報われない恋心
少し長めですが、切りの良いところまでお付き合い下さい
カイルディーンから治療の日を決めたと言われた日、コーデリアはクラリッサとジルラートを呼んで、告げた。
「ジル、クラリッサ、そろそろ帰国の準備をお願いします」
「え? まだ半年には」
クラリッサが思わず返すが、コーデリアは首を横に振った。
「いいんですよ。もう」
約束の半年まであとひと月弱の猶予はあるし、王太子からは表彰式と夜会への招待も受けている。
それでもコーデリアは、カイルディーンの治療が終わる翌日には、王国を去ると決めていた。
クラリッサは彼女の想いを汲み取り、「かしこまりました」と頭を下げて、部屋を出て行った。
退去までは5日ほど。やらなければならないことは山程ある。
「コーデリア様、本当によろしいのですか?」
その場に残ったジルラートが、真っ直ぐにコーデリアを見て、尋ねた。
カイルディーンに何も伝えずに、帝国に帰って良いのか?と。
「ええ。カイルディーンにディーンファルトだった時の記憶はないわ。
それに、彼が生きてきたのは、ディーンファルトとしての人生だけじゃなかった。そして、それらの前世の記憶が、カイルを苦しめているの。私は、これ以上、彼が苦しむのを見たくはない」
コーデリアは、ジルラートの視線から逃げるように目を伏せる。
「でも、コーデリア様、貴女だって……私は、これ以上貴女が傷つくのは見たくありません」
カイルディーンに非がないことは、ジルラートだってわかっている。だが、コーデリアのカイルディーンに対する献身は、少しも報われていない。
彼女は、「ただ彼の役に立てたことが嬉しい」と言いそうだが、カイルディーンはそれに応えるどころか同僚の魔法使いの行動すら知ろうとせず、コーデリアを傷付けた。
そして、彼はディーンファルトの記憶すら手離そうとしている。
そのことが、ジルラートはどうしようもなく悔しかった。
「大丈夫よ、ジル。わかっていたの。ディーンと同じ魂、同じ魔力を持っていても、今を生きるカイルとは、違う人なのよね」
それなのに、コーデリアは笑うのだ。
諦めと喪失とどうしようもない哀しみを隠して、ジルラートにすら本心を見せないようにと。
「…………」
コーデリアと視線が合わないことがもどかしい。
傷ついていないはずがないのに、ジルラートにすら、それを見せてはくれない。
「でもね、彼にディーンの記憶は無くても、時々重なるの。多分、本質はあの人に似ているんだわ。
……ああ、駄目ね。彼にディーンファルトとしての記憶がないのなら、それはもう、私のディーンではないのよ。
この身に纏う、ディーンの魔力だけが、私をここまで連れてきた証」
「……コーデリア様は、どうされるおつもりですか?」
「カイルの前世までの記憶を消すわ。ディーンファルトとして生きていた彼も、その他の人物として生きていた彼も、全てを無くしてまっさらにする。
そうして、ディーンはもう、かつて妻だった私を思い出すことはないけれど、カイルが悪夢に悩まされることも、もう無くなるわ。
彼は、カイルディーンとしての生を全うできる。
だから私は、彼の今世での一生を遠くから見守って、それが終わったら、彼のかけたこの魔法を解いて、私も逝くわ」
どうして? とジルラートは悔しさのあまり自らの拳が白くなるほど握りしめた。
コーデリアを忘れたのは、ディーンファルトだ。彼女は何も悪くない。ただ、彼を信じて、永い時を生きてきただけなのに。どうして彼女だけが、こんな想いをしなければならないんだ?
「コーデリア様、私は……ならば、せめて、私をお側に。私は、ずっと貴女のことを、お慕いしてきました」
とうとうジルラートは、口にしてしまった。
コーデリアは独りじゃないと知ってほしくて。彼女がディーンファルトを想う気持ちには及ばないかも知れないが、それでも、彼女を愛する者が側にいることを知ってほしくて。
「……ありがとう、ジル。
ここまで、ずいぶんと長かったもの。あと、50年ちょっとの話だわ。私にとっては、そんなに長い時間じゃないのよ。
でも、貴方にとっての50年は、違うでしょう?
