帝国の魔女の決心
そうして、翌日。
コーデリアとジルラートが魔法研究所に向かっていると、昨日カイルディーンを訪ねてきた女性が入口の手前に立っていた。
「皇女殿下」
丁寧な礼を取り顔を上げた女性が、コーデリアを呼び止める。
コーデリアは足を止めて、彼女に向き合った。
「貴女は?」
「私、フェリミナ・ドロレスと申します。ドロレス侯爵家の長女で、王宮魔法使いを務めております。今回、カイル様と魔法薬の生成に助力しました」
「そう。それはご活躍でしたね」
やはりカイルディーンの同僚の魔法使いだった。家柄も申し分ない王国貴族の令嬢だ。
その彼女が言葉を選びながら、コーデリアに問う。
「……あの、殿下は、カイル様とは、どういった?」
「どういう意味でしょう?」
フェリミナの曖昧な問い掛けに、何をどう答えれば良いのか、コーデリアは迷う。
すると、フェリミナは意を決したように、コーデリアと視線を合わせると、口を開いた。
「この度、ドロレス侯爵家より、カイル様との婚約を整えていただけるよう、レガート公爵家に申し込みさせていただきました」
「そうですか」
「私、カイル様をお支えしていきたいんです。殿下は間もなく帝国へ戻られるんですよね?」
「そうですね」
「……あの、カイル様を、惑わさないで下さい」
ああ……フェリミナは、コーデリアとカイルディーンの関係を誤解しているのだ。
だが彼女の言い方に、コーデリアは不快な引っ掛かりを感じて、思わず問い返してしまう。
「惑わす?ですか?」
「殿下は、帝国の貴族の間で、魔女と呼ばれていると……」
「確かに、そのようですね」
「ですから……その」
要するに、年齢も彼らよりずいぶんと上な帝国の魔女が、戯れでフェリミナの想い人に手を出すな、と言いたいのだろう。
どうやらコーデリアは、フェリミナにずいぶんと煙たがられているらしい。
まあ、立場を変えれば、彼女の気持ちも、わからないでもない。婚約を結ぼうとする相手に、親しげな女性がいるのは面白くないだろう。
コーデリアは内心ため息をつくと、感情を読ませない穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。彼は、人に惑われたりする方じゃないでしょう? 私達は、治癒魔法の研究者として共に学んでいるだけです。貴女が心配されるようなことは、何も」
「……そうですか。その、失礼しました」
フェリミナに何も問題になるようなことはないと答えたコーデリアに、これ以上は流石に礼を欠くと思ったのだろう。
もう一度丁寧な礼をして、フェリミナは去っていった。カイルディーンに想いを寄せる同年代の美しい侯爵令嬢。お似合いだと思う。
「コーデリア様?」
フェリミナの後ろ姿をぼんやり眺めていたコーデリアに、ジルラートが遠慮がちに声を掛けた。
彼を振り返ったコーデリアは、小さく肩を竦める。
「ふふっ……若いなあ」
「ずいぶんと失礼な女性だ。だいたいあの魔法薬は、コーデリア様の」
ジルラートが珍しく声を荒げたのを宥めるように、コーデリアは首を横に振った。
「いいのよ……カイルは18なのよね。一緒くらいかしら?」
「あれは、若いからと言って、許されることではない。王宮に出入りする者なら、もう少し弁えて欲しいですね」
「ジルは辛口ね。ああ、このことは、カイルには内緒にしてね」
「……かしこまりました」
コーデリアが人差し指を唇に当ててジルラートに強請ると、彼は渋々ながらも怒りをおさめた。
その後、コーデリアが研究所のカイルディーンの部屋を訪ねると、彼はいつもと変わらない様子で彼女を迎えた。
「コーデリア、昨日は失礼しました」
「いいえ、問題ありませんよ」
開口一番、昨日のことを謝ったカイルディーンに、コーデリアは笑顔で答えた。
そのことに安堵して、彼は続ける。
「それより、表彰式と夜会のこと、聞きました?」
「そういえば殿下が言ってましたっけ? カイルも表彰されるんですよね? おめでとうございます」
「いえ、私よりむしろ貴女の方こそ……」
「私は、表に出ては面倒な立場ですから。今回は、実務を遂行された皆様を労う式になるようですよ?」
「そんなこと!」
カイルディーンは、今コーデリアに聞くまで、彼女も表彰者の一人だと信じて疑っていなかった。自分に任せてくれた魔法薬のことも、レオンハルト達と進めた流行り病対策も、全てコーデリアの発案だ。
それなのに、彼女は表に出ないという。
