病の完治と花祭りの誘い
少し長めですが、お楽しみいただければ、と思います。
レガート公爵家の当主の妻であるイリスは、結婚前、淡い金髪に青い瞳の美貌の伯爵令嬢だった。
当時は、治癒魔法使いとして、王宮に出入りしていたらしい。軍の演習時などには、治癒魔法が使える為救護施設へ手伝いに行っていた縁で、現公爵と出会い結婚したのだという。
だが今寝台にいる彼女は、痩せ細って、支えがなければ起きていられないほど衰弱していた。
コーデリアは、イリスを寝台に寝かせると彼女の手を取りそっと握って優しく微笑む。そして、穏やかな声で彼女に挨拶と自己紹介をした。
「初めましてイリス様。私はカイルディーン様と共同で研究を行っております、コーデリアと申します。帝国の魔法使いで、病の治癒について、研究をしております。
この度は、イリス様の治療をさせていただきますね」
イリスが頷き、お願いしますと掠れた声で返すのを確認して、コーデリアの片手は彼女の手を握ったまま、もう一方の手をそっと痩せた身体に滑らせる。
「イリス様が飲んでいるお薬を拝見しても?」
コーデリアの前に並べられた薬を、彼女はほんの少しだけ舌に乗せ、目を伏せてその成分を解析した。
「イリス様、公爵、カイル。ご安心下さい。病は治します。でも、少々時間がかかります。
イリス様はだいぶん衰弱しているご様子ですので、急に治してしまうと、身体に負担がかかりますからね。
ひと月いただきます。
これから、5日に1度、今日のようにして私はここに通ってまいります。
その間、今までの薬物の投与はおやめください。私の魔法と効果が重なり、過剰投与になってしまいますから。
そして、後ほど療養食のメニューをお渡ししますから、そちらを出来るだけ召し上がっていただけるようお願いします。
では、今日の治療を始めますね。
身体が楽になって、起き上がった姿勢を維持できる程度、そして、消化の良いお食事が召し上がれる程度を目標にしますね」
そう言って、コーデリアはイリスの身体に手を当てて、魔法を使った。
温かく優しい魔法が、イリスの身体を癒していく。
「あの……殿下? これは、どういうことでしょう? 息が切れませんし、身体が軽くなったような?」
「はい。効いているようですね。果実水など飲めそうですか?」
「はい、あのりんごのジュースを」
イリスのハッキリとした声に、驚きの表情で立ち尽くしていたカイルディーンが、涙を堪えるように顔を顰める。
「はい。母上、すぐお持ちします」
と、慌てて部屋を出て行った。
そして、レガート公爵も、コーデリアの向かい側から、覆いかぶさるようにしてイリスをそっと抱擁する。立派な体格の彼が、最大限に気を遣って、優しく妻に手を伸ばす様子に、コーデリアは、この家族の為に魔法を使う事が出来て良かったと、満足気な笑みを浮かべた。
「コーデリア様」
ジルラートが傍らに立つ。
「ええ、あまり長居は出来ませんからね。
公爵、イリス様、また5日後に。メニューは後ほど届けますが、果実水やおかゆなどは召し上がっていただいて大丈夫ですよ。
では、今日は失礼致します」
コーデリアは立ち上がると、ジルラートの腕に手をかけ扉へと向かう。ちょうど戻って来たカイルディーンにも「また明日」と声をかけて、二人は公爵邸を後にした。
それからしばらくコーデリアは、カイルディーンを通してイリスの様子を聞き、適宜療養上の注意を与えながら、5日に1度、カイルディーンとの研究の合間に、忍んで公爵邸を訪ねイリスに魔法をかけた。
そして、7度目の今日。
イリスは自身の部屋で、落ち着いたドレスを纏い、化粧もして、姿勢良く腰掛けて、コーデリアを出迎えた。まだ痩せてはいるが、顔色は良い。
その様子を嬉しそうに眺めて、コーデリアは最後の魔法を使う。
「お疲れ様でした。イリス様、もう、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます、コーデリア様。こんなふうにまた普通の生活を送れるようになるなんて、どれ程感謝しても足りないくらいですわ。本当にどうもありがとうございました」
「よかったです。イリス様も良く頑張りましたね」
