Ep.68 即位の儀
ついに父上が退位することが正式に公表された。
戴冠式の準備は滞りなく進み、改めて各国の大使や王族などの貴賓も次々と入国している。
結婚式から僅か半年での再来国には少々心苦しさもあるが、王国の新たな門出に相応しい活気に溢れていた。
ヴィクトリアの隣で目を覚まし、湯を浴びて、着替えを済ませる。
昨日までは王太子の衣装だったが、今日の即位の儀から国王の衣装を身に纏うのだ。
髪を後ろに撫で付け、鏡の中に立つ自分の姿を見据えた。
「失礼いたします。教会へご移動のお時間です」
アーサーが私室へ迎えに来た。
父上は既に離宮へ移動しているが、万が一の際には手を貸してくれることとなっている。
王太子の私室にあった私物は、既に国王の居室へと運び終えており、ヴィクトリアの荷物も王妃の私室へ移動済みだ。
この儀式が終われば、名実ともに国王夫妻の区域が私たちの生活拠点となる。
「ああ、行こう」
ヴィクトリアとは現地で合流する手筈となっている。
私はアーサーを伴い、馬車に乗り込んだ。
教会の控えの間で、国王のみに許されている真紅の重厚なマントを羽織った。
背には金糸でレイヴンクレストの紋章が燦爛と輝いている。
扉を叩く音がし、現れたのはヴィクトリアだった。
艷やかな金色の生地に緑の荘厳な刺繍が施されたドレス。
彼女もまた、王妃のみが許されている真紅のマントを翻している。
国王と王妃のマントは同じ生地で作られており、違いは『紋章が入っているか』のみだ。
ベージュブロンドの髪もすべて纏め上げられており、その佇まいは慈愛に満ちた聖母のように神々しい。
「お待たせいたしましたわ」
「ああ……。王妃の装いも、実によく似合っているな」
私はヴィクトリアの両手を優しく包み、微笑みかけた。
「ふふっ。ありがとうございますわ。ハインリヒ様もいつもに増して素敵ですわ。……あっ、もう『陛下』とお呼びしなければなりませんわね」
「いや。公の場でなければ今まで通り『ハインリヒ』と呼んでくれ」
もはや私の名前を呼ぶことが許されるのは、隠居した両親を除けば彼女しかいないのだから。
彼女ははにかむように頬を染め、「承知いたしましたわ、ハインリヒ様」と、微笑みを浮かべた。
彼女と共に聖堂の重厚な扉の前に立った。
結婚式の時はヴィクトリアが一人で入場したが、今日は二人で祭壇まで進む。
「ハインリヒ・レイヴンクレスト王太子殿下、及び、ヴィクトリア・レイヴンクレスト王太子妃殿下、ご入場!」
扉が開かれ、数多の視線が一斉に私たちへと注がれた。
ヴィクトリアの手を取り、粛々と祭壇の前まで進む。
即位を祝福するのは教皇猊下である。
「ハインリヒ・レイヴンクレスト。其方は国の平和と繁栄、そして国民の幸福の為に尽くすことを誓うか?」
「我が命に代えても」
私は教皇の前に膝を付き、頭を下げて宣誓する。
その誓いを聞くと教皇が王冠を持ち、私の頭の上にそっと載せた。
頭上に確かな重みを感じ、顔を上げて立ち上がると、王笏を手に参列者の方へと向き直った。
「ハインリヒ国王陛下の即位を、教皇の名の下に宣言する」
威厳ある低い声が聖堂内に響き、国内貴族が立ち上がり、貴族を代表して先王弟である叔父上が階下に立った。
「我ら臣下一同、ハインリヒ陛下へ忠誠を誓います」
その言葉と同時に貴族たちは深く頭を下げた。
王笏を神官へ手渡し、続いてヴィクトリアが私の足元に膝を付いて頭を垂れる。
「ヴィクトリア・レイヴンクレスト。其方は王妃として、すべての民の母となり、王国に尽くすことを誓うか?」
「身命を賭して、すべての民の為に尽くすことを誓います」
私の言葉に、彼女は鈴の音のような声で宣誓した。
神官から王妃の冠を受け取り、そっとヴィクトリアの頭上へ載せ、その手を取って引き上げた。
二人で再び参列者に向かうと、各国の貴賓や国内貴族たちが恭しく一礼をし、即位の儀は無事に終わった。
その後は結婚式と同じく城下でのパレードと、王城のバルコニーからの参賀をこなす。
至るところから「国王陛下、万歳!!」「王妃陛下、万歳!!」と、地響きのような祝福を受け、私は人生の絶頂にいた。
「ヴィクトリア、一度私室へ戻って休むといい。荷物の確認も必要だろう」
私物がちゃんと運ばれているか、部屋の中がきちんと整えられているか確認した方がいいだろう。
「ええ、承知いたしましたわ。それでは、また後ほど」
彼女を見送り、私も自室で一度マントや王冠を外した。
各国の貴賓や国内の全貴族が参加する夜会までの束の間、椅子に身を預けて深く息を吐いた。
無事に儀式は終わった。
すべてが予定通りに事が進んでいる。
自分の明るい未来に思いを馳せていると、廊下が騒がしくなり、激しく扉を叩く音がした。
「陛下!!大変でございます!!」
「どうした?一体、何事だ?」
焦燥を露わに飛び込んで来た侍従を落ち着かせようとしたが、続く言葉に私の心臓は凍り付いた。
「王妃陛下が……!!お倒れになりました!!」
ヴィクトリアが倒れたという報告に、私は思考より先に体が動いていた。
儀式で疲れが出たのだろうか?
それとも、何か病気なのか?
嫌な考えが頭の中を巡り、心臓の音が耳元で激しく聞こえる。
焦りのあまり、ノックも忘れ、彼女の私室へ駆け込んだ。
「ヴィクトリア!!」
彼女は奥にあるベッドの上で、クッションに寄りかかっていた。
「あら、陛下……」
先ほど別れた時よりも、幾分か顔色が悪いように見える。
私は彼女の傍らに膝を付き、その手を固く握りしめた。
「ヴィクトリア、大丈夫か?起き上がって大丈夫なのか!?」
取り乱す私の顔は、随分と情けないものとなっているだろう。
「ええ、ご心配をおかけしてしまいましたわ」
「本当か?侍医、ヴィクトリアはどうしたのだ?!」
心配が拭えず問いただすが、周囲にいる侍女や侍医は何故か晴れやかな笑みを浮かべている。
「陛下、おめでとうございます。王妃陛下はご懐妊でございます」
「……懐……妊……?」
思考が停止し、言葉の意味を咀嚼するのに数秒を要した。
懐妊……ということは……私と彼女の、子が……。
ヴィクトリアへ視線を戻すと、彼女は穏やかな微笑みを湛え、ゆっくりと頷いた。
まだ膨らんでもいない彼女の腹に目をやり、ようやく事実が脳に浸透した瞬間、これ以上ないほどの喜びに瞼が熱くなった。
「子が……そうか、子が……!」
思わず彼女を強く抱き締めてしまう。
「……ありがとう。ヴィクトリア……!ありがとう……!」
ついに我慢し切れずに溢れ出した涙が、ヴィクトリアの肩を濡らしていく。
「まあ、陛下。落ち着いてくださいませ」
「ああ、すまない。だが、少しだけ……このままでいさせてくれ」
彼女の掌が、私の背を優しく、落ち着かせるように一定のリズムで叩く。
その温もりに包まれながら、私は神が自分に与えてくれた最高の祝福に、更に涙を流し続けた。
すべてが、完璧に、順調に進んでいた。
何一つ、疑うことなく⸺⸺。




