Ep.43 名も無き妻
会談当日、セキトフ辺境伯家当主と数人の護衛たちが関所へ到着した。
到着の連絡を受け、予め整えておいた応接室へ案内させる。
俺もハンスたちを連れ、重い足取りのまま向かった。
『初めてお目にかかる。ヴァルガルド公国セキトフ辺境伯家当主、グリゴリー・セキトフだ』
周辺国の中で最大版図を誇るクロンヴァルト帝国の言語は、外交時における公用語だ。
だが、つい先日まで分家の人間だったグリゴリーが流暢に帝国語を操ることに、俺は内心の驚きを隠せなかった。
『……こちらこそ。トレヴァント辺境伯家当主、レオンハルト・トレヴァントだ。よろしく頼む』
驚愕を顔に出さずに名乗りを終え、互いに向かい合ってソファへ腰を下ろした。
グリゴリーという男は、見たところ三十代後半から四十代といったところだろうか。
少し日焼けをした肌に彫りの深い精悍な顔立ちの美丈夫だが、騎士服の上からでも分かるほど強靭に鍛え上げられた体つきだ。
彼が今まで実務を一手に担っていたことを鑑みれば、相当に優秀な人物だろう。
もし彼と剣を交えることになれば、勝機は五分……程度か。
俺が観察しているのと同様、彼からも値踏みするような鋭い視線が向けられていた。
『まず、会談の申し出を受けてくれたことに感謝する。早速だが、貴殿から届いた書簡にあった『不可侵協定』の件に関してだ』
『ああ。その件については書簡に記した通りだ。セキトフ辺境伯家は、トレヴァント辺境伯家との『不可侵協定』を破棄するつもりだ』
端的に目的を切り出すと、グリゴリーは淡々とそれを事実だと認めた。
『……なぜ、と理由を聞いてもいいだろうか?協定締結以来、両家は問題なく付き合ってきたはずだが……』
俺がそう口にした瞬間、彼から爆発的な殺気が放たれ、言葉が詰まった。
『……なぜ、だと……?』
グリゴリーは俯きながら、怒りで声を震わせている。
膝の上にある拳は、白くなるほど強く握り締められていた。
ゆっくり顔を上げた彼の目は血走り、怒りと苦しみが入り混じった凄絶な表情で俺を睨みつけた。
『……貴様らは……『問題がない』と思っていたのか?……我が姉を、あれほど虐げた分際で……!!』
グリゴリーの背後に控えている護衛や侍従たちも、今にも剣を抜きかねないほどの威圧感を放っている。
俺の背後にいるユーリたちも、その気迫に即座に身構えた。
『我が姉?すまないが、我々は貴殿の姉君を知らな…『知らぬわけがないだろう!!貴様の父親の、妻だったのだからな!!』……っ!?』
俺の話は途中で彼の怒鳴り声に遮られると同時に、あまりの衝撃に言葉を失った。
『父の妻だと?……何か勘違いしておられないか?父の妻は、亡き我が母のみだ』
『はっ!知らぬのか?それでよく当主が務まるものだ』
グリゴリーは鼻で笑ったが、その瞳は変わらず氷のように冷たいままだった。
この場で父上のことを知っているのはハンスだけだ。
振り返ると、ハンスは目を見開き、口をわななかせながら絶句していた。
「ま、まさか……」
『……ほう。そこの執事は覚えがあるようだ。少し時間をやろう。そこの男に父親の不義理を聞くといい。我々も、その間に頭を冷やさせてもらう』
そう吐き捨てると、彼は部下たちを引き連れ、応接室から去って行った。
執務室へ一度戻り、デスクの前に座ると、俺は低い声でハンスを促した。
「……ハンス、どういうことだ。何を知っている?」
だが、ハンスは拳を握り締めて視線を落としたまま、なかなか口を開こうとしない。
俺は深く溜め息を吐いた。
「俺は爵位を継承する際に系譜を確認した。そこには父上の妻の名は母上しか載っていなかったはずだ」
「……それは、当然です。セキトフ辺境伯の姉君は……トレヴァント辺境伯家で、認められ、なかった方ですので……」
「何だと……!?それはどういうことだ!!」
そこからハンスが語った真実は、あまりに凄惨なものだった。
元々女嫌いだった父上は、母上が亡くなった後、分家からの再婚話をすべて撥ね退け、独り身を貫いていた。
母上は当時王太子妃であった現王妃陛下の妹であり、王家の不興を恐れる分家もあまり強くは言えなかったようだ。
だが、長く続いたセキトフ辺境伯家との交戦は泥沼化し、互いの騎士も領民たちも疲弊し切っていた。
そこで結ばれることとなったのが『不可侵協定』だった。
当時のセキトフ辺境伯は、両家の関係改善の証として姪を妻に娶るよう条件を出した。
亡き母上とも政略結婚で貴族らしい夫婦だった父上は、面倒に感じつつも政略と割り切り、それを受け入れた。
協定を締結する際に連れて来られた娘は、戦を好むセキトフ家の血を引いているとは思えないほど、物静かな女性だったという。
父上はそのまま屋敷へ連れて帰り、いざ婚姻届に署名する段になって、それまで黙っていた領内の反発が爆発した。
長年の戦で家族や恋人、そして友人を失った者たちや、多民族の新興国であるヴォルガルドを『蛮族』と見下す分家たちが猛反対したのだ。
『仇敵である蛮族の娘をトレヴァントの血統に入れるなど断じて許されぬ話だ』
分家は王家との縁戚関係まで持ち出して父上を激しく責め立てた。
強行しても構わなかったが、さすがに王家の名を出されると、父上も勝手をするわけにはいかなかった。
どちらにせよ貴族の婚姻には国王陛下の承認が必要な為、許可が下りるまで、『客人』として屋敷に留め置かれることとなった。
父上は彼女を『母上の時と同様に』扱えばいいと考え、使用人たちにすべてを任せ、自身は戦後処理や魔獣討伐に明け暮れた。
「旦那様!!いいえ、閣下!!いい加減になさいませ!!かつての敵地に独り嫁いでこられた女性を放っておくなど、男の風上にも置けませんぞ!!」
ある日、家令のウォルターが父上を怒鳴りつけたそうだ。
ウォルターに急かされ、気が進まぬまま彼女と交流を持とうとした父上は、ようやくその時になって彼女の置かれていた惨状に気付いたのだ。
それは、トレヴァントに嫁いできた際にセシリアへ向けられた仕打ちと、驚くほど似通っていた⸺⸺
ウォルターが目を光らせていた為、表立って虐げられることはなかった。
だが、主の妻として迎えるはずの女性への対応とは、程遠い有様だった。
「……なぜ、使用人からの仕打ちを私やウォルターに言わなかった」
「……つい最近まで敵だった女に仕えたくないという気持ちがあっても、それは仕方がないことです。それに、この程度のことで音を上げてしまえば、本家ご当主様に叱られてしまいますから」
父上からの問いに、彼女は儚げな微笑みを浮かべて答えたという。
それまで打算で近付いてきた女たちとは違う彼女を
父上は、いつしか愛してしまったのだ⸺⸺
誤字報告ありがとうございます┏○ペコッ




