Ep.72 姪からの『警告』
「旦那様、ブランシェ侯爵閣下の使いの者がお見えになっております」
それは他家を訪問するにはあまりに早い、登城前の朝の時間。
家令の言葉に、私は眉を顰めた。
「……通せ」
セシリア・ブランシェ女侯爵⸺⸺。
妹の娘であり、私にとっては交流の薄い姪だ。
「突然の訪問をお許しいただき、感謝申し上げます。 私はブランシェ侯爵に仕えておりますノインと申します。 ファルケンハイン侯爵閣下にお目にかかれましたこと、恐悦至極に存じます」
家令に連れられ執務室に現れたのは、仕立てのいい執事服に身を包んだ、黒髪に緋色の瞳を持つ男だった。
一切の感情を排した慇懃な挨拶と共に一礼した。
セシリアの専属執事を務めているこの男は、妹から「セシリアが孤児院から拾ってきた者」だと聞いたことがある。
「……前置きはいい。 用件を」
「主からの伝言でございます。『伯父様のことですから、違うとは思いますが……一応、警告いたします。 ご自分の足元を確認なさいませ。 ただし、手出しは無用です』……とのことでございます」
私は怪訝さを隠さず、顔を歪めた。
「……自分の足元を確認しろ、とはどういう意味だ」
「最近、陛下の周囲にスターリング伯爵令嬢が姿を見せております」
淡々としたその答えに、私は思わず目を閉じた。
スターリング伯爵……それは実弟だった。
あれは妹よりも考えが浅い……いや、それ以上に愚か者だ。
私⸺⸺ギルバート・ファルケンハインは、彼女が現国王陛下の『婚約者』となる前から宰相として王家に仕えている。
ファルケンハイン侯爵家は代々、国の中枢を担う家門であり、私もまた先代からその責務を引き継いだ。
そんな政治家の家門に生まれながら、アシュフォード公爵家に嫁いだ妹は、いささか浅慮な娘だった。
そもそも、アシュフォード家は公爵位にあるのに王城と距離を置いている。
代々の当主がどこか『事なかれ主義』で『情に脆い』せいだろうが、そんなアシュフォードの気風に妹は馴染みすぎていた。
だが、セシリアが生まれ、続いてクララが生まれた頃から、あの家の空気は変質した。
当時王太子だったハインリヒの婚約者となったセシリアは、私が知るアシュフォード家の者の中で飛び抜けて優秀だった。
幼い身でありながら、きちんとした姿勢、礼儀作法。
王太子妃教育を担当する教師や公務の担当者からの評価は高かった。
だが、それも『クララを虐げている』という噂が流れ始めた頃から歪み始めた。
私は当初、その噂を懐疑的に見ていたが、王太子を始めとして妹夫婦までも信じ込んでいる様子を見て、追及を止めた。
端的に言えば、そこまで興味がなかったのだ。
王城内ですれ違ったり、たまに言葉を交わすことはあったが、気軽に雑談をするような関係ではなかった。
そもそも、あの妹の娘なのだから事実であってもおかしくなく、国の運営に問題を来さない優秀さがあるのであれば、多少のことは目をつむっても構わなかった。
度が過ぎれば国王や私が忠告すればいい⸺⸺その程度の認識だった。
それがまさか、公衆の面前での『婚約破棄』という愚行にまで発展するとは思わなかった。
真面目さが取り柄だった王太子が、自らの義務や責任よりも感情を優先し、他国の要人が見守る貴族学院の卒業パーティーで醜態を晒した。
国王と共に頭を抱えたのは言うまでもない。
被害の詳細を調査しても、出てくるのはクララの『証言』と『被害状況のみ』で、実際にその現場を目撃した者はおらず、『やった』とも『やっていない』とも言い切れなかった。
王太子は、長年蓄積されたセシリアへの『悪感情』と、クララへの『同情心』から、セシリアをトレヴァント辺境伯家へ嫁がせるという形で王都からの『追放』を国王に進言した。
ここまで大事になったなら、セシリアも王都に居づらいだろうという判断、そして妹夫婦の沈黙により、王命で婚姻を命じた。
……これが、二つ目の間違いだった。
クララの王太子妃教育が始まると、状況が一転した。
高位貴族の幼子が身につける程度までの礼儀作法や教養は身についていたが、それ以降の淑女教育や教養にかなり偏りがあることが発覚した。
妹夫婦を呼び、王家や私で問い詰めるとクララは社交の許可が下りた頃から、真面目に教育を受けていなかった。
更に、セシリアの件が『冤罪』であったことを認めたのだ。
血の気が引いた真っ青な顔で夫に縋る妹を見て、母親として、貴族として、何と不甲斐ない者なのかと溜め息を吐きたくなった。
優秀過ぎるほど優秀だったセシリアの後に座りたがる令嬢などいなかった。
もっと言えば、己の婚約者にあんな仕打ちをする男に好んで嫁ぎたがる奇特な者などいるはずもなかった。
私に娘がいたなら、「国の為に嫁げ」と命じていただろうが、我が家には息子しかいない。
潔癖な王太子は欺かれていたことを理由に、クララを拒絶した。
己が招いた結果として、最後まで『真実の愛』とやらを貫いてくれればいいものの、王太子にはそれをする気概もなかった。
そこへ現れたのが、クロンヴァルト帝国のヴィクトリア皇女だった。
国王や王太子は『良縁』だと諸手を挙げて歓迎したが、あの帝国の皇女が『不良債権』でしかない王太子の元に嫁ぐなど、何か理由がなければ申し出るはずがない。
帝国内で持て余しているような皇女かと思えば、そんなことはなく、むしろセシリアと同じくらい優秀だった。
婚約にあたり『契約魔法』を結んだと聞くが、未だにその内容は把握出来ていない。
恐らく、私に知られれば即座に反対されるような内容だが、後がない為に承諾したのだろう。
ここ数年の間に起きたクララの処刑、アシュフォード家の代替わり、トレヴァント辺境伯の失脚、そしてセシリアの叙爵。
何かが裏で動いているような気がしてならない。
レイヴンクレストには『影』と呼ばれる存在がある。
『影』は国そのものの為に存在し、仕えるに相応しい主の元にしか現れないと聞く。
ここ三代ほど、その存在が確認されていないのは、現王家が『仕えるに値しない』と断じられているということだ。
私の目から見ても、我が身可愛さで後手後手に回る度、長くは保たないだろうと感じている。
そこへ届いた、愚弟の名前とセシリアからの警告。
「……セシリアは、私に何を求めている」
「私がお伝え出来るのは、先ほどの内容のみでございます」
セシリアの執事は表情一つ変えない。
主からそれ以上の開示を『許されていない』というわけか……。
「……セシリアに面会の申し出を」
「お伝えいたします」
来たときと同様、その男は一礼をし、その場を去って行った。
執務室の窓から、遠ざかるブランシェ侯爵家の馬車を見送る。
また、嵐が吹き荒れそうだ。
それも、この国を根底から揺るがすような、猛烈な嵐が。