「頑張ろうという気持ちにさせてくれたのは、家族とコーデリア様のお陰です。本当に嬉しい」
「ありがとうございます。殿下、貴女は、彼女だけでなく、私や息子達も救ってくれました。イリスが臥せっていた時は、ただただ辛い日々でしたが、貴女はまた家族に笑顔を取り戻してくれたのです。
お礼はいくらでも。どうぞご希望をおっしゃって下さい」
コーデリアの両手を握って涙ぐむイリスと、その肩を抱いた公爵が、心からの感謝をコーデリアに伝える。
イリスの手を握り返しながら、コーデリアは公爵に視線を向けた。
「公爵、それに関しましては、我が国と相談の上お返事しても? 医療魔法の行使については、いろいろと制約が課されているので」
「そちらは、もちろん。しかし、今回のことで帝国から殿下にお咎めはありませんか?」
心配そうにコーデリアを見ながら、公爵は尋ねた。それに首を横に振って、彼女は微笑んで答える。
「大丈夫ですよ。私のことはお気になさらず。公爵家の皆様には、秘密を守っていただければ。
それに、カイルディーン公子と有意義な研究をさせていただいておりますので、それで充分です」
ジルラートと研究室に戻って来たコーデリアが、カイルディーンにイリスの治療が無事に終了したことを伝えると、彼は静かにコーデリアの前に跪き、頭を下げた。
「コーデリア、本当にありがとうございました。このひと月、貴女が使って下さった魔法と細やかなご配慮に心からの感謝を」
「カイル、立ってください。もう充分皆様からのお気持ちは受け取りましたから。
貴方が喜んでくれて、私も嬉しいです」
カイルディーンを立たせて、コーデリアは笑う。
本当に、大昔ディーンファルトにもらったものに比べれば、こんなことはほんの細やかな事なのだ。彼からもらったたくさんの幸せから、記憶は無いけれど今回カイルディーンに少しでも返すことが出来た。コーデリアの自己満足だけれども、それでも彼が喜んでくれるのが嬉しい。
「貴女は、本当に……」
カイルディーンは、目の前に立つコーデリアの美しく優しい笑顔を、ついじっと見つめてしまう。
本当に心から嬉しそうに、幸せそうに微笑む彼女が本当に綺麗で、思わず手が伸びてしまいそうになるのを必死で耐えた。
先程から、彼女の後ろに立つ護衛の騎士が、じっとカイルディーンを見ているからだ。
亜麻色の髪に翡翠の瞳、端整な顔立ちで一見細身に見えるがバランスの良い体格のその騎士は、兄いわく、帝国一と噂される魔法剣士だ。
コーデリアより5歳ほど年上に見える彼は、常に彼女に付き従い、その身を護っている。
カイルディーンに向ける視線は、まるで彼がコーデリアを傷つけないか、じっと観察しているようだった。
(私はずいぶん彼に警戒されているようだ……)
カイルディーンはコーデリアを心から尊敬している。
初日こそ、意図せず素っ気ない態度を取ってしまったが、翌日には謝罪して、それからはおそらく、カイルディーンにとって今のところ一番親しい女性とも言えるほどの距離感で、コーデリアと付き合っていると思う。
研究も順調で、医療魔法の基礎についても学び始めている。彼女の知識は本当に素晴らしいし、大きな恩も出来てしまった。今度は、カイルディーンが彼女の為に何かしたいとも思っている。
だけど、多分、この騎士は、初日のカイルディーンの態度を忘れていない。他人がコーデリアを髪の毛一筋程も傷つけることを許さないのだろう。
それが、なんとなく面白くなく感じてしまう。彼が、コーデリアに絶対的な信頼を向けられていることも、なんだか悔しい。
カイルディーンは、彼ほど大人でもなく、剣も使えず、あるのは人よりは多い魔力と魔法の知識だけだ。だからこそ、魔法使いとしての自分にもっと自信を持ちたい。
「私もいつか……医療魔法を使えるように、学び続けたいと思います」
「そうですか。カイルなら、きっと出来ますよ」
カイルディーンを見上げてそう言った彼女の期待に、いつか応えたい。
そうして、二人は研究室の机の前に揃って腰掛けた。
それを確認して、ジルラートも部屋を出て、扉を背にして護衛に立つ。じぐじぐと痛む胸のうちを、無表情の下に隠して。
