Ep.60 甘い罠
私がアシュフォード公爵家へ嫁いで、早いもので二月半が経ちました。
前公爵夫妻⸺⸺お義父様とお義母様は、領地の端にある小さな別邸で静かに過ごされております。
私がアシュフォードの家に入って、まず初めに取り掛かったのは、徹底的な『お掃除』でした。
「あなた方、そろそろ隠居するご年齢でしょう? 下の者も育っておりますし、もう穏やかに余生を楽しんだらどうかしら?」
「なっ……!! 私共は先々代からアシュフォードにお仕えしております! この家に骨を埋める覚悟で……」
「まあ! この家で骨を埋められても困りますわ。 ましてや、未熟な幼子の『お遊び』に踊らされる上級使用人など、今この家に必要かしら?」
私の言葉に、家令も侍女長も一言も返せませんでした。
当然です。
高位貴族の上級使用人とは、単に主の命を全うすれば良いというものではありません。
冷静に中立の立場で物事を見極め、主が道を誤れば諌める⸺⸺。
屋敷の管理は家門の矜持に直結するのです。
すべてが彼らの責任ではありませんが、長い時間、主の側へ控えているのに物事を見極めることが出来ませんでした。
いくら我が家の『影』が優秀だったとはいえ、外部からでも掴めた『真実』を、内部の彼らは見逃した。
それは『怠慢』以外の何物でもありません。
「クララさんの事で、アシュフォードの評判は地に落ちましたわ。 積み上げてきた物は一度崩れると、また積み直す事は容易ではありませんの。 アシュフォードが新しく生まれ変わった姿勢を世間に示さなければ、この家は生き残れませんわ」
今までのアシュフォードでは認められない。
その現実は分かっていたでしょう。
彼らは後悔の色を滲ませながら、アシュフォードの家を去って行きました。
クララさんの一件による『処罰』だと理解した他の使用人は、顔を青褪めさせて『次は自分の番ではないか?』と怯えているのが見て取れます。
セシリア様を軽んじ、無礼を働いた者は、色々と裏から手を回してすべて解雇済みです。
『無能』は必要ありませんもの。
嫁ぐ前に次の家令や侍女長候補として、我が家の息のかかった者を仕込んでおいたので、今までよりもマシになるでしょう。
「ただいま、シャーロット」
「お帰りなさいませ、旦那様」
夜になり、アーサー様が王城からお戻りになりました。
婚姻を機に、私はアーサー様を『旦那様』とお呼びする事にいたしました。
その響きを口にする度、アーサー様が私の『唯一』だと実感が湧き、胸が熱くなります。
クララさんの一件で王太子殿下との間に亀裂が生じたアーサー様は、以前ほど殿下に入れ込むことはなくなりました。
『幼馴染み』として、以前はどこか線引きが甘く、殿下に尽くす事が当然と思っていた節がありましたが、現在は『アシュフォード公爵』として正しく中立の距離を保たれております。
元々、アシュフォード公爵家は王家との関わりが薄い家門だったのですから、これが本来あるべき姿なのです。
「もうすぐ王太子殿下とヴィクトリア皇女殿下の結婚式ですわね。 旦那様もお忙しいのではありませんか?」
公爵位を継承した現在、アーサー様は宰相補佐を務められております。
殿下が即位された後、しばらくしたら宰相となられるでしょう。
宰相とは国の礎。
国王が間違いを犯せば諫め、国王に『相応しくない』と判断すれば議会で『退位』を求める権利さえ持つ重職です。
「ああ。 ヴィクトリア皇女殿下が非常に優秀な方だから、準備の多くは順調に終わった。 他国の貴賓がお越しになるまでは大丈夫そうだ」
少し疲れが滲む顔で、アーサー様は穏やかに微笑んでくださいました。
「お身体を壊されないか心配ですわ……。 お休みになれる時は、どうかお休みになってくださいね?」