……あ、唇が傷ついてしまうわ」
コーデリアの細くて白い指がそっとジルラートの唇に伸ばされる。
ジルラートがその柔らかな感覚に、無意識に噛み締めていた唇を緩ませた。
思わず顔を上げると、思いの外、彼女の紫紺が近い。
「貴方は優しい子ね。私、たくさん、貴方のその気持ちに救われたわ。だから、貴方には、幸せになって欲しいんだけど……私の記憶を、その……貴方から、消すことも出来るわよ?」
敢えての子供扱いだ。そして更に提案された記憶操作に、ジルラートはカッと頭に血が上る。
「⁉ それだけは! どうか二度とそのような事は言わないで下さい! この想いは、それこそ、私がここまで生きていた証だ。これを無くしたら、私は私ではなくなってしまう」
コーデリア達の事情に巻き込まないようにと、ジルラートを逃がそうとしているのだろう。だけどそんなことを、ジルラートはこれっぽっちも望んでいないのだ。彼が望むのは、コーデリアの一番近くで、彼女の支えになること。
思わず、力を入れて握りしめたコーデリアの手首から、恐らく結界の反射条件が発動して、ジルラートの手が弾かれ血が滲んだ。
「ごめんなさい、ジル。酷いことを言いました。でも、わかって? 私もこの気持ちを簡単に捨てることは出来ないの」
ジルラートの手を、まるで自分が傷付いたように苦しげな表情で見て、コーデリアは彼の手を取りそっと包み込んで、治癒を施した。
その彼女の手を今度は優しく握り返してジルラートは、コーデリアに願う。
「知っています。そんなことは、知っているんです。それでも、どうか、お側にいることを許して下さい。貴女の心の慰めになり、少しでも私の側で貴女が笑ってくれるなら、私の想いは報われるのです」
「ジル……」
コーデリアの紫の瞳が寄る辺のない子供のように揺れる。
ジルはコーデリアの前に歩み寄り、そんな儚げな彼女をそっと抱き寄せた。
コーデリアは素直に彼の腕の中に囚われる。
まるで傷の舐め合いだ。
それでも、ジルラートの体温で包まれて、確かに感じる温もりと安らぎに、コーデリアは静かに涙を溢した。
そしてまたジルラートも、彼の腕の中で静かに泣くコーデリアを抱きしめながら、今彼女の一番近くに在れることに、至上の幸福を感じているのだった。
それから二人は暫くの間、互いの傷を癒すように、優しく体温を分け合った。
カイルディーンとの約束の日、人払いをしたカイルディーンの寝室にコーデリアはやって来た。
寝衣を着てベッドに横になったカイルディーンに、コーデリアは安心させるように微笑む。
「じゃあ、始めるわね」
「はい」
コーデリアは小声で詠唱しながら、いくつかの結界をカイルディーンの周囲に張り巡らせていく。
それが終わると、今度は彼の胸の上に、10を超えるの魔法陣を浮かべて、編み上げていった。
「さあ、眠って。次に目覚めた時には、貴方の悪夢は消えているわ」
その魔法構成をコーデリアの右手に繋げて維持しながら、彼女はカイルディーンに眠るように促した。
「コーデリア」
「はい?」
じっとコーデリアを見つめる瞳は、湖を思わせる蒼。それが彼女に、一瞬、時間を巻き戻したような錯覚を与えた。
「ありがとう。本当に、貴女には、感謝している。(この悪夢と頭痛が治まったら、コーデリアに好きだと伝えよう)」
そんなことを考えているカイルディーンのことなど全く予想すらせず、コーデリアはもう一度彼を促す。
「ふふっ……さあ、目を閉じて。始めるわよ、カイル」
「はい、お願いします……デリア……」
素直に眠りに落ちていくカイルディーンに、もうコーデリアの声は聞こえない。
「さようなら、ディーン。ずっと、愛していたわ、ありがとう。
カイル、束の間の貴方と過ごす時間が嬉しかった。どうかこの先は、幸福な一生を」
魂に刻まれた前世の記憶の忘却と、カイルディーンとしての人生に祝福を贈り、コーデリアは彼の額に口づけを一つ落として、その部屋を後にした。
廊下に出たコーデリアを待っていたのは、公爵夫人であり、カイルディーンの母親であるイリスだった。
彼女はコーデリアの姿を見ると、嬉しそうに微笑んだ。
「コーデリア様」
「イリス様、お元気そうですね」
彼女は体調を崩すこともなく、順調に回復しているようだった。
「コーデリア様のお陰ですわ。お時間がよろしければ、お茶でもいかがですか?」
「まあ、ありがとうございます、喜んで。ぜひ、ご一緒させて下さいませ」
イリスは涼しい風が吹き抜けるテラスへと、コーデリアを案内する。
そして、一通りの茶の準備が整うと、侍女たちを全て下がらせて、遮音結界を掛けた。
込み入った話になるのだろうかと、コーデリアはイリスが話し出すのを待つ。
「コーデリア様、私のこともですが、今回の流行り病のことも、そしてカイルのことも……本当にありがとうございました」
「いえ、私は……自分がしたいことをしただけなんです」
頭を下げたイリスに、コーデリアはやんわりと気にしないようにと伝える。
イリスはそれに小さく頷くと、カイルディーンの眠る部屋の方へと視線を向けて続けた。
「……ザイデルから聞いたのですけど、コーデリア様は、カイルに会いに来て、あの子の幸せを願ってくれていると」
「あら、レオンハルト殿下に申し上げた、ちょっとした冗談でしたのに」
コーデリアは笑って流そうとしたが、彼女に向けたイリスの視線が、思いの外真剣なもので、思わず口を噤んだ。
