Ep.71 『庇護欲』という名の猛毒
厳しい寒さが王都の街を包む二月⸺⸺。
ヴィクトリアは妊娠八ヵ月に入った。
安定期を過ぎた辺りから急激に腹も大きくなり、足元が見えないこともあるようだ。
共にいる時は転ばないように、私は常に彼女の手を取って歩く。
本当は抱きかかえて移動したいところだが、「体力が落ちてしまうと出産が大変になります」という侍医の一言により、断念せざるを得なかった。
少しでもヴィクトリアの力になりたいという一心で、執務室へのエスコートや、新たな日課となった散歩にはなるべく付き添っている。
彼女は、そんな私にいつも穏やかに微笑みを向けてくれる。
妊娠しているから余計にそう感じるのかもしれないが、母としての慈愛に溢れたその姿は、神々しくさえあった。
「そういえば陛下、お腹の子はどうやら双子のようですの」
「なっ……! 本当か!?」
私には女兄弟がいないうえ、普段、妊婦と接する機会もない。
まだ産み月まで二月もあるのに、小柄な彼女の腹がこれほどはち切れそうになるものなのか?と心配していた。
だが、二人分の命を宿しているのなら、当然のことなのかもしれない。
「ふふっ。私も最近、胎動が一人にしては随分と激しいと思っておりましたの。二人なら、この元気の良さも頷けますわね」
懐妊してからのティータイムでは、私は彼女の世話を焼く為に隣に座るようになった。
愛おしむように腹を撫でる彼女に倣い、私もそっとその場所に触れた。
今は眠っているのか静かで胎動を感じないのが少し残念だが、そこに愛おしい我が子がいると思うだけで、胸の奥が熱くなる。
「そうか……。 お前、ではなく、お前たちか。元気に生まれてくるといい。 父様も母様も、心待ちにしているぞ」
私は腹の中にいる子たちに、優しく語りかけた。
いつもより少し長めのティータイムは、「性別はどっちだろうか?」「名前は多めに考えないと」や、「ベビーベッドを追加で準備しないと」など、尽きることのない喜びで溢れていた。
これが、幸せというものなのだろう⸺⸺。
私はこの何気ない、けれどかけがえのない時間を噛み締めた。
「少し図書館へ行こう」
ヴィクトリアを彼女の自室へ送った後、私は王城の図書館へ向かった。
双子だと分かったからには、子どもの名前候補も考え直そうと思い、何かヒントになりそうな書物をもう一度探しておきたかったのだ。
王城の図書館は王都で最大の規模を誇り、蔵書量もそれなりに揃っている。
先導した近衛騎士が図書館の扉を開くと、中の人は疎らだった。
司書が私に気付き慌てて立ち上がろうとする姿に、『そのままでいい』と目線と手で制す。
館内をぐるりと見渡し、何を参考にしようかと考えながら、何気なく足を進めた。
双子ならば、二人を繋ぐような名前がいいだろうか?
性別が違った場合も考えなければならないな。
そんなことを頭の中で思い浮かべながら、適当に書棚の間を歩いた。
紙の独特な香り、微かに聞こえるページを捲る音や衣擦れの音。
人の存在は感じるのに、どこかこの空間だけが別世界のように思える。
隣の棚へ移動すると、そこには先客がいた。
先日、回廊の庭園で出会った薄ピンクのふわふわの髪とカーネリアンの瞳の令嬢⸺⸺スターリング伯爵令嬢だった。
「君は……」
彼女の存在を認識した瞬間、思わず言葉が漏れた。
私の声に気付いたスターリング伯爵令嬢は驚いたようにこちらを向き、私の存在を認識するや否や、慌ててカーテシーをした。
「あっ! 国王陛下……! ご、ご機嫌麗しゅう存じます」
思った以上に声が響いたことに更に慌てて、声は語尾に近づくにつれて細くなり、消え入りそうだ。
「顔を上げてくれ。 すまない。 私が唐突に声をかけてしまったせいだ。 気にせずに調べ物を続けてくれ」
私は小声でそう告げると、その場を辞そうと彼女に背を向けた。
「……あっ……」
微かな声に振り返ると、彼女は何故か不安そうな顔で私を見つめていた。
『不敬を働いた』とでも心配しているのだろうか?
「どうかしたのか?」
怯えさせたつもりはなかったのだが、という思いから再び声をかけた。
「……いえ。 あの、私はもう終わりましたので、何かお探しでしたらお手伝いいたしますが……」
目を伏せ、長いまつ毛が影を作るその俯き気味の顔。
彼女のこの庇護欲をそそる危うい雰囲気……。
⸺⸺どこかで、見たことがある。
自分でも知らぬ間に、眉間に力がこもった。
私が何も答えないことで確認するかのように、恐る恐る顔色を窺うように私を見上げてくる彼女の瞳を見て、確信した。
……ああ、彼女は。 クララと同じだ。
それに気付いた瞬間込み上げてきたのは、愛おしさではなく、喉を焼くような苦い『後悔』だった。
表面的な感情に振り回され、一方の言葉だけを鵜呑みにし、自ら見聞きすることを放棄し、思い込みだけで断定した愚かな、あの頃の自分。
『これまでのように、お前を守ってくれる者は存在しない』
父上の冷徹な言葉が脳裏をかすめる。
私は、これ以上間違えることは『許されないのだ』ということを、自分に強く言い聞かせた。
「……いや、大丈夫だ。 私ももう戻る」
大きくはないが、けれど確かに届く低い声で拒絶の意を告げると、私は今度こそ彼女に背を向けた。
ハインリヒが去った後、その場に残されたカルミアは先ほどまでの気弱な色を霧散させた。
その表情には、一切の感情が乗っていない。
現在17歳のカルミアは、セシリアやハインリヒとは4つほど年が離れている。
当時13歳だった彼女は、あの『断罪劇』を直接見たわけではなく、他の令嬢たちからの噂でしか知らない。
だが、クララとは2歳しか変わらず、お茶会などで彼女を見たことがあり、よく覚えている。
いつも儚げに、実の姉に虐げられていると涙を浮かべ、周囲の同情を買っていた女。
そして、姉の婚約者であった当時の王太子だったハインリヒの愛を一身に受けた人⸺⸺。
最後は、彼女自ら姉を嵌めたことが露呈し、嫉妬から王妃であるヴィクトリアの暗殺未遂事件を犯したことで平民として処刑されたけれど。
カルミアは確信していた。
ハインリヒは『ああいう女』に弱いのだということを。
『完璧な淑女』と呼ばれ、闇夜の女王のように美しいセシリアのような女ではなく、一人で立つのには弱く、自分が守ってやらねばならないと錯覚させる女に惹かれるのだと。
なのに……。
「……また、ダメだった? ……何故?」
思わず眉間に深いシワが寄り、怪訝な顔を隠せない。
カルミアはまだ気付いていなかった。
巷で流れた噂や王家は、クララのことをすべて公表しているわけではない。
クララは、ただ『弱い女』を演じていたわけではなかった。
常に怯えていただけでもない。
ハインリヒがその時々に何を欲しているのかを嗅ぎ取り、完璧に『魅せる』天才だった。
そして何より、今のハインリヒにとって、その『弱さ』こそが最も警戒すべき猛毒であることを。




