Ep.61 ブランシェ侯爵邸
王太子殿下とヴィクトリア皇女殿下の結婚式まで、あと一月ほど。
私は王都にある王都邸へと拠点を移しました。
ブランシェ侯爵位を叙爵されてすぐに、ノインが見つけて来たこの屋敷は、築百年近く経っております。
かつて他国の大使が居住していたというだけあって、十分な広さと、そして興味深い『仕掛け』が残されておりました。
「有事が起きた際を想定して建てられたのでしょうね」
屋敷内に張り巡らされた『秘密通路』の中を、魔石ランプを手に先導するノインの後に続き、歩いております。
最初に違和感を持ったのは、屋敷の見取り図を見た時でした。
実際の間取りと図面を照らし合わせると、空間の比率と壁の厚みに、明らかに不自然な空白が存在していることに気付きました。
高位貴族や豪商の屋敷には、有事の際の『避難経路』が予め作られていることが多くあります。
そして、それは見取り図には残されず、主と腹心の者にしか明かされません。
もちろん、アシュフォードの本邸にもありました。
お兄様はお父様にお聞きしていたでしょうけれど、いずれ嫁ぐ身であった私やクララには明かされておりませんでした。
もっとも、私は魔力探知で違和感を覚えたところを調べていたので、すべて把握しておりましたけれど。
恐らく、お義姉様もご実家の『影』から知らされているでしょう。
一応、自分の屋敷内のことですから、『秘密通路』は把握しておきませんと、と思って回っているのですが……。
それにしても、この屋敷を建てた大使は一体何を考えていたのでしょう?
単なる『避難路』にしては屋敷中に張り巡らされており、客室を覗き見る箇所もありつつ、『秘密部屋』もありました。
中を確認したところ、応接室のような造りでしたので、内密の会合を開く際に使用されていたのでしょう。
まあ、あって困る部屋ではないので構いませんが。
地下を経由すれば王都の外れまで誰にも見られずに脱出することが出来るようになっておりました。
……この経路を造るのに一体どれほどの年月をかけたのか。
これほど念入りに造ったのですから、相当に後ろ暗いこともしていたのでしょうけれど。
屋敷の全容を確認し終えたところで、次は屋敷の管理体制を構築しなければなりません。
トレヴァントの別邸は既に引き払い、そちらの使用人はこちらに連れて来ましたが、少人数で回していたので、この広大な屋敷を回すには全く足りません。
レペール商会から回すにも限界があります。
そこで、私はノインと相談し、ローズウェル侯爵に『信用出来る』使用人の手配をお願いいたしました。
高位貴族には、そういう『伝手』が色々あります。
私も公爵令嬢ではありましたが、王太子妃候補として執務の補佐や外交関連で忙しかったうえ、評判が最悪でしたので貴族家との繋がりが多くはありません。
……まあ、各貴族家や商会の『弱み』は握ってありますが、ここでは使えませんしね。
結局、家令はノインが兼任し、侍女長にはローズウェル侯爵から紹介された者に任せることになりました。
他は商会から回した者を、ノインと侍女長が使用人として教育し、洗濯や掃除などの実務をこなす者は新たに雇うことになりました。
もちろん、雇う前に徹底的な身辺調査を済ませてあります。
落ち着いたら領地にも視察へ行かなければなりませんね。
領地邸は、『静養中』の王妃陛下のご実家が雇われていた使用人たちが残っているので、そちらも片付けなければなりません。
新たにトレヴァント辺境伯となったセオも、おおよその引き継ぎは終えたそうです。
王都邸にいた家令のウォルターは、しっかりとした者でしたので領地に呼び戻し、彼に補佐を任せたそうです。
公平なうえ、レオンハルト卿に傾倒しているような方ではないと感じましたので、私も賛成しました。
レオンハルト卿はトレヴァントの屋敷を出て、領内にある離邸へユーリやハンスを連れて移動したようです。
辺境伯騎士団も、当主が代わったことで戸惑う者が多かったようですが、予め騎士団内に溶け込み、彼の人柄を理解していたことで混乱は長く続きませんでした。
そして、貴族になったばかりのセオを侮る者が多いことを予測し、何か問題が起これば私に連絡が来ることになっております。
「セシリア様」
執務室で公爵家から引き継いだ領地の書類を改めていると、ノインが紅茶の準備をして戻って来ました。
「先日、アーサー様より『例の蜂蜜酒』の発注をいただきました」
「そう、予定通りね」
王太子妃教育を受けた者しか知りませんが、初夜の前に媚薬を服用するのはハインリヒ殿下だけではありません。
政略結婚が多い王家では、過去に女性側が初夜を拒否することも少なくなかったそうです。
その為、女性側は男性側よりも強めの媚薬を服用しなければならないのです。
意思が強い方には、そのことを本人に知らせずに女官に盛られることもあります。
『破瓜の痛みを和らげる』という面もあるのですが、強制的に発情させられるので、訳の分からない内に初夜が完遂します。
ですが、新しく開発したあの『蜂蜜酒』があれば、その媚薬を回避しつつ、目的を果たすことが出来ます。
「ハインリヒ殿下へお届けする前に、当然毒味が入るわ。 あれを混ぜる際はボトルやデキャンタではなく、予め『グラス』へ一滴忍ばせるように指示してちょうだい。注ぐ瞬間にグラスの中を疑う者はいないでしょうし、一滴であれば濡れているようにしか見えないでしょう」
この計画で重要なのは、確実に初夜が完遂されること。
この点だけは、決して疑われることがあってはなりません。
「承知いたしました」
ノインは目礼をすると、カップに紅茶を注ぎ、私の前に供しました。
湯気と共に立ち上がるフルーティーな香りをゆっくりと楽しみ、カップを口へ運びます。
「あと、結婚式当日のセシリア様のドレスですが、既に仕上がったそうです」
「あら、早かったわね」
花嫁であるヴィクトリア皇女殿下と被らないよう、あの生地を使用することは控えました。
ですが、女侯爵となって初めての社交界です。
それなりの物を身につけなければならず、帝国から極上の生地を取り寄せたのです。
侮られるわけにはいきませんからね。
宝飾品も『ブランシェ』の名に相応しく、大粒の真珠を使った揃いの物を作らせました。
「セシリア様が『女侯爵』として、初めて社交界へ出られるので、お針子たちが張り切ったようです」
「ふふっ。では、特別手当を出してあげないとね」
お針子一人一人の顔を思い浮かべ、私はふっと微笑みました。
再び紅茶の香りに癒されながら、一口含むと、改めて結婚式当日の光景を脳裏に描きます。
「……王城にいる者たちにも、改めて段取りを徹底させてちょうだい。間違いは、断じて許されないわ」
呟くような私の言葉に、ノインは黙ったまま一礼し、深い恭順を示しました。
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