「……違いますよね? だって、コーデリア様は」
「ごめんなさい、イリス様。まるでご家族の仲を疑われているようで、不快でしたよね」
イリスを遮るように、コーデリアは謝罪の言葉を口にした。カイルディーンの容姿のせいで彼が不幸だったら……なんて、仲の良い家族である彼らに失礼だった。
「そうじゃありません。コーデリア様、私では貴女の力にはなれませんか? 私には、本当のことを話してはくれませんか?」
「本当のこと?」
だが、どうやらそのことではないらしい。ただ、イリスから本当のことと言われても、コーデリアには思い当たることがない。
よくわからずにコーデリアが戸惑っていると、イリスはコーデリアの右手に手を伸ばし、そっと握り込んだ。
「コーデリア様が纏っているその魔力に、カイルと同じモノを感じました」
「⁉」
思わず声を詰まらせて、目を瞠ったコーデリアに、イリスは納得したように頷いた。
「やはり。間違ってはいないようですね」
「イリス様は直接私の魔力に触れましたものね。気がついてしまいましたか」
コーデリアは苦笑して、それを認めた。イリスも元王宮の魔法使いだった女性だ。医療魔法でコーデリアの魔力を流し、彼女に直接触れる機会も多かった。ましてや、コーデリアが身に纏う魔力は、カイルディーンと同じものだ。
気がつくのは当然だった。
「理由を、お聞かせいただいても?」
「そうですね……でも、帝国の秘密に触れることにもなるので、制約魔法を受け入れていただくことになりますが。それに、とても長い話になりますわ」
「かまいません」
イリスは真っ直ぐにコーデリアを見て、彼女の出した条件を受け入れる。遮音結界も人払いも、コーデリアの魔力と魔法に関する話になるからとの配慮だったのだろう。
コーデリアは茶を一口飲むと、話し出す。
帝国の皇城に永らく棲む、魔女になったコーデリアのことを。
彼女の夫であった、ディーンファルトのことを。
そして、カイルディーンが持っていた前世の記憶のことを。
コーデリアが全てを話し終えたときには、既に陽が傾きかけていた。
「……コーデリア様、目覚めたカイルには会わずに、お帰りになるのですか?」
「ええ、彼の中に、もうディーンはいませんから」
イリスの問いに、コーデリアは儚く笑って頷いた。
彼女は少し怖いのだ。ディーンファルトの記憶が全て無くなった後、彼と同じ顔で、他人のように彼に距離を取られることが。
「コーデリア様は、カイルのことは、どう思っていらっしゃるのですか?」
「わかりません。ただ、彼には幸せになって欲しいと思います。これまで苦しんできた分、幸せに穏やかに生きて欲しい」
イリスに伝えることは出来ないけれど、コーデリアの中でカイルディーンとディーンファルトは違う人物のようでいて、等しく愛しい人だった。
コーデリアが年齢を重ねすぎたせいで、当時は彼女よりずっと大人びていたディーンファルトを追い越してしまった。彼女の中のディーンファルト像は変わらないけれど、今のカイルディーンを見ていると、きっと彼にもカイルディーンのような少年時代もあったのだろうと、微笑ましく思うこともあった。それに、二人の本質はあまり変わらないのだ。ただ、今生のカイルディーンとコーデリアの想いが重ならなかっただけ。
「では、コーデリア様の想いは、どうなってしまうのです?」
イリスの眼差しは、まっすぐ過ぎて、少し痛い。コーデリアは逃げるように目を伏せた。
「私の想いは、ディーンだけが知ればいいこと。
その彼がもう戻らないなら、私の想いも、そのうち消えていくでしょう」
目覚めればもう、ディーンとカイルは別の人物なのだから。
イリスはそんなコーデリアを暫く黙って見ていたが、やがて手を胸の前で組むと、コーデリアに祝福を贈る。
「コーデリア様、それでは私に、コーデリア様の幸せを祈らせて下さい。どうか、貴女のこの先の人生に、新たな幸せが訪れますように」
まるで花弁が舞うようなイリスの祝福が、コーデリアに降り注ぐ。
イリスはコーデリアを引き止められなかった。
彼女はもう決めてしまっている。
今のコーデリアに、カイルディーンの目覚めを待つ余裕はない。
彼女の二度目の喪失に向き合うのが、精一杯なのだ。だからイリスは、ただ彼女の幸せを願う。
「ありがとうございます、イリス様。カイルによろしくお伝え下さい。
私達は、明日、帝国に戻ります」
「ええ、どうぞ息災で」
「イリス様も」
話は終わり、立ち上がったコーデリアは綺麗な礼をして、踵を返す。
イリスもまた、返礼をしてコーデリアを見送った。
こちらを振り返ることなく去って行ったコーデリアの姿が視界から消えると、イリスはカイルディーンが眠る部屋へと向かう。
その寝台の周辺には、可視化された結界が幾重にも張られ、彼の眠りを妨げないようになっていた。
(カイル、あとはこの子次第……)
きっと、カイルディーンは前世の記憶が無くても、コーデリアを想っている。
それがどのくらいの重さを持つのか、イリスにはわからないけれど。
コーデリアを受け止められるくらいに、カイルディーンは成長できるかしら?と考えてしまう一方で、そうなって欲しいとも願ってしまう。
彼はきっと、コーデリアにもう一度出会う為に、再び生まれてきたのだから。
誰にも言うことはできないけれど、今日初めてコーデリアから明かされた真実に、イリスはどこか納得しながら、眠る息子に寄り添った。