その理不尽さに、カイルディーンは唇を噛みしめた。
そんな彼に、コーデリアは仕方なさそうに笑って、話題を変える。
「それよりも、カイル。表彰式に間に合うよう、貴方の治療をしましょうか。治療に必要なのは3日間程。都合の良い日をお知らせください」
「3日、ですか?」
思いの外時間がかかりそうだ、とカイルディーンはコーデリアに聞き返した。
「ええ、治療自体はそんなに時間はかかりません。ただ、しばらく眠ることになると思うので」
「……一体、どんな治療になるんでしょうか」
「前にカイルの話と症状を聞いたことがあったでしょう? 私、それから、仮説を立ててみたの」
「あの症状の仮説を? 本当に?」
「ええ……多分、治せると思う」
コーデリアを疑っているのではない。
単純に、興味があるのだ。
カイルディーンには、悪夢の治療など想像も出来ないようなことだったから。
「ぜひ聞かせてもらっても?」
「貴方にとっては、突拍子もない話かもしれないわ」
「構わない。私はコーデリアのことを信じているから」
コーデリアは、自分に出来ないことを決して出来ると言ったりしない。
だから、聞きたいのは、彼女が起こす奇跡のような魔法のことだ。彼女の魔法はいつだって、カイルディーンの興味を惹いて止まない。
そしてまたコーデリアは、彼の表情に浮かぶ寄せられた信頼に、嬉しそうに微笑む。こんな突拍子もない彼女の話でさえ、カイルディーンは前回のイリスのときと同様に、無条件にコーデリアを信じてくれるのだ。
「ありがとう。
……貴方の悪夢や頭痛は、魂に宿る前世の記憶。人は普通、一生を終えれば、その魂は浄化されてもちろん記憶も残らない。でも貴方の場合、本人の強い希望による魔法か、或いは何か条件が重なって、不完全にその記憶を持って今生を迎えてしまった。それが多分、貴方の悪夢と頭痛の原因。
だから、魂に宿る記憶を全て消せば、もう悪夢や頭痛に悩まされることはないわ。
私になら、それが出来ると思う」
「魂に宿る記憶?」
「ええ。本来、人にはそんなことは出来ないのだけれど、カイルの前世は、きっと特別な魔法使いだったのでしょう。
何度かの生まれ直しを経て、強烈な印象を伴う記憶が、残ってしまったのかもしれないわ」
「そんなことが……前世……私は一体、どんな生き方を……」
あの悪夢の内容がカイルディーンの前世だというなら、自分は前世で一体どれだけの罪を犯したのか、恐ろしくなる。
そんなカイルディーンの手を取って、コーデリアは彼の瞳を覗きこんだ。
「気にしないで、カイル。それは、貴方とは別人の記憶。貴方が気に病む必要はありません。ですから、私の魔法を受け入れてもらえれば、もう悪夢や頭痛に悩まされることも、妙な焦燥感も、感じることはないわ」
綺麗なアメジストの瞳が、カイルディーンを引き上げてくれる。
けれど……と、その瞳に僅かに浮かぶ哀しみのようなものを感じて、カイルディーンは不安になった。もしかしたら、その魔法は、彼女に何か悪い影響を及ぼすものではないか?と。
「……コーデリア、そんな魔法を使って、貴女に負担は?」
「私に?」
目を瞠って首を傾げたコーデリアに、カイルディーンは確認する。彼女に悪影響を及ぼしてまで、魔法を使って欲しくはない。
「ええ。かなり高度な、私には全く理解の及ばない魔法です。この魔法を使うことで、貴女の負担にはならない?」
「ないわよ。大丈夫。
むしろカイン、目覚めた時に、貴方の方に少し混乱があるかもしれないわ」
コーデリアは、カイルディーンの心配を払拭するように笑って答えた。どうやら、カイルディーンの考えすぎなようだ、と彼は自身を納得させる。
「それで、3日なんですね」
「ええ」
「わかりました。予定を見て、可能な日にちを連絡します。よろしくお願いします」
コーデリアの様子に、カイルディーンは予定を調整することにして、頭を下げた。
それにしても……だ。
いつもの悪夢が前世の記憶なら、私はずいぶんとひどい人生を送ってきたようだ、とカイルディーンは思う。
それに、コーデリアといると、時々湧き起こってくる、懐かしいとか愛しいとかいう記憶。
それは一体どういう理由なんだろう。
でも、どちらにしろ、コーデリアとの今後を考えるのなら、前世の記憶など不要なものだ。
悪夢を見なくなったら、コーデリアに伝えよう。
これからを共に生きて欲しい、だから自分のこの手を取ってくれないか?と。




