記憶のないディーン
レガート公子と護衛の騎士が部屋を出ていくと、コーデリアは目を伏せて、ソファーへと腰を下ろした。
膝の上で組まれた両手を握りしめて、小さく震わせている。
ジルラートには、それがまるで泣き出す前の子供のように見えて、胸が痛んだ。
「コーデリア様、大丈夫ですか?」
ジルラートはコーデリアの側に膝をつき、震える両手にそっと自身の手を重ねた。
瞼を上げたコーデリアが、ゆっくりとジルラートの姿を潤んだ紫紺の瞳に映し出す。
「ジル、ありがとう……覚悟はしてたけど、意外と堪えたわ」
口角を引き上げて作った笑顔が、痛々しい。
「……レガート公子は、本当にディーンファルト様の生まれ変わりなのでしょうか?」
「ええ。それは、間違いない。ディーンと初めて出会ったときと同じ容姿だし、魔力も一緒。
でも……彼にあんな他人を見るような視線を向けられて、思い知ったわ。やっぱり、覚えていないんだって。
それに、どうやら良くも思われていないみたい」
型通りの挨拶、初対面の者に向ける視線、頭痛がすると顰められた顔、素っ気なく作られた壁、挨拶は済んだとばかりの早々の退室。
どこをどう取っても、記憶にないどころか、嫌われてしまっているらしい。
だが、コーデリアは、ここに来るまでにいろいろな状況を想定し、覚悟も決めてきたではないか。
たとえディーンファルトの記憶が無くても、カイルディーンが本当に彼の生まれ変わりなら、もう一度恋を始められるよう努力してみよう。
それが叶わないのならば、せめて彼の幸せを祈って、その生き方を見守ろう、と。
「また恋をして、結婚しよう」彼とそう約束したのだから。
それに、ディーンファルトから与えられたたくさんの幸福の記憶に本当に感謝しているから、約束が果たされなくても、今生の彼の幸せを願って見届けたい。
「コーデリア様……どうか……」
ジルラートの気遣うような視線に、コーデリアは小さく首を横に振る。
こうやって、事情を知る彼に気持ちを吐露出来るだけで、コーデリアはだいぶ救われている。
今、独りじゃなくて、本当に良かった。
クラリッサもまた、温かく淹れ直したお茶を、コーデリアの前に置いてくれた。それを一口飲んで、少し気持ちも整理出来た気がする。
「ありがとう、二人とも。私は大丈夫よ。
ジル、それより貴方の方こそ良かったの? ここで私に半年も付いている必要はないのよ。貴方の部下でも充分……」
ジルラートはダリウスの側近であり、近衛騎士隊の隊長でもある。
いくらコーデリアの事情を知っているからといって、半年間も付き合わせるのは忍びない。
ここまで充分助けてもらった。コーデリアなら転移魔法を使って、彼を帝国に戻すことも出来る。
だが、顔色を変えたジルラートが、食い気味にそれを否定する。
「コーデリア様は、皇家の秘宝です。私共近衛からすれば、皇家の方々同様にお守りする大切なお方。陛下や皇后陛下にも、コーデリア様が必ず無事に帝国にお戻りになれますよう、御身お守りしろと厳命されております。
それに、この半年は、副隊長の成長にも良い機会でしょう」
つまりジルラートは、ここでコーデリアの護衛を続けてくれるということらしい。
「ダリウスもジルも過保護ね。ありがとう、心強いわ。今日はもう、部屋に戻って休むわね」
本当に、皆、優しくて過保護だ。
そのことにコーデリアの心も慰められて、癒されていく。
(大丈夫……明日はきっと、笑顔でカイルディーン様ともう一度会おう)
そう決めて、先程よりもずいぶんと落ち着いた気持ちで、コーデリアは立ち上がった。
ジルラートのエスコートで、王宮の客室棟に割り当てられた自室に辿り着く。
部屋の準備は整えられていた。
「ここでいいわ。また明日もよろしくね」
「はい。何かございましたら、いつでもお呼びください。クラリッサ、コーデリア様を頼む。それでは、失礼します」
そう言って、ジルラートは退室して行った。
表には彼が連れてきた三人の部下が、交替で立ってくれるらしい。
コーデリアも明日に備えて、今日は早目に休むことにした。
レガート公爵家のカイルディーンの寝室には、防音結界の魔道具が置かれている。ここ数年、カイルディーンは、就寝前にその魔道具を作動させてから休むのが常だった。
目の前に転がる死体。紅く噴き出した血が、やがて赤黒く固まっていく。
苦痛に歪んだ表情、恨みがましく睨みつけた眼、主人を庇い共に命を落とした忠義者の折り重なる死体……
親や兄弟と呼ばれていた者達を、この手で殺した。
血に濡れた手のぬるついた感覚が、生臭い血臭を伴って、追いかけてくるようで、私は背を向けて、そこから逃げ出す。
だが、どれだけ走っても、次から次へと湧いて出る屍達。
とうとう黒く淀んだ瘴気にあてられ、この身は竜に変化する。
地に縛られ飛び立てず、苦痛にのた打ち回り……だが、聞こえるのだ。
「愛してる、ディーン。待ってるわ」
その声だけが、自分を救い、縋るものであり、ただ一つの寄す処。
帰りたいのに、帰れない。
その絶望に打ち拉がれて、今日も目覚める。
帰りたい。ずっと、そう願っているのに。
今日も悲痛な絶叫をあげて、カイルディーンは飛び起きた。
毎晩ではない。だが、少なくない頻度で、悪夢に魘される。最初の頃には医師にも相談し、魔法や薬の力も借りて就寝したが、どれも効果はなかった。
しかも、その内容を詳しく思い出そうとすると、激しい頭痛に襲われるのだ。半年も経つと彼は諦めて、せめて家族や使用人に心配や迷惑をかけないようにと、防音の魔道具を使うようになったのだ。
カイルディーンは水差しに入れてある水を飲み、時計を見る。まだ真夜中だ。軽く頭を振って、もう一度横になる。眠れなくても、疲労は取って、明日に備えたかった。
治癒魔法の遣い手であるファリザート帝国の皇女に、今日のことを謝って、いい関係で研究を進めなければ。
治癒魔法の発展も、国王の命令も、公爵家の魔法使いである自分にしか出来ないことなのだから。
カイルディーンは、当サイトの代表作「異世界転生をした私がこの世界で幸せをつかむまで」の、ザルディア国王として別の世界へ転生していました。
そこで暴虐の限りを尽くして、主人公であるシルヴィアに元の世界に帰される王様です。
生まれ変わってコーデリアと再会するはずが、違う世界に転生させられて、それは怒りまくっていたのと、現実感を伴わなかった為の非道でした。
そこでのツケが、今彼の見る悪夢です。