「おはようございます、コーデリア。
昨日帰宅したら、母が本当に見違える程元気になっていて。
あの……父には、貴女へのお礼を断られてしまったと聞いてはいるのですが……これを」
翌朝、コーデリアが研究所にやってくると、カイルディーンが大きな花束を持って、彼女の前に立ち、それを差し出した。
「まあ、素敵なお花ですね」
白い花弁の先が薄い蒼色に染まる清廉な印象の薔薇を20本程束ねてある。それはまるで、目の前にいるカイルディーンのイメージそのもので……
「私が、以前開発した薔薇なんです。よろしければ、受け取っていただけないでしょうか?」
「⁉ 嬉しいです。ありがとうございます」
なんと、彼が自ら創った薔薇だった。
確かにこんな繊細な花弁の薔薇は初めて見る。控えめな香りも、まるでカイルディーンのようだった。
そして、コーデリアの意識は、勝手にディーンファルトとの違いを探してしまう。
彼はいつもピンク色の花を、コーデリアに贈ってくれた。「君に似合う花をと思うと、いつもこの色になってしまうんだ」と笑って。
コーデリアは彼の6歳も年下の恋人であり、やがて妻になったものの、彼にとってのイメージはいつまでも可愛らしい女の子だったのだろう。
今のコーデリアにピンク色の花は、きっともう似合わないだろうけど。
多分、彼が選んだこの花束の色合いに深い意味はない。
カイルディーンは、母親を助けた礼に、自分の開発した珍しい薔薇を、他意なく贈ってくれただけなのだろうから。
そんな物思いに耽っているコーデリアを、カイルディーンはしばらく見つめていたが、どうやら喜んでくれたらしいことに安堵して、席に着いた。
コーデリアも花束は置いて、いつものように並んで座る。
「それにしても、今回のことで、良くわかりました。
私は魔法以前に学ぶ事が、まだまだ多そうです。医療分野に関することは、魔法を極めるだけでは駄目だということが身に沁みました。
それでも知識を得ることにより魔法の可能性が広がっていくなら、私もいろいろな分野に興味を広げて、学ばなければなりませんね」
「ふふっ……カイルは、本当に魔法がお好きなんですね」
「あの……私が、まだ未熟なことはわかっているのですが」
「いえ。私の師も魔法がとても好きだったな、と、ちょっと思い出してしまって」
カイルディーンを見ているのに、どこか遠くを想うコーデリアの瞳に、彼は彼女の喪失を悟る。
「……過去形、なんですね」
「ええ。もうずいぶん前に、亡くなったので」
「そうでしたか……ところで、コーデリア」
彼女の声音に寂寥と哀悼が混じるのを感じ取り、カイルディーンは敢えて話題を変える。
彼の経験では、まだコーデリアのそれに寄り添える気がしなかった。
「はい」
ふっと雰囲気を変えたコーデリアにほっとして、カイルディーンは少しだけ緊張しながら、続ける。
「こちらにいらしてひと月を超えましたけど、あまりお出掛けにはなっていないご様子。ベルン王国は、その、好きになれませんか?」
「いえ!そんなことは。ただ、遊びに来ているわけではないので」
彼女の否定に少し勇気をもらって、カイルディーンは彼女の様子を見ながら、慎重に言葉を紡ぐ。
「でも、研究は順調……というより、私が一方的に教えてもらっていることが多いのですが、両国の関係改善を兼ねて、治癒魔法の分野の発展にお力添えをいただくのが、本来の目的ですよね?
関係改善の目的もあるのなら、我が国を知る為の観光も、仕事のうちでは?
来週、王都では花祭りがあるのです。よろしければ、ご案内しましょうか?」
「案内、していただけるのですか? カイルに?」
キョトンとした表情で、聞き返す彼女に、嫌だと思う気持ちは無さそうだ。
「よろしければ、ですけど。それとも、帝国の皆様とまわられた方が、気楽でしょうか?」
「いえ! ぜひご一緒してください。あの、嬉しい、です」
まるで少女のように瞳を輝かせて答えたコーデリアは、はにかむように笑った。
そのことに、カイルディーンは浮き立つように満たされる。
カイルディーンにとって、女性と初めて参加する花祭りがコーデリアという事実に、その日がとてつもなく待ち遠しくなった。




