Ep.74 双子誕生
春の気配が近付いてきた三月も半ば⸺⸺。
ヴィクトリアの隣で眠っていた真夜中、突如として彼女の苦しげな呻き声に私は目を覚ました。
「うっ……っ……!」
「ヴィクトリア!! どうした!?」
「……どうやら……産気、づいた……みたいで、すわっ……!」
腹を押さえ、痛みに耐える彼女の姿に、私は血の気が引くのを感じた。
予定日まであと一月ほどあるはず……早すぎる!!
私は狼狽えながら、大声で侍医を呼びつけた。
「どういうことだ!? まだ一月は先のはずだろう!?」
心配のあまり掴みかかる勢いの私を、侍医は冷静に一蹴した。
「双子は早産になりやすいのです。 陣痛が始まったのであれば、もう産むしかございません」
私は寝室から追い出され、廊下をうろうろと歩き回ることしか出来なかった。
扉の向こうからは、たまにヴィクトリアの呻き声が聞こえる。
だが、そこへ宰相と父上が現れた。
「ハインリヒ」
「父上……」
父上の顔を見た瞬間、強張っていた体が僅かに解けたが、相変わらず情けない顔をしていただろう。
「産まれるまでは時間がかかる。 ここでうろうろしていても邪魔になるだけだ。 お前の部屋で待つとしよう」
父上の言葉に無言で頷くと、私たちは私室へ移動した。
三人でソファに座っていても、私の焦燥が落ち着くことはなかった。
俯いたまま、組んでいる両手に力が入ってしまう。
既に陣痛が始まって数時間が経っており、窓から差し込む陽光が虚しく思えるほど、時間は残酷に過ぎていく。
昼を過ぎた頃、ようやく「そろそろ産まれそうだ」という報告が入り、私は弾かれたように寝室の前へ駆けつけた。
扉の向こうから聞こえる彼女の叫ぶ声に、胸を深く突き刺されたような痛みを覚える。
祈るような思いで立ち尽くしていたその時⸺⸺。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
か細くも、だが確かに元気な赤子の泣き声が漏れ聞こえた。
産まれた……。私の子が……。
熱いものが込み上げ、視界が滲んでいく。
だが、再びヴィクトリアの叫び声が響いた。
そうだ……まだもう一人いるのだ!!
「頑張れ……! ヴィクトリア……っ!!」
私は拳が白くなるほど強く握り締めていた。
程なくして、重なるようにもう一つの産声が響き、私の体から一気に力が抜けた。
今までぴったりと閉じられていた重厚な扉が開かれ、入室を許された。
「陛下、おめでとうございます。 王子殿下と王女殿下でございます」
王子と、王女。
医女の言葉に、周囲にいた者たちが祝福の言葉と共に深く頭を下げた。
私はそれらに短く労いの言葉を返し、ヴィクトリアの傍らへと駆け寄った。
ベッドで体を起こした彼女は、腕に赤子の片割れを抱きながら私を見て柔らかく微笑んだ。
長い陣痛の後で軽く整えられてはいたが、ミルクティーブロンドの髪はいつもより乱れ、疲労の色も滲んでいた。
だが、その姿は慈愛に満ちた聖母そのものに見えた。
「ハインリヒ様。 男の子と女の子でしたわ」
「やっぱり、いつも元気に動いていたのは、あなたのお兄様の方だったのかしら?」と、真っ白なおくるみに包まれた赤子に向かって話しかけている。
「ヴィクトリア……無事で良かった。 ありがとう……私に二人も授けてくれて……」
私はヴィクトリアの枕元に腰を下ろし、後ろからそっと抱き締めた。
首筋から香るいつもの花の香油と、微かな汗の匂い。
それすらも、彼女が戦い抜いた証のように思えて愛おしい。
「もうっ!! 汗をかいたのですから、嗅ぐのはお止めくださいませ!」
彼女は顔だけ振り返ってふくれっ面で不満を口にしたが、私はその首筋に深く顔を埋めた。
「ははっ! いい匂いだよ。 いつも通りだ」
「もうっ!! それよりも、名前は決めてくださいましたの?」
少し拗ねた声色に促され、私はおくるみの中を覗き込んだ。
彼女が抱いていたのは娘だった。
ブロンドの綿毛のようにふわふわな髪をそっと優しく撫でると、一瞬だけ瞼が開いた。
私とヴィクトリアの瞳を混ぜたような、温かな蜂蜜色。
「そうだな……。 ルチア、というのはどうだ?」
「ルチア……素敵ですわ。 いい名前をいただけて良かったわね」
静かにすやすやと眠る娘に嬉しそうに囁くと、額に一つ口づけを落とし、乳母に預けた。
次にもう一人⸺⸺ルチアと同じおくるみに包まれた息子がヴィクトリアの腕に戻された。
私はルチアと同じ綿毛のような髪をそっと撫でる。
息子の髪色は、ルチアと同じブロンドでもヴィクトリアの色に近いように見えた。
「お前はルシアンだ。 二人とも、レイヴンクレストの『光の象徴』だ」
「ルシアンとルチア……。 そうですわね、二人とも私の光ですわ」
彼女は愛おしむような微笑みを私に向けると、「そろそろ抱いてあげてくださいませ」と、私を促した。
初めて接する赤子……恐る恐る言われた通りに腕に抱くと、思ったよりもずっしりとした重さを感じた。
「……意外と、重いのだな……」
「ふふっ。 ルシアンは男の子ですもの」
ルシアンを抱く私の姿を微笑ましそうに見守るヴィクトリアの視線を受け、私は腕の中の我が子へ囁きかけた。
「……ルシアン。 お前は男だ。 だから母上とルチアを、しっかり守るのだぞ?」
教え諭すような私の声に反応したのか、ルシアンの瞼がゆっくりと持ち上がった。
その瞳が見えた瞬間、私の鼓動が、衝撃で強く跳ねた。
レイヴンクレストの王族……特に王子は、基本的に『琥珀色』の瞳を持って産まれる。
その理由は、誰にも分からない。
私も、父上も、叔父上も皆、『琥珀色』なのだ。
だが、先ほど見えたルシアンの瞳は⸺⸺鮮やかな『黄玉色』だった。
「……っ!!」
王族でなければ、引っかからなかっただろう。
私の体が強張ったことを察したのか、ヴィクトリアが不思議そうに私の顔を覗き込み、それからルシアンの顔を見た。
「まあ!! ルシアンは帝国皇族の色を継いだのですわね! 黄玉色の瞳は帝位継承権を持つ証ですもの! きっと、お父様もお喜びになりますわ!」
彼女の屈託のない笑顔、そして、その言葉……。
⸺⸺そうだ、ヴィクトリアは帝国の皇女なのだ。
母方の色を継ぐことも、あり得ない話ではない。
レイヴンクレストの血よりも、クロンヴァルトの血が勝っただけのこと……。
自分に言い聞かせるように、私は激しく打つ鼓動を鎮めようとした。
しかし、胸の奥へ落ちた一滴の黒い染みが、じわりじわりと広がっていくのを止めることは出来なかった。




