Ep.73 孤独な王
バンッ!
国王の執務室に、大きく乾いた衝撃音が響いた。
私は怒りに任せ、デスクを強く叩いたのだ。
「あやつら……!!」
最近、貴族院の会議では、一部の貴族家当主たちが、何かにつけて足を引っ張ってくる。
予算案、公共事業、軍備……。
国政の根幹に関わる議案に対し、彼らは否定的な意見をぶつけてくるだけではない。
こちらが妥協案を出しても、のらりくらりと躱し、決定を先延ばしにするのだ。
「大きな議案ではないかもしれない。 だが、一つ決定が遅れるだけでも、民の生活に影響が出るのだぞ……!それを理解しているのか!?」
私の怒声が響く中、侍従は息を潜め、デスクの前に立つアーサーだけは、静かなままだった。
「……会議を停滞させているのは、『側妃推進派』の者たちですね」
そう……腹立たしいことに、これは自分たちの要求が通らないことへの、子どもじみた意趣返しなのだ。
以前、セシリアに『帝国を敵に回すつもりか?』と突き付けられて以降、彼らは表立って『側妃』を推すことが出来なくなった。
だからこそ、今度は国政そのものを停滞させることで、こちらへ圧力を掛けようとしている。
国王として、国政を滞らせるわけにはいかない。
彼らもそれを理解しているからこそ、尤もらしい理屈を並べ立て、私が折れて彼らの娘を娶るまで続けるつもりなのだ。
「……国王を脅すなど、いい度胸だ……」
まだ二十歳そこそこの若造など、彼らから見れば、未だに尻に卵の殻をつけた『ひよっ子』に過ぎないのだろう。
……全く舐められたものだ。
お飾りで側妃に据えるという手がないわけではないが、たかだか伯爵位や子爵位の者たちに折れるなど、国王として出来るわけがない。
私はきっちりと整えられた前髪を、苛立ちと共にぐしゃりと掻き乱した。
その様子を冷めた瞳で見ていたアーサーが、深く、重い溜め息を吐いた。
「あの者たちの狙いは明白ですが、かと言って彼らの思い通りにするわけには参りません。 セシリアの言う通り、それは帝国を敵に回すことになりますから」
「そんなことは分かっている!!」
少しの動揺も見せず、淡々と正論を説くアーサーに、私は半ば八つ当たりのように怒鳴りつけた。
「でしたら、どうなさるおつもりで? このままでは政務が滞るばかりです」
感情の読めない、あのセシリアと同じ翡翠色の瞳が向けられ、私はそれから逃げるように俯いてしまう。
「……何か、考える。 ……下がってくれ」
掠れた声で告げると、頭上で扉が閉まる音が聞こえた。
独り取り残された執務室は、酷く寒々しかった。
夕闇が迫る中、私は庭園に移動した。
そろそろ、ヴィクトリアを夕食に迎えに行かなければならない時間だ。
……分かっている。
分かっているのに、どうしても足が動かない……。
今の情けない顔を、身重の彼女に見せたくなかった。
護衛騎士たちや侍従を少し離れた場所に控えさせ、私はだんだん暗くなる空を呆然と眺めていた。
「……陛下?」
不意に私を呼ぶ声が聞こえ、視線を向けると、そこにはスターリング伯爵令嬢が立っていた。
背後の騎士たちが警戒し、腰の剣へ手を掛ける気配が伝わってくる。
「スターリング伯爵令嬢、何故ここへ?」
私は彼らを手で制し、問いかけた。
すると彼女は、慌てたようにドレスを摘み、カーテシーをする。
「突然、お声をおかけして申し訳ございません」
顔を上げさせると、彼女は私の瞳をじっと見つめ、眉尻を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「……あの、陛下がお疲れのように見えて……つい」
そう言うと、彼女は気まずそうに俯いた。
その言葉に、私は自嘲気味に口端を上げる。
疲れて見えていたか……やはり、隠し切れていなかったか……。
「あの……父のせい、ですよね?」
俯いたまま、彼女が消え入りそうな声で問いかけてきた。
「……何故、そう思った?」
動揺を悟られないよう、努めて冷静に問い返す。
「父が……父たちが『側妃』を娶るように迫っていることは、聞き及んでおります……。王妃様がご懐妊中だというのに……お子が産まれれば、側妃を娶る必要などございませんのに……」
まさか、一令嬢が、自分の父親たちが国王を追い詰めていることに気付いているとは思わなかった。
「……そうだな。 確かに、それには困っているな」
心が疲弊しているせいだろうか。
大して親しくもない彼女に、思わず愚痴を零してしまう。
「申し訳ございません。 私の父が、陛下を苦しめてしまい……」
「いや、其方が謝ることではない。 気にするな。 私も余計なことを言った」
「いえ!! ……私でよろしければ、何でも仰ってください!」
深く一礼すると同時に謝罪してきた彼女にへそう返すと、彼女は胸の前で両手の拳を握りしめ、勢い良く言い放った。
その剣幕に思わず目を見開くと、彼女はハッとしたように肩を震わせ、目に見えて萎んでいく。
「……申し訳ございません。 差し出がましいことを申しました」
父親と違い、根は素直な娘なのだろう。
頑なに閉ざしていた胸の奥が、少しだけ軽くなるのを感じた。
「……いや。 では、また何かあった時にでも聞いてもらうことにしよう」
私の言葉に、彼女は呆然とした後、少し頬を赤らめながら「はい」と答えた。
少しだけ話していたつもりだったが、いつの間にか日は完全に沈んでいた。
辺りはすっかり暗くなっており、私は護衛騎士の一人に彼女を馬車まで送るよう命じ、今度こそ、ヴィクトリアの元へ向かって歩き出した。
暗い気持ちのまま、彼女の前には立ちたくなかった。
だからこそ、少しだけ気持ちが軽くなったことに安堵しながら、庭園を後にした。
陛下が背を向けて去って行く姿を、私はしばらく見つめていた。
「馬車までお送りいたします」
陛下に命じられた近衛騎士に声を掛けられ、私は淑女らしい微笑みを浮かべる。
騎士の後を歩きながら、私は気付かれないよう密かに口元を緩めた。
やはり予測した通り、庇護欲を刺激するだけでは足りなかったのだ。
クララが陛下に残した傷跡は、想像以上に深い。
陛下は、『守らなければならない存在』に対して、本能的に警戒心を抱いている。
そして、お父様たちに精神的に追い詰められている今、「守りたい」と思えるほどの精神的余裕もないのだろう。
ならば、今は『理解』を示すべきだ。
「貴方は頑張っている」
「貴方は間違っていない」
懐妊中の王妃を『守らなければならない』と気負っている陛下は、恐らく彼女の前で泣き言を吐けない。
必要なのは、取り繕う必要のない、自分の弱さを見せられる存在になればいい。
王妃には決してなれない⸺⸺その隙間に滑り込むのだ。
スターリング伯爵家の家紋が入った馬車の前まで辿り着くと、私は騎士へ笑顔でお礼を告げる。
馬車に乗り込み、王城の外門を抜けたことを確認すると、私は表情から先ほどまでの『善意』を消した。
ドアに肘を突き、流れていく景色を眺める。
全てが思惑通りに進みそうで、私は抑えきれない笑みを浮かべていた。




