。スクロールしてもスクロールしても表示され続ける情報量に、透は圧倒される。
「へえ、あいつ、すごいんですねえ」
「……それだけ?」
「え? 他に何かあるんですか?」
心の底からの本音だったのに、ほうっ、と千歳は嘆息する。
「普通、九条くんみたいな人に懐かれたら慌てたり有頂天になったりするものだと思うんだけど、波座くんは相変わらずだね」
「懐かれた?」
あれは懐かれたというのだろうか。ただ絡まれているだけのような気がするが。
「……ねえ、本当に心当たりはないの?」
千歳が少し身を乗り出した。つややかな黒髪がさらりと肩口からこぼれ、流行りの香水でも整髪料でもないかぐわしい香りがほのかに漂う。
『……どうか……生き延びて……』
鈴の音と共に記憶へ刷り込まれた囁きが、耳の奥をかすめる。
「九条くんがあそこまでするなんて、きっと波座くんくらいだよ。何か懐かれる心当たりはないの?」
「……そう、言われても……」
昨日、寝落ちするまでさんざん記憶を探ったけれど、要と関わった覚えはなかったのだ。要は東京育ちだそうだが、透は大学入学と同時に上京するまでは福井の祖母のもとで暮らしていた。接点などあるわけがない。
(あれ? ならどうして『先祖は若狭国の出身か?』なんて……)
「何もないんだね?」
探るような声音が何かに似ていると思った。
何か……そうだ。
波の音。
幼い透を、優しく包んだ……。
「はい……何も、ありません……」
「九条要を昨日まで知らなかったのも本当?」
「はい……本当です……」
聞かれるがまま答えることに、何の疑問も持たなかった。彼女の疑問には何でも答えなければならないと、この時の透は信じきっていた。
その窓から飛び降りろと言われたら、実行したかもしれない。
でもその前に、千歳は手を伸ばした。
透の胸元へ。
「っ……」
ずきん、と頭に走った痛みが、透を不可思議な陶酔から引き戻した。胸元に伸びた千歳の手を、反射的にはらいのける。
ぱしん。
高い音が響いた。