私は眉尻を下げて懇願すると、アーサー様は私を抱きしめ、唇に一つ口付けを落としてから、再び愛おしそうに力を込めて抱きしめ直してくださいました。
「ありがとう……。 君と結婚出来て、私は本当に幸せだ」
……ああ、何て幸せなのでしょう。
そんな幸せを噛み締めながら、私はアーサー様の背中に手を回しました。
遅めのディナーを食堂で共に摂りながら、私はふと思い出したように口を開きました。
「そういえば、レペール商会で珍しい蜂蜜酒を扱っていると聞きましたわ」
「蜂蜜酒?」
蜂蜜酒とは、『初夜』で召し上がられることが多いお酒です。
滋養強壮に効果があるうえ、緊張で男性機能が役立たなくなることもある為、それを解す意味でも初夜の前に召し上がる方が多いのです。
王族は特に初夜を失敗するわけにはいかないので、より強い『媚薬』を用いるそうです。
「ええ。 少し媚薬のような効果があるそうで、大変な人気のようですわ」
王族が用いる物は体に影響が少ないものなのでしょうが、処女の身には負担が大きく、歴代の王太子妃や王妃となられた方は翌朝、大変な苦痛を伴うと聞きます。
「……なるほど。 殿下の初夜に使用しても問題ないか、一度調べてみる価値はありそうだな」
アーサー様は顎に指を当て、思案されております。
恐らく、レペール商会の蜂蜜酒は採用されるでしょう。
媚薬よりも弱い効果で初夜が完遂されるのであれば、お互いにとって良いことですから。
私は考え込むアーサー様を愛おしく見つめました。
⸺⸺⸺
シャーロットから聞いた蜂蜜酒の安全性を確かめる為、私は王城へレペール商会の者を呼び出した。
レペール商会は今や国内最大の商会だ。
他国にも支店を持ち、王国の税収の三分の一を支えている。
「お初めにお目にかかります。 レペール商会代表を務めております、ノーヴィ・クロードと申します。本日は当商会にお声がけくださり、大変光栄に存じます。」
現れたのは、見慣れた商会員ではなく、代表を名乗る男だった。
暗い茶髪に、黒曜石のような瞳。
私よりも若いであろうその男は、商人特有の愛想笑いも浮かべず、淡々としている。
……何故だろう。
どこかで会ったことがあるような気がしてならない。
「宰相補佐のアーサー・アシュフォードだ……。 突然すまないが、以前どこかで会ったことはないだろうか?」
「いいえ。 閣下とは初めてお目にかかります。 私は普段、王都にいることが少ないもので」
男は表情一つ変えずに答えた。
私は違和感を打ち消し、例の蜂蜜酒について尋ねた。
聞けば、その蜂蜜酒は独自の発酵技術で作られているそうだ。
通常の蜂蜜酒よりは弱い酒ではあるが、極端に弱いわけではなく、効果が穏やかで、緊張を和らげ気分を高揚させる程度だという。
「通常の物よりもアルコール度数が調整されている為、男性機能を阻害せず、高揚感だけを促しますので、特に初夜の際に召し上がられる貴族の方が増えております」
彼は実物のボトルを開け、毒味として自ら一口飲んで見せた後、味見程度に少量注いだグラスを私に差し出した。
口に含めば、驚くほどまろやかで飲みやすいものだった。
しばらく待つと、確かに体が微かに火照ってくるのを感じた。
公爵家の嫡男として、公爵夫人の座を狙う者に媚薬を盛られ、既成事実を作られる危険に備えて耐性訓練を受けた。
これは、あの毒々しい媚薬とは比べ物にならないほど心地いい。
これならば、皇女殿下への負担も最小限で済むだろう。
「王太子殿下の初夜で使用したい。 至急、手配してもらえるだろうか?」
「ありがとうございます。 承知いたしました」
彼は淡々と応じると、完璧な一礼を見せて立ち去った。
その後ろ姿を見送りながら、私はまた、正体不明の奇妙な既視感に囚われていた。